イナバナ.コムでも今まで幾重にも登場してきた仏様の写し姿 “仏像”。
飛鳥時代に渡来を果たして以来 多くの変遷を辿りながらも、日本の宗教文化の多くを担ってきた仏教ならではのひとつの証であり、人と信仰を結び付ける有形の存在でした。
その深遠なる面持ちや慈愛に溢れた眼差しは、現代にあって尚多くの人々を惹きつけて止みません。 教導そのものへの帰依はともあれ、仏像への興味やその理解を深めようとする人は今も増え続けているのです。
とはいえ、一口に仏像と言ってもその括り(種類・カテゴリー)は些か分かれているのですが、そうしたことをことさら意識しながら手を合わせることも少ないような気もします。
テレビなどでも時折触れるので ご存知の方も多いとは思いますが、この機会に極かんたんに “仏像の基礎知識・チュートリアル” を残しておきましょう。
仏像はその元たる仏様たちの姿を象ったものではありますが、その仏様たちの中にも立ち位置・・というか、役割り?階位的なものがありまして・・上位から次のように分けられます。
・「如来」 悟りに到達し真理に目覚め究極の存在となった最上層。
釈迦如来、大日如来、阿弥陀如来、薬師如来など
・「菩薩」 如来の前段階、修行中の身ながら超常の域に至った存在。
観音菩薩、弥勒菩薩、地蔵菩薩、文殊菩薩など
・「明王」 仏の道に背く悪心を、憤怒の力をもって制し導く剛の者。
不動明王、孔雀明王、愛染明王など
・「天部」 如来や菩薩たちを補佐しながら多彩な面を現す妙なる尊格。
帝釈天、大黒天、弁財天、吉祥天など
仏像もこれら四つの界位における姿を明確に反映しており。
・「如来」 厳しい修行から悟りに至った釈迦の姿を規範としているため、螺髪(巻毛) のヘアスタイル、質素な姿を基本としている。
・「菩薩」 釈迦の出家前、王族時代の姿をモデルにとっているため華美で柔和な容装。比較的親しみやすい面持ちのものが多い。
・「明王」 強制的に悪心を正すための憤怒の表情、業火を背に剣を手に、仏敵を打ち払わんとする法力の象徴的造形。
・「天部」 仏道を守護する立場ながら古代神がモデルとなっているため、尊格やそのご利益が明確で特徴的なものが多い。
・・と、まぁ こんな感じなのですが・・。
こうした様々な尊格が その数に比例して等しく造形され、そして知られているかというと必ずしもそうとも言い切れないところがありまして・・。
知名度の高い仏様たちは それぞれ相応に祀られてもいるのですが、例外の中には結構マイナーな仏様もいらっしゃる・・というのもまた事実といえるでしょう・・。
冒頭の “当サイトでもよく登場してきた” ・・つまるところ寺院の由緒や伝承、昔話などによく取り上げられる仏様はやはりその人気も高いため仏教世界のスター的存在。仏像として造形化された数も圧倒的です。 ランキング風に表せば・・。
・国内仏像彫像数(総数・概数)
第一位: 観音菩薩
現世衆生をあらゆる苦しみから救済するという慈愛深きイメージからダントツの人気No.1。 故に十一面観音や千手観音などバリエーションも豊か。
第二位: 阿弥陀如来
“南無阿弥陀仏” 唱えさえすれば極楽は約束される・・報われること薄き衆生を難しい修行もなしで救う有り難さから鎌倉期以降に爆発的に普及。
第三位: 薬師如来
古の時代にあって病や怪我の苦しみを癒してくれる、快癒に導いてくれるという、帝から庶民に至るまで等しく人々の切実な願いに応えるように普及。
まぁ本当、見て分かるように由緒由来・民話伝承 登場率トップクラスの面々。 文化財に指定されている「如来・菩薩」仏像のジャンルに限れば、この観音・阿弥陀・薬師の3尊だけで、なんと全体の6割〜7割近くを占めてしまうそうです。
