弁財天(べんざいてん / 弁才天とも)。 いわゆる弁天さま、日本においてトップクラスの知名度を持つ神さまのお一人ですが、貴方はこの弁天様に対してどのような認識をお持ちでしょうか?
ほぼ固定した認識として “七福神の中の紅一点”。そして その名に “財” や “才” が含まれるように、富や芸能のご利益ありとされる神さま。 さらに川や池との関わりが深い “水にまつわる神さま” といったところが一般的なところかと思います。
数多の女神が “美人” とされるように、弁天様も典型的な別嬪さんとして描かれることも多く、神道・信仰のみならず民話や演劇・小説、漫画・アニメに至るまで その登場率も高い人気の神さまですね。
こうした弁天様に対する人気は別嬪さんであるキャラクター性の良さ以外にも、その霊験ご利益の多様性ゆえなのでしょうか。
弁財天は、元々ヒンドゥー教の女神サラスヴァティーが その後の仏教に取り込まれ、天部(天界の神々)の一柱として日本にも伝わったものです。
サラスヴァティーが “聖なる川の化身” とされたため、日本において海運の神である “市寸島比売命” と習合したり、水辺に縁を持ち智や財に結ぶ “宇賀神” と混交して “水の神” の性格が整われました。 また同じヒンドゥー教起源の神 “ラクシュミー / 吉祥天女” と同一視されたことで、美と豊穣を司る神格も付与されたのです。
並み居る神さまの中でもかなり良いとこ取りw?・・というか、マルチプレイヤーな女神さまですが、こんな女神さまにも時に出来心というものが起きるようで・・。
九州、佐賀県と福岡県の県境に “脊振山(せふりさん)” という山があります。(尾根伝いを県境としているため両県に跨る)
標高1055m、脊振山系の最高峰であり大陸方面へ開けた立地であることから、尾根の開地には航空自衛隊のレーダーや公機関の通信施設が居並ぶ場所でもあるのですが、一般人でも登山可能です。
登られた方には、この一画に石造りの鳥居と社が静かに佇んでいるのが目に入るでしょう。 麓にある「脊振神社」の上宮です。御祭神は “弁財天” と “市寸島比売命”。 多少の登山経験を積まれた方に脊振山は程良い山だそうで、気候の良い日など、山頂の宮としては参拝者の影も絶えません。
はるか神代の頃、弁財天を背に乗せた飛龍がこの山の頂にまで飛んできて、三度いな鳴き その背ビレを打ち振るわせたそうで・・。脊振(背フリ)山という山名はそこから名付けられたとも伝わります。
その昔 脊振山の弁天さまが 西の英彦山(ひこさん)