阿波国徳島県。・・その西の端、それはもはや愛媛県との県境にも近い内陸の場所。 否、内陸どころか秘境とさえ呼ばれて憚らない山間の地が “大歩危(おおぼけ)” そして “小歩危(こぼけ)” です。
イナバナ.コムが始まって間もない2017年7月に、その秘境具合いに伴った “妖怪街道” や道の駅などを取り上げ、また2021年にほぼそのまま再掲載させていただきましたが・・。
四国山地のど真ん中、断ち割るかのように南北に流れる吉野川を見下ろす山々に囲まれながら、やはりこの地には往古彼方の時代から幽玄の世界と隣り合わせに歩んで来た何かがあるようです・・。
その名も「阿波秘境七福神」。 別名 “阿波秘境祖谷渓・大歩危七福神” とも呼ばれる巡礼路。
わざわざ “秘境” などという現代人受けするワードを挟んでいることからも伺えますが、この山間路が巡礼路として改めて整備され運用され始めたのは近年のお話です。 七福神というのも原初の本尊というわけでなく各院に相応した配神という形。 以前の記事で触れた “妖怪街道” と同じく、言うなれば観光を見据えた施策のひとつといえましょうか・・。
しかし、単に山深く何がしかの寺院があるだけの場所に、そうした名ばかりのトリップルートを設けたところで、遅かれ早かれいつかは地金を晒してしまうもの。
そこをして この大歩危の七福神ルートは如何なるものかと思いきや、この七福神にまつわる道は、いずれも平安から室町時代に開基起源をもつ古刹によって構成されているそうです。
それも七福神など ひとつの枠組みで定められた他所の巡礼地の殆どが、数多の宗派の寺院を併せて形作られているのに対して、”阿波秘境・大歩危七福神” の構成7ヶ寺は全て “真言宗御室派(総本山:京都・仁和寺)” で統一されているのだとか。
これは全国的にも珍しく、古くから祖谷や大歩危・小歩危といった険しい山岳地域一帯に、弘法大師(空海)の教えや密教文化が深く、濃密に根づいていた歴史を色濃く反映しています。
“真言宗御室(おむろ)派”。 何か近代に発生した真言宗の一宗派のようにも聞こえてしまいますが、その創始は古く平安時代。
第59代天皇宇多天皇による勅願によって創建された “仁和寺(にんなじ)” を総本山として立宗され、歴代の門跡を皇族より迎えながら その歴史を紡ぎました。 出家後の法皇の御所であったことから “御室” の名が載せられています。
創始 “空海” の法を伝える “古義真言宗” の一翼を担った御室派は、古の真言宗の中で趨勢を広げ、”歩危” と呼ばれるほど入り込んだ山里にも届きました。
池田町・山城町・西祖谷山村にまたがり点在する七ヶ寺は、秘境の里で生きる人々の心の支えとなり、日々の暮らしの礎となっていたのです・・。
「松尾の せどさく」
今はもう池田町と呼ばれて久しいが、昔、三縄に松尾という名の在所があった。
何せ 中津山の腹にへばりついたような村だもんで平たい土地は狭く、その頃といえば炭焼きか、さもなければ猟で日々の糧を得る者が多く・・。 昼なお薄暗い林や谷川の畔なんかで皆働いていたもんだ・・。
その狩人の中には中々の名人がいた。
名を “せどさく” と言うた。
親の代から続く狩人で子供のころから山へ入っておったので、どの沢には鹿が来るとか山鳥はどの原にやって来るとか、山のことなら知らぬものはないくらいの狩上手であったと。
村の者が狩りに出掛けて行くとき、
「せどさくどん、今日あたりは何処へ行けば猟が多けりゃ?」
と聞けば、
「そだな、あの前山の池の端には、今日あたりは猪が来とるンじゃねぇかな」
と教えてやった。
村の者は、言われたとおりに その場所へ行けば、きっと何かしらの獲物にありついた。そんな訳で せどさくは皆からたいそう重宝がられておったのやと・・。
