遅ればせながらで恐縮ですが・・。
本年夏の甲子園にて23日、沖縄県から出場していた「沖縄尚学高等学校」が優勝。 翌日 深紅の優勝旗を地元に持ち帰りました。那覇空港では1000人に及ぶファンがチームメンバーを迎え、また県内数多の場所で応援を続けてきた県民たちがその栄誉を称えました。
沖縄から夏の甲子園大会に出場、優勝を果たしたのは2010年出場の興南高等学校(このときは春夏連覇)以来15年ぶり、2度目(夏)の優勝だったそうです。
その過酷な歴史と地理的要因などから昭和中盤期には参加することすら困難であった沖縄県。
昭和33年(1958年)まだ米国の統治下にありながら初めて夏の甲子園に出場(第40回大会・当時の首里高校)したときは、1回戦敗退ながらも その健闘ぶりに大きな感銘をもたらしました。
されど、まだ統治下(米国の管理領土)であったことから、せっかく持ち帰った甲子園の土を、那覇港の検疫で全て没収され廃棄されたという悲しいエピソードは知られたところです。(植物検疫法)
後にその話を聞いた日航搭乗員(当時のスチュワーデスさん)たちが、土がダメというなら・・と実際に甲子園球場に赴き、外野の小石を集めて搭乗員同士で取り次ぎ々々、球児たちのもとに届けたという福音が生まれたことは せめてもの救いであったでしょう。
昭和43年(第50回大会・1968年)には興南高校が準決勝にまで進出するなど、沖縄高校野球の力量も着々と増していきましたが・・。
ともあれ昭和47年(1972年)の沖縄(及び大東諸島)本土返還まで沖縄県はいわば “外国の扱い” であり、当時の状況にまつわる経済的問題も相まって数多の困難を背負いながら歩み続けてきたのです。
戦時中の災禍や後の基地問題など今なお残るところではあるものの、今日の平和と栄誉はまさに隔世の感たる晴れやかさであり県民の誇りでありましょう・・。
沖縄県のみならず九州以南、北海道、東北地域など、大会球場からの遠隔地は参加・出場だけでも大きな負担と労力を必要とします。
当イナバナ.コムは全国の都道府県を応援する立場から、どこか一つの自治体に肩入れするものではありませんが、今回の優勝には素直な気持ちで賞賛をお送りしたいと思います。 おめでとう!


