異獣または雪男も含む北国の辞典 – 後

もう30年も前のことになりますが、仕事で半年間ほど海外に勤めていました。 文字や言葉を違える暮らしの中で目新しいものに触れ面白い日々でもありましたが、日本とは異なる様々な “常識” には度々苦労させられた記憶が残っています。

日本の常識は他国の常識ではない。自分の普通は他人の普通ではない、ということをつくづく思い知らされた貴重な経験の日々でもあったのです。

世の中には自分の知らない世界や価値観がある。その認識自体が常識となりつつある現代でさえ、中々周知できないのが人間の性というもの。 いわんや江戸時代ともなれば “推して知るべし” の状況だったのかもしれません・・。

 

雪国の暮らしや習俗を全く知ることのない江戸の人々。時に町とは全く異なる故郷の風土を広く知らしめることは、鈴木牧之にとって単なる願いにとどまらず、人生の指針となっていたのでしょうか。

数年掛かりでしたためた風土記『北越雪譜』の出版が思うに任せない中。 それでも諦めきれなかった牧之は、その後も著作の続編を著しながら新たな手立てを求め続けました。

「南総里見八犬伝」で著名な滝沢馬琴、”粋” で名を馳せ浮世絵師としても知られた山東京伝らに協力を求めながらも、出版までの道のりは遅々として開かれなかったようで。

伝手を変え頼りを移しても何とか出版に漕ぎ着けたい牧之・・。
江戸での発行が無理ならば上方でと、大阪にまで足を運んで交渉したといいます・・。

 

天保8年(1837年)、山東京伝の弟 京山が牧之のもとを訪ねました。版元との間を取り持ってくれるとのこと。

寛政10年(1798年)に 書を持ち江戸に赴いてから実に40年近くの時が経っていました。 牧之このとき67歳、まさに半生を賭けた想いがついに実を結んだのです。

『北越雪譜』初版本 画像©鈴木牧之記念館

ようやく世の光に晒されることとなった『北越雪譜』。
そしてどうでしょう。 それまでの版元たちの予想を覆し『北越雪譜』は出版されるや否や、間を置かずして話題の書となり一刷だけで数百部を売り上げるベストセラーとなったのです。

北の国に雪が多いことは知っている・・。しかし、そこにある現実は自分たちが予想もし得ない事象を見せながら息づいている。

精細な挿絵を伴って繰り広げられる “雪国” の未知なる光景。江戸の市民にとって左様、異世界さながらの驚きに満ちていたのでしょう。

 

長い間に書き進められ積み重ねられた書は既に複数刊、125話、55の挿絵図版によって彩られています。

前回の記事でも触れたように初編上刊は、越後の冬の地勢天候から雪の結晶の図入り紹介から始まる念の入れよう。それも全ては厳しい冬場の暮らしを伝えるための序章の役割りを担っていたのでしょう。

無知の愚かさとでもいうか「雪中洪水」など この書ではじめて知る災害の章もあります。 村落を流れる川の一部が降り積もる雪で堰き止められた場合、溢れ出た水が洪水となって村を襲うのだそうです。

おそらく、こうした事態は人の目の行き届かぬ夜間に起こりやすいのではないでしょうか。 凍てつく冬の夜暗の中、村を流さんばかりに押し寄せる氷水の恐怖など、考えるだけでも背筋が凍りそうですね・・。

また、これは現在でも同様ですが、屋根の雪下ろしは雪国の暮らしに不可分のもの。

古く軒と軒を隔てる道がまだ狭かった時代、それぞれの家から下ろした雪は、間の道に沿って長く積み上げられていきました。 道ではなく雪の壁によって家々が隔てられる状態です。

そのままでは生活不便なこと極まりないので、雪壁に穴を開けて向かい側への通用路とするのだそうで、これを “胎内潜り” というのだそうです。

さらに、屋根に庇(ひさし)がない村落では歩く通路が確保できないため、雪の壁に階段を作り雪壁の上を通路として使うのだそうです。 いずれも雪国ならではの風土・暮らし方であり、その地に生きる者でなければ、その苦労も風景も実感できないものといえましょう・・。

