法皇だってキレるよ、だって人間だもの

先日、INABANA.JP(日本の風土や伝承を海外向けに紹介するサイト)の方に “Ame Kingoku”(雨禁獄)のお話を掲載しました。

歴史に詳しい方、民話・伝承好きな方でしたらご存知かもしれませんが、こちらでも一応ご紹介しておきたいと思います。

短編の説話ですが ご賞味ください・・。

 

『雨禁獄』の主人公となるのは平安時代後期の帝 “白河天皇” です。
天皇としての在位期間は14年間程でしたが、退位後も政治の実権を握り続け40年以上に渡って “法皇” として “院政” を奮いました。

朝廷組織の刷新を進める中で人事権を掌握し、武士階級を警護役に取り立てるなど権力の強化と集中に専念し、実質的にその力は天皇の存在を形骸化させていたといっていいでしょう。

しかし、一つの国に二つの権力が併存している状況は決して良いものではなく、施政構造の歪をもたらし、後に続く朝廷と武士階級の泥濘の関係を招くなど大きな問題を生み出した人物でもありました。

 

とはいえ、白河天皇も最初からこのような強権的な姿勢であったわけではなく、天皇在位中は比較的バランスを保った政治体制を保っていたといわれています。

そんな彼を変えたのは、即位13年にして政治の不備があったわけでないにも関わらず、周囲親族の政治的思惑によって退位を迫られたこと・・。 結果的にこの圧力は白紙に戻りますが、この事件をもって白河天皇の中に反抗心と絶対的な権力への執心が芽生えたのかもしれません。

内外の批判を ものともせず専横を奮った白河上皇(天皇→上皇)でしたが、さすがに後半生は疲れを感じたのか、仏教に帰依し(上皇→法皇)仏の世界に深く傾倒してゆくようになりました・・。

 

そんな白河法皇が建立に関わった京の法勝寺に “金泥一切経
” というお経を納める典雅な儀式を企画したときのこと・・。

予定されていた式典当日に雨が降りました。
雨中での法行には難があるため延期となりました。

延期された次の予定日、また雨となりました。
自らこだわり楽しみにしていた式典が流れるのは不愉快でしたが、雨ではどうすることもできず、また延期としました。

さらに次の予定日、またまた雨となりました。
法皇、かなり頭に来ていたと思われますが、ここで不躾をして仏事を汚すのも憚られます。腹の虫を無理やり抑え延期としました。

そして四度目の予定日、またまたまた雨と・・。

ここで法皇、ついに堪忍袋の緒が切れてしまったようです。

「何たること! わしの法行を三度ならず四度までも邪魔しおって! けしからぬ! 許せん! 雨どもを捕縛して牢屋にぶち込め!」

・・これが「雨禁獄」のいわれです・・。

 

確かに4回連続で予定をふいにされたのでは誰でも頭にくるでしょう。相当 我慢強い人でもキレてしまうかもしれませんね。

しかし、頭に来たからといって雨を投獄せよとは・・。 部下にしてみればパワハラ・・ではないかもしれませんが、悩める命令であったでしょう。 やむなく急ぎ壺を用意すると雨を受け集めて、それを牢屋へと収めたそうです・・(^_^;)

捕らえたといっても所詮は壺の中の水、時が経てば干上がってしまいます。 無くなってしまえば “脱獄・逃亡された” と叱られかねないので、ついぞ見張って雨水を足していた・・とか、おかげで牢屋は湿気で困ったとかいう話まで・・。

まことに、キレた挙げ句の子供っぽい暴走といった感じですが。 一説によると、この話には別の受け止め方もありまして・・。

 

それによると 千年から昔のこの時代・・。 本事案のような自然の障害を受けたときには、雨が止むように特別の祭祀を行うのが通例でした。そしてそのようなときには得てして人身御供などが用いられたのです。

つまり法皇は 度重なる延期の責任を誰のせいにもせず、人身御供も出さないようにするため、敢えて “雨” に責任を押し付けて全てを丸く収めたのではないかという解釈です。

だとすれば、子供っぽいどころか、非常に人情味のある それでいてユニークな機転の利く優れた人物だったということになりますね。

どちらが彼の真実だったのかは不明ですし、そもそもこの話自体が “古事談” という鎌倉時代の書物に載った説話なので、史実のほどさえも不詳ですが・・。

半世紀近くの永きに権勢を誇った人物とはいえ、その内実は様々な苦悩や希望を抱えた一介の人間だったということでしょうか・・。

 

どちらかというと(いわなくても?)私自身も神経質な方で、いわゆる “イラチ(せっかち)” な性分なので、法皇の暴発は分からないでもありません。 我慢すれば我慢するほど、その結果が納得し難いものであったときには怒りが倍増するものです。

さすがに歳のせいか若い頃ほど怒らなくなりましたが・・。人間の性格とは中々修正し難いもの、基本的には今でも あまり変わっていないのかも・・。

ともあれ、こういった事態に一番迷惑を被るのは傍に居る第三者。
事と直接関わり合いのない家族や部下でしょう。

それを考えれば・・、やはり自重の念はいつも持っておかなければなりませんね。 周りの人たちだって いつまでも「人間だもの・・」で済ませてくれるとは限りませんから・・(^_^;)

次回、雨禁獄とは全く関係ありませんが、三度の不遇にキレた庄屋の物語を備後国(現在の広島県東部)からお送りしたいと思います・・。

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