聞く者の心まで温める津軽の雁風呂 – 青森県

「雁」 普段あまり目にすることが少ない文字ですが、お分かりになられるでしょうか?
そのとおり、「がん」もしくは「かり」です。 “鴨(かも)” に似た水鳥ですね。

さらに似たような鳥に “アヒル” がありますが、アヒルは野生の鴨を人間が家禽化(飼いならす)しているうちに独立した品種として転化したものであり、本質的には鴨とほぼ同種の鳥だそうです。 アヒルというと “ドナルド・ダック” のような白色をイメージしますが、灰色のものや暗褐色のものも存在します。

雁の文字に話を戻して・・、何故、普段目にすることが少なくなったかというと、古く食用として乱獲の憂き目に会い個体数が減った。 捕獲禁止されたものの環境の変化などにより雁そのものを見る機会がなくなってしまった。また社会的・文化的な意味からも その存在意義が薄らいでしまったから・・なのかもしれません。

 

日本における肉食文化の歴史は既に縄文の頃から始まっていましたが、飛鳥時代の仏教伝来とともに肉食禁忌の思想が広まったことにより、大きな制限を課されることになりました。

無論、禁忌とはいえ犯罪や色情とは異なり、食に通じ生に通じるところ、身分の上下、全国 津々浦々にまでこれが徹底されたわけでなく(仏僧なども含めて)相応に食されてはいましたが、「肉食は “殺生” に当たるもの」との意識は強く根付いていたのです。

生きるものの生命を獲って糧として食らう・・。と言うならば 植物も含めて全ては同じ価値だと思うのですが、そこは人間、見た目や主観に大きく左右されるようで・・。 同じ動物であっても “足の数” で禁忌の度合いを調整していたのが面白いところ。

すなわち “4本足の獣肉食=禁忌大”、”2本足の鳥肉食=禁忌中”、”足の無いもの(魚)=禁忌小” というスタンスでした。 猪(イノシシ)の肉を「山鯨」と言ったり、兎の肉を「鵜鷺(ウサギ)」と称して鳥として扱い食したのもこうした理由からです。

近代、昭和以降は「鶏(にわとり)」による鶏料理が大半となりましたが、「雁」や「鴨」また「軍鶏」などは かつて大いに食される、暮らしに近い鳥であり存在であったのです。

それが、社会の面識から遠のいたのは、人々の食文化の変化とともに それら個体数の減少が原因でもありましょう・・。

明治時代に乱獲によるもの、以降の近代化により自然環境の悪化・生息地の消失など、いつの間にか彼らはその姿を消していたのです・・。

 

「雁風呂」というお話があります。
元々は講談の一話であったそうですが、”オチ(下げ)” を付けて落語にも取り上げられました。 何とあの “水戸黄門” 御老公様が登場します。

詳細は動画を見ていただくとして簡単な概要をば・・。

『雁風呂』(がんぶろ)ーーー

遠州(静岡)掛川宿の茶店に立ち寄った黄門様御一行、その店の奥に立ててあった屏風絵に目を取られる。

画匠 “土佐将監” による名作と見抜くものの、そこに描かれている「松と雁」の組み合わせに首を傾げる・・。(通常、松には鶴や鷹の組み合わせが相応)

そこへやって来た大阪商人の二人連れ。 黄門様たちから少し離れたところへ腰を落ち着けるもやはり屏風の絵に目が行く。 しかし、彼らはその “松と雁” の由縁「雁風呂」を知っていた。

どころか「雁風呂」の話を知らぬ者など居ようはずがない・・旨のヒソヒソ話を二人で囁きあっている・・。

これを小耳に挟んだ黄門様。 お供の者に命じてその商人に「松と雁」の由縁を教えてくれるよう頼み込む。

突然、武家筋からの申し出に戸惑い はじめは辞退を願う商人だったが、黄門様のたっての願いによって おずおずとその「雁風呂」の話を語りだす・・。

~~ 絵に描かれた松は津軽(青森)の浜辺に立つ “一木(ひとき)の松” と申します。
ここへ毎年秋になると遥か彼方の “常磐の国(ここでは北方の異国の意味)” から、雁(かりがね)が越冬のために飛来するのやそうで・・。

ところでこの雁、旅立つときに、途上の波間で羽を休めるため一本の柴をくわえて飛んで来ては、ようよう津軽の浜に着くとその柴を松の根元に放り出し その冬を越すのやとか。

しかし、そのままにしておくと柴も傷んでしまうので、地元の民が雨風のあたらぬところへ柴を仕舞うておき、春先になるとまた松の根元へと戻しておいてやるのやそうです・・。 そうすることで雁たちはまた故国へ帰ることができることを願うて・・。

只、どうしても毎年 幾ばくかの柴が根本に残ります。

今年もまた故国へ帰ることができず、この国で命を落とした雁が少なからずいることを憐れんだ地元の民は、残った柴を集めそれで風呂を炊き、津軽を訪れる旅人や巡礼の者たちに施しを与えるのやそうです・・。 それがこの地に眠る雁たちの供養になると信じて・・。

この屏風絵は その故事・言い伝えを表した “津軽の雁風呂” にございます・・・。 ~~

この話にいたく感銘を受けた黄門様。 かほど含蓄のある話を知らなかった身を憂い、絵解き(説明)を施してくれた商人に感謝。 その商人の名を尋ねると・・・。
ーーー

お後は動画の方でご賞味いただければと思います・・。

語りでは明確に触れられていませんが、商人が受けていた “過奢の咎(傲慢・過度の贅沢に対する罪)” は全くの冤罪であり、金を借りていた有力武家たちによる陰謀。 それを察していた黄門様による配慮という顛末となっているようです・・。

並びに この商人のモチーフとなった “淀屋” は実在の豪商であったことを付しておきましょう。

 

『雁風呂』、別に『雁供養』とも呼ばれるこのお話。 北の海を命がけで往来する渡り鳥を題材とし、異国の土となる侘しさとそれを供養する人々の温情溢れる説話ですが・・。

この物語の舞台となる青森県津軽 土着の伝承かというと、微妙なところ・・だという見解もあるそうです。 江戸時代の僧であり俳人でもあった四時堂其諺(しじどう きげん)が残した『滑稽雑談』という冊子に、この話の元になったであろう逸話が載っているのですが、どうもその由縁も定かでなく、場所に関しても別の地もしくは異国の物語である可能性も指摘されているのだとか・・。

とはいえ、寒風に吹き荒ぶ津軽の浜、この地に身を寄せて生きる人々と雁たちの抒情詩は、人と自然、人と動物の心の触れ合いを穏やかに そして熱く語りかけてきます。

聞く者の心に訴えかけるのは古の時代に生きていた共生と慈しみの心。現代社会にあって姿を消してゆく自然や生き物たちがこれ以上増えないように、私たちもこの物語から何かを学ぶべきなのではないでしょうか・・。

Amazon:『津軽鉄道 RMライブラリー276』

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.