「夏も近づく八十八夜♪ 野にも山にも若葉が茂る・・♪」
先日、5月2日(土) が “八十八夜” でした。 立春である(2026年は2月4日)から数えて88日目の日を言い、季節の移ろいや農作業の節目を表す “雑節” のひとつにあたります。
上にあげた歌詞は言うまでもなく唱歌「茶摘み」の歌い出し部分であり、昭和世代ならば多くの方がご存知かと思いますが・・。
既に30年50年の時が過ぎて小学校で習う唱歌の内容もかなり変わってきているようで・・。 昔のように全国一律で同じ歌を覚えるというよりも、音楽そのものに対する興味や素養を育てる方向になっているそうです。
それでも明治終盤に初出して以来100年に渡って歌い継がれてきた「茶つみ」は、その明るくノリの良いテンポと長閑な茶畑風景を思わせる平和な内容から愛され続け、今でも一部の音楽教科書に載せられることもあるそうです。
只・・、その安らぎと希望に満ちた歌のイメージからは想像し難い現実が、この歌に織り込まれているのも事実のようで・・。
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八十八夜、5月のはじめ。もちろん地域による差は様々にありますが、5月の初旬ともなれば既に春も終盤。そろそろ新緑や梅雨、初夏という言葉も遠くない季節。
服装選びが微妙に難しい時期でもありながら、気温としては凡そ過ごしやすく暖かな頃合いといった感じではないでしょうか。
しかし、農業に関わる方にとっての八十八夜は、古来そんなのんきなものではなかったようです。
それどころか “一晩で一年が終わる” と言われるくらい厳しい気象現象・・、ときに災害となるほど辛い結果を来たす時期。それが八十八夜のひとつの側面といえるでしょうか。
その気象現象とは “霜”。4月の終わりから5月の頭にかけて到来すれば農産物に大きな被害をもたらす「遅霜(おそじも)」と呼ばれる “季節外れの霜” こそ農家の大敵であり、後手に回れば壊滅さえ招きかねない一大事なのです。
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別に “八十八夜の泣き霜” と伝わるほどの被害。それまで順調に育ててきた成果を台無しにしてしまい、”泣いても泣ききれない” ほどの状況が込められています。
最早、春さえ過ぎ去りそうなこの時期。移動性高気圧の到来に合わせて前日との寒暖差が大きく風の弱い夜。いわゆる放射冷却が現れやすい日。 気温が0℃でなくても3〜4℃を割り込む状況なら その遅霜は発生するそうです。
さらに冷気が溜まりやすい盆地の開けた農作地ならば尚そのリスクは高まるのだとか。
農業技術が進んだ近代においては様々な対策が施されており、往古に比べその実害は抑えられていますが、それでも全ての田畑に行き届いているわけでもなく、毎年少なからぬ被害が発生しています。
温暖化がいわれる現代なら昔ほどの冷害もなかろうと思いがちですが、温暖化によって作物の生育が早められ、それが却って被害を大きくする一因ともなっているのだそうで・・。決して “昔の話” ではありません。
先にも書きましたように、都市部や住宅地に住み農業に関わり薄い暮らしをしていると、5月の初旬など良い気候という感覚しかありませんが、ひとつ立場が違えば、同じ季節でもまったく別の顔を見せる。 八十八夜はその典型なのかもしれませんね・・。
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続けて、歌詞一番の末に登場する “茜襷(あかねたすき)” は茶摘みの作業者が掛けている茜色のタスキですが、これにも民俗学的に一説ありまして・・。
目にも鮮やかな茜色ですが、これはお洒落や茶摘みの象徴だけでこの色にしているのではなく。
タスキを染める “茜” に “止血効果” があり、それが茶摘みの作業に付き物の手先の怪我に効用があるというもの。 また、赤い色は魔除け・厄除けの意味合いが込められているなど。
つまるところ、それだけ茶摘みの作業は、古来苦労を伴うものだったということなのでしょう。
一聴、長閑で暖か、平和で元気に満ちたものに聴こえる歌の中にも、こうした農業の厳しさや危機感が 本当にさり気なく織り込まれているのです。
楽しく優しい歌なればこそ、そこに歌い込まれているキーワードは深い意味を持ち、ことさら “八十八夜” は季節の注意事項 “雑節”、経験則による警告として現代にまで受け継がれているのでしょう。
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最後になりましたが「茶摘み」といえば、もうひとつ思い出すものがあります。
子どもの頃、休み時間や放課後に友だちと遊んだ “手遊び”。 私たちの地域では「お手つき」と呼んでいました。
「せっせっせーの よいよいよい♪」と手を合わせたり、すれ違わせたりするあの動き。 意外にも思えますが、あれも元を辿ると茶の新芽を摘み取る手の動きを模したものだとも言われています。
もちろん、現代の子どもたちがそんな由来を意識して遊んでいるわけではありませんが、気がつけば茶摘みの所作が遊びの中に形を変えて残っている。
歌や暦だけでなく、こうした “手の記憶” にまで季節の文化が息づいているのだと思うと、何だか不思議な気持ちになりませんか?
牧歌的な唱歌の世界と、農家の厳しい現実。
そして、子どもたちの遊びの中に残る茶摘みのリズム。
八十八夜という一日の背景には、こうした多層的な季節の記憶が折り重なり合っているのかもしれません・・。
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八十八夜に摘む茶葉は品質が良く、これで淹れたお茶はことさらに美味しいといわれます。 農家の厳しい試練であると同時に、それさえ越せば実りと笑顔がやって来る希望の試金石でもあるのです。
一杯のお茶を召し上がるとき こんなことを思い出してみるのも一興ではないでしょうか・・。