そんな せどさくやったが誰にも教えない秘密の猟場をもっていた。それは中津山の頂上近くにある沼の畔であった。
その沼には一面にじゅん菜が生い茂っているのだが、その沼の下手のところに猪のヌタバ があった。ヌタバというのは猪が寝ころがっ て体を地面にすりつけるところである。
そこへ 行くと決まって猪がいるので、せどさくはいつも火縄で猪を撃ち獲っていた。 手ぶらで帰ることなどありもせず、いつも大きな獲物を抱えて来るので、せどさくは猪撃ちの名人として有名になっていた。
「せどさくは大したもんじゃ。今日もまた猪を撃って来たわ」
「せどさくどん、猪はどこにいるのかいのう」
と皆が口々に聞けば、せどさくは、
「うん、まぁ山へ行けば居るけにのう・・」
と、どこの猟場でとって来たとも言わずにいた。
せどさくにとって、かけがえのない猟場やったのじゃ。
さて、山で猟をはじめてから長い年月が経った。
せどさくもそれなりに年をとった。そんなある日のこと・・。
この日もせどさくは、いつものように女房に弁当をこしらえてもろうた。
メンツという曲げ物の弁当箱の中に栗をいっぱいつめさせて、太布(コウゾの木の繊維で織った布) の袋の中には二食分ばかりの粟と麦を入れた。 山へ行くときはいつも三食分を持って行くのである。
腰には弁当と袋を吊るし、肩には火縄銃を掲げた。
もう十年ばかりも飼いならしている犬を連れて、わが家の横の山路を登りはじめた。
「せどさくどん、今日も山に行くのかい」 村の者が声をかける。
「ああ、行くとも。ワシが行かなければ、山の獣も寂しがるからのう」
せどさくが答えれば
「そうじゃろうのう。もう何十年も山に入っているのじゃからのう・・」
と、村の者も相づちをうったそうな。
やがてせどさくは、松尾の村の高みに建っている光明寺の傍を通りかかった。
すると その時・・。 せどさくは ふと何か不安なような、淋しげなような不思議な気がしたのだと。
いつもは仏様を拝むことなどしないせどさくだが、今日は妙に気に掛かって「南無や光明寺のご本尊さま・・」と手を合わせたと・・。
そして犬を連れて中津山への山道を辿り上った。 一刻ばかりも歩いて頂上へ出た。
しかし肝心の沼の畔のヌタバには今日は猪の姿が見えない。
仕方がないので山風呂の在所の辺りまで下りてみようと山道を下っておると一頭の大きな猪がいるのを見つけた。
せどさくは狙いを定め一発撃ち放すと確かに手ごたえが あった。しかし猪は暴れ狂うこともなく平然としている・・。
「これは、どうしたことじゃ・・?」
そう思うて、せどさくはもう一発と撃ち放した。しかし それでも猪は身動きもしない。
これでもかとばかり、またも一発ぶち放すと猪はついにどうと倒れた。近寄って見ると猪はもはや息絶えていた。
そのとき急に不思議なことが起こった。今まで照りかがやいていた太陽が雲の間に隠れ、 風がざわざわと音を立てる。 まだ日も高いのに辺りはまるで夜のようじゃ。
そこでせどさくは、
「これでは猟にもならぬし家にも帰れぬ。 ここでひと休みしよう・・」
と焚き火にかかると、さっきまで傍にいたはずの犬が姿を消したのに気がついた。
どこへ行ったのかと思っていると、犬は谷間の方から上がって来たが、口にいっぱい水を含んでおって 焚き火を消そうとする。
いつもならば、せどさくの傍でじっとしている犬が、これは何の真似だと不思議に思っているうちに犬はまた谷川の方へ下りて行った。
風はひょうひょうと吹いて来て空はどこまでも暗い。
焚き火がうまく燃えないので、せどさくがいらいらしていると犬はまた口いっぱ いに水を含んで来て、とうとう焚き火を消してしまった。