 

『北越雪譜』ではこうした現実的な越後の風土・事象とともに、雪国ならではともいえる風習や民話・奇譚なども数多く取り上げられています。

初編が上、中、下の3巻、好評につき初版から4年後には第二編が4巻、計7巻として発刊されました。 今記事の題名であり、前回ご案内した「異獣」も第二編4巻に収録されている奇譚伝承のひとつです。

「異獣」に関しては前回の話以外に もう一つの異聞が載せられており、そちらでは・・。

先の話にも近い村でのこと・・。
機織り上手で知られる娘がいた。

ある日のこと、家の者が出払って娘が一人機屋で縮(ちぢみ)を織っていると、窓辺に見たこともない姿の大男が現れた。

驚いて逃げようとしたが機の張りを保つため、体を紐で織機に結んでいたので思うに任せなんだ。

大男といえば暴れる様子も見せず、部屋の奥にあった飯櫃をじっと見つめておる・・。

やがて落ち着きを取り戻した娘は腰紐を解くと、握り飯を二つ握って大男に与えた。 大男は喜んでそれを頬張り やがて何処かへ去っていったという。

ある時、大身の者から上等縮の急ぎ注文が娘のもとに舞い込んだ。

娘は喜んで機織りに取り掛かったが、その矢先 娘に月水(生理)が始まってしもうた。

習わしにより機屋に入れなくなった娘、織ることができず縮を納日に間に合わせることも叶わぬ。 親とともに悲嘆に暮れた・・。

 

そんなとき、一人でいた娘の前に あの大男がまた現れた。

娘は大男にまた握り飯を与えながら、思わずも今の窮状をつぶやいたと・・。

大男はひとことも人語を話さなんだが、何やら念じるような素振りを見せ・・そして立ち去っていった・・。

すると その晩、娘の月水が急に止まった。

驚いた娘と家族だったが、娘は急いで禊(身を清めること)を済ませ機屋へと入った。

無事に納品を済ませることができたという・・。

 

この話でも大男は握り飯の礼を成す報恩譚となっています。
当地での「異獣」は人間にとって親しみやすい印象の方が強いのかもしれませんね。

それとともに知れるのが、当地においての機織りに対する意識。
古の時代、名産・特産を抱える地には、それらにまつわる神や仕来たりを守ることが多いですが、ここ越後魚沼での縮織りに対する意識もそれにあたるものなのでしょう。

画像©トヨタ産業技術記念館

身を清めて仕事にのぞむことは揺るぎない習わしでもあるのです。

こうした “縮” に関する詳細な著述があるのも、鈴木牧之自身が縮も扱う商家であったからではないでしょうか。

 

今回の記事に登場した “異獣” は、現在「雪男」として日本酒のラベルに その姿を見ることができます。

神霊のごとく山村に現れる気安く毛深き大男。雪国ならでは、それを「雪男」と言い表すのは “言い得て妙” といったところ。

さらにその銘酒を醸す酒蔵「青木酒造」は、単に「北越雪譜」に知恵を借りたわけではありません。

「青木酒造」は12代 創業300年の歴史を誇る魚沼最古の酒蔵。その7代目には牧之の次男・弥八が携わっており、青木家と鈴木家には往時からの深い関わりがあるのです。

牧之が遺した『北越雪譜』よろしく、雪国の風土と香りを今に伝え続けているのでしょう・・。

最後に『北越雪譜』の一部を(意訳ながら、それも漫画で)見ることのできるリンクをご案内しておきます。

『北越雪譜・4コマ漫画』こちらをクリック・上・中巻から (注:SSL対応されておりません。)

新潟県南魚沼市塩沢にある鈴木牧之の記念館。 ご興味のある方は是非! 牧之が伝えようとして止まなかった “見知らぬ世界との新たな出会い” が、そこにはきっとあるはずです・・。

『鈴木牧之記念館』公式サイト(注:SSL対応されておりません。)

Amazon:『北越雪譜 鈴木牧之集』(古典名作文庫)

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