「芸術は爆発だ!」 彫刻や絵画に興味のない方でも この言葉に聞き覚えのある方は多いのではないでしょうか?
昭和時代、日本の芸術家として知られた “岡本太郎” 氏。 その奇矯とも思える発言や人となりからメディアなどでもよく取り上げられ、”ちょっと変わったおじさん” のように感じておられた方も少なくなかったかもしれません・・。
氏の残された作品は膨大な数に上りますが、やはり最も著名なものといえば1970年(昭和45年)大阪吹田市で開催された「大阪万博」における『太陽の塔』でしょう。
高さ70m 両腕の端々60mにも達する巨大な塔は見る者の度肝を抜く斬新な造形、当時まだ一般に認知されていなかった “岡本太郎” の名を一躍世間に知らしめました。 氏一人の功績ではありませんが、”抽象的” “シュールレアリズム” といったワードが一般化したのもこの頃からといえましょうか・・。
ご存知のように『太陽の塔』が本年(令和7年)5月16日付、文化審議会において国の重要文化財指定の答申を受けました。 建造以来55年の時を経て、日本の歴史の1頁を飾る貴重な資産として認定される予定です。
異形とも言えるその姿は当時から数多の感想と議論の渦中ともなりましたが、この塔が高度成長期の日本の象徴的役割を果たしていたことに疑いはありません。 それは単に栄華に湧いた過去への憧憬ではなく、躯幹に映える3つの顔の如く未来への展望につなぐマイルストーンでもあるはずです。
神奈川県「川崎市岡本太郎美術館」にて、企画展『岡本太郎と太陽の塔 〜万国博に賭けたもの』が7月6日(日)まで開催されています。
人の想いやその本質など第三者から分かろうはずもありません。あくまで その人の外見や普段の振る舞い・発言などから想像する範疇に留まるでしょう。
しかしそれでも敢えて言うなら、岡本太郎にとっての芸術は(爆発である前にw)彼の存在そのものであり、彼が世に問う人の根源の意味なのかもしれません。
芸術は得てして崇高なもの無限の美に連なるものと捉えられがちですが、氏は自らが生み出す作品に対して全くといって良いほど美を求めていません。 むしろ深層意識を覗き込むような不安や衝撃の中にこそ芸術の意義があるというスタンスのようです。
原始時代に繁茂していたとされる螺旋状のシダ植物や太古の裸子植物、多足やアンバランスなど異形の動物など。 氏の作品に感じる戸惑いとは原始的な存在や精力に対する違和感にも似ているようにも思え・・。
岡本太郎が発する世界への問いかけとは人を含めた世界全ての根源の意味であり、そこに脈々と流れる不測のパワーであり、そして過去・現在・未来へと連なる生命の大樹なのではないでしょうか。
神奈川県川崎市高津、東京都と県境を分かつ多摩川を仰ぐこの地は岡本太郎の生地であり、不安定な幼少時の心を育んだ故郷でもあります。
氏から川崎市へと寄贈された352点の作品を展示するべく、隣接する多摩区生田緑地に「岡本太郎美術館」が落成したのは1999年(平成11年)のことでした。
敷地最奥にそびえるシンボルタワー「母の塔」は、紛うことなき氏のデザインであり “生命の息吹” を讃えています。
氏の足跡を独特の演出空間で辿る常設展示エリア、特設展覧会のみならず新進作家の展示会や参加型のワークイベントも開かれる企画展示エリア。 カフェテリアやミュージアムショップも併せて、岡本太郎の世界を知る殿堂といえましょうか。
『岡本太郎と太陽の塔 〜万国博に賭けたもの』
「人類の進歩と調和」という1970年万博の理念にさえ反骨の精神で挑み、根源・原点からの脈絡を標榜した「太陽の塔」。
熱く生き抜いた氏のテーゼの全てを注ぎ込んだ巨塔は、最早 作品という枠を超えて人の後先を、現在を生きる私たちに語りかけているのかもしれません・・。
本日は神奈川県川崎市「岡本太郎美術館」より企画展のご案内でしたが、本文中のシンボルでもある “太陽の塔” も、ご存知のように大阪吹田市の「万博記念公園」内で威風堂々そびえ立っています。(太陽の塔観覧は事前予約制)
昭和中期を知る世代には懐かしき “世紀の祭” とその象徴ですが、それに縁のない若い人たちにも感じるところが見つかるかもしれません。 本年は2025年の夢洲大阪万博で賑わう年ですが、こちらも見どころに満ちたスポットだと思うのです。
太古を背負い現在を見据え未来を望み続ける真白き巨塔、会いに行ってみませんか・・?
『川崎市 岡本太郎美術館』公式サイト
・川崎市多摩区枡形7-1-5 生田緑地内
『万博記念公園』公式サイト
大阪府吹田市千里万博公園1-1