そのときになってやっと、せどさくは気がついた。
「あぁ、あぁ!そうか・・! 今日がそうなのか!」
「足掛け三十余年、ついにワシは “千匹猟” をしてしもうたのか・・!? 祟りじゃ、祟りじゃ、山の神のお叱りを受けてしもうたのじゃ・・」
両の手で顔を覆っていた せどさくじゃったが、やがて傍に生えている木を引き抜くと先ずは犬を打ち殺した。そしてその木で草木をなぎはらいつつ、中津山の奥へ奥へ・・。
誰も足を踏み入れることがないような森の奥へと入って行った・・。
せどさくの家では女房が、夫も犬もいつまで経っても帰って来ないので心配しておった。
ところが夜中になって夢ともうつつとも分からぬ間に、女房の夢枕にせどさくが立った。
そして、
「かか、すまぬ。 ワシは千匹猟をしたので、もはや家には戻れぬ身となってしもうた。中津の山の天狗になるが、毎年大晦日には家へ帰って来るけに・・」
と言うのであった。
それからというもの、せどさくの家では毎年大晦日になると座敷の床の間に餅を供えておいた。 すると明けの元旦の朝には供えの餅はきれいに無くなっていたそうな。
夜遅くに せどさくがやって来て餅を食べ、また人の知らぬ間にまた中津山へと戻って行ったのだろうといわれた。
こんなことが何年か続いたある日のこと、中津の山で今は天狗になった せどさくに会った村人がいた。
村人は帰って来て皆にその話をしてから、頂上の沼の畔にせどさくを祀る小さいお堂を建てた。 また、光明寺の祭りには せどさくを供養して盆踊りをすることにもなった。
天狗になったせどさくは今でも中津山のあちらこちらを飛んでいるのだ、と村人は言う。そして大晦日には決まって我が家のある辺りまで帰って来る・・ということだそうな・・。
山の獣をあまりに多く獲ってしまったため その神罰を被った・・と、単純に言えばそういうお話なのですが、ここで注視したいのは せどさくの受け入れ方ではないでしょうか・・。
普段、神仏にあまり気を払わない性分もあっての “千匹猟” の至りだったのでしょうが、己が身に起こった祟りを知った後は、嘆きながらもそれに抗うでもなく運命を受け入れています。 永年に渡って命を獲り続けた上に、その一線を越えた者が払うべき代償を心の底で理解し覚悟しているようにも思えますね。
人が生きてゆくことと、それに伴う自然への負担や弊害を身を持って知っていることの証なのかもしれません。
そしてこうした人生観やそれに基づく伝承の礎には、やはり地元の宗教的文化が色濃く影響していることが伺えます・・。
現在では観光的な要素も少なくない七福神巡礼ですが、秘境ともいわれる “阿波祖谷渓・大歩危” には、遠く失われてしまった幽玄たる人と自然の結び付きが今も息づいているのでしょう・・。
「阿波秘境七福神」 構成寺院概要
・光明寺 (中津山)池田町松尾松本 [恵比須大神]
本日のお話の舞台。中津山大権現の信仰とも関わりが深い。
・八幡寺 (鳩峰山)池田町白地本名 [大黒天]
吉野川を見下ろす白地(しらじ)地区に位置する。
・雲辺寺 (巨鼇山)池田町白地ノロウチ [毘沙門天]
四国八十八ヶ所巡りの遍路転がしの難所としても有名。
・安楽寺 (鶏足山)西祖谷山村上吾橋 [弁財天]
西祖谷の山深い集落にあり、平家落人伝説の影を残す地域。
・長福寺 (瑠璃山)山城町大月 [福禄寿]
新四国曼荼羅霊場にも数えられる。
・持性院 (光明山)山城町上名 [寿老人]
大歩危駅の裏手側の山を登った場所にあり、ツツジの名所。
・円明寺 (宝珠山)山城町国政 [布袋尊]
妖怪「児啼爺(こなきじじい)」の伝承地(藤川谷)に近い。
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