ある意味 予想どおり・・かもしれない(あまりにも優勢な)人気仏像トップ三強ですが、只、これは国内全般においての彫像数をもとにしたもので、これを “寺院の本尊” という枠でフィルタリングすると少しだけ異なる様相を顕にします。
・寺院本尊設置数
第一位:阿弥陀如来
観音菩薩を抑えてトップに躍り出る。「浄土宗」「浄土真宗(本願寺派・大谷派など)」では、教義上、本尊は阿弥陀如来と決まっており、国内寺院の約3割近くが浄土系宗派であるため、それだけで膨大な数の「阿弥陀本尊」が存在する。
第二位:観音菩薩
設置数二位ながらも歴史的な人気からやはり健闘。天台宗、真言宗、禅宗(臨済宗・曹洞宗)など、設置本尊の自由度が高い宗派で広く “寺の顔” として愛されている。
第三位:薬師如来また釈迦如来
仏教の祖でありながら自制力の高さゆえか一般からやや遠い感のあった釈迦如来。曹洞宗(禅宗)本尊の原則に則ってここでついに三位に入る。 薬師如来は真言宗や天台宗の古いお寺での本尊設置が効いている。
(「国宝・重要文化財(彫刻部門)」指定データをもとに推定)
そして少し専門的になりますが、ここでもうひとつ注目したいのが “仏教世界におけるトップ3” つまり “釈迦如来” “薬師如来” “阿弥陀如来” の如来三尊。 実はそれぞれにその担当するエリア(ご利益の方向性・関わり方)に割と明確な違いがあるということです。
・釈迦如来 [ 担当時空 過去・現世 ]
仏教の根本・開祖として今を生きる心の平穏や悟りを説く。
・薬師如来 [ 担当時空 現世(東方浄土)]
今生きているこの世界で、病気を治し、健康を図る。
・阿弥陀如来 [ 担当時空 来世(西方極楽浄土)]
死んだ後、現世での尊卑に関わらず見捨てずに極楽浄土へ導く。
まるで仏様も現世・衆生に対する分業体制を敷いているかのようなご様子・・。
しかしこれらは古から続く、”病気など現世の苦しみ” は薬師如来に癒しを頼み、”死後への不安” は阿弥陀如来に救いお願いする・・というように、本尊のキャラクターに合わせた人間側の信仰体系が本質にあると言って良いでしょう。
またそこに、同じ仏像でも立像(りゅうぞう)/ 立ち姿のものや坐像(ざぞう)/ 座り姿、さらに臥像(がぞう)/ 寝姿など、その姿勢による仏の意思の現れ方にもそれぞれ違いがありますが・・。
・立像 即時救済の行動力(釈迦によれば修行中)
・坐像 教えを説く安定感(釈迦によれば瞑想中)
・臥像 悟りの向こうの世界(釈迦によれば解脱)
これらもやはり、仏教世界に依るところの原理や教えと、人間社会における切実な願いや想いとの交錯の中で生まれた形といえるでしょう。
神や仏は超常絶対的な存在であると同時に、人の思いの上に在り続けるものなのです・・。
実は今回・・、当初は神奈川県にあるお寺と その御本尊によるお話を書くつもりが、それにまつわる情報を調べているうちに いつの間にか脱線してしまい、仏像そのものとその宗教観的背景の話題となりました。
今記事では 仏像というものをその人気度シェアや役割別タイプから見てきましたが、こうした “仏と人の関わり合い” というのは どの国でも同じようなものかと思いきや・・。
かなりその様相には違いが見られ、同じ仏教国でありながら “観音・阿弥陀・薬師” 仏の存在すらあまり見られない場所さえあるようです。
日本的宗教観で見ると意外に感じますが、そこはその国毎の歴史・風土・観念というものがあり、その国ならではの仏教社会なのでしょう・・。
その辺りも含め、次回(今回の記事になるはずだった伝承)と共にお送りしたいと思います。
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