四国 道後といえば知らぬ人もなき温泉のメッカ、温泉愛好家はもとより日本人なら一度は行って温まってみたい伊予路 古の湯元ですね。 日本三古湯の一つ、夏目漱石の小説「坊ちゃん」で広く知られてからはさらに湯治客も増え続け、近年では海外からの観光客も絶えない温泉郷ですが・・。
この道後温泉からも程近い居相(いあい)の地に、地元の人々から「お椿さん」の愛称で親しまれている神社が有ります。
社名を『伊豫豆比古命神社(いよずひこのみことじんじゃ)』。 往古、まさに伊予は道後の地を開き統べた久味国造(くみのくにのみやつこ)にもつながる悠久の歴史をもって、愛媛そして四国はもとより全国にもその名を知られる社といえるでしょうか。
この神社「伊豫豆比古命神社」でこの2月4日(火)から6日(木)まで「椿まつり」か催されます。(令和7年)
「伊豫豆比古命神社」の主祭神は “伊豫豆比古命” “伊豫豆比売命” “伊予主命” “愛比売命” の四柱。祭神の一柱の名をもって “愛媛” 県名の由来となす、県下はもとより四国・全国に知られた社といえるでしょう。 一説にその創建が孝霊天皇の御世(先史時代)にさえ達するといわれる古社。 民に敬称され社の別称ともなっている “椿の社” の由来を紐解けば、以下の二説が伝えられているそうで・・。
ひとつには、古くこの地がまだ浅瀬に満ちていた頃、”津(波打ち際)” の “脇(傍ら)” の社であったことから「津脇神社 / つわき神社」と呼ばれていたものが、時代とともに「つばき神社」に転訛したものであろうという説。
もう一説には、椿の名のとおり古より当地に群生していた椿の花にあやかったものという口伝です。
この「伊豫豆比古命神社」にお参りする際にはひとつの暗黙の順序が有るようで・・。
社の本殿左側に椿の木に囲まれた船山と呼ばれる小山があるのですが、その中に奏者社(そうじゃしゃ)と呼ばれる小さな境内社が鎮座しています。先ずそこへお参りを済まされてから本殿へお参りするのが正式な手順だそうです。
太古の昔、まだこの一帯が浅瀬であった時代。 「伊豫豆比古命神社」の御祭神、伊豫豆比古・伊豫豆比売命の二柱がこの船山に船を寄せられたとき、当地の土地神であった 潮鳴栲綱翁神(しおなるたぐつなのおきなのかみ)が船の友綱をとってこの地に繋がれたと言う故事からきているそうです。この潮鳴栲綱翁神は一説には「浦島太郎」で有名な亀で有り海に於ける仲介の神でもある塩土老翁(しおつちのおじ)との類似性も指摘されています。
現在、「お椿さん」で親しまれる由緒としては “椿の花” のイメージが強いですが、 これらの伝承から考えると “津脇神社” が元であるという説にも大きな信憑性がありますね。
さて、その「椿まつり」。 創建以来、伝統を守り神事の厳修に勤めてきたこの神社の祭事の中でも特に大事として受け継がれています。 祭祀の主たる渡御神事は言うに及ばず、祭りの三日間終日 付近一帯は車などの交通が制限されながら、50万人にものぼるといわれる参拝客を集める四国有数の一大イベントにもなっています。
特に縁起開運・商売繁盛の神徳厚き神社として知られ広まったため、そのご利益にあやかるべく集まった参拝者で溢れます。お祭り中、歩行者天国状態となった催地の通り立ち並ぶ数百店の露店。椿に因む縁起物をはじめ「縁起飴」の名で知られるご当地ものなど、多くの品々を販売する声で溢れる情景は、少し懐かしい日本のお祭り感を味わえる事請け合いではないでしょうか。
愛媛ではこの「椿まつり」が終わると少しづつ暖かくなってくると言われているそうです。
寒い季節も後もうひとふんばり、悠久の祭事でパワーを貰い元気に春を迎えたいものですね。
場所:「伊豫豆比古命神社」 愛媛県松山市居相2丁目2−1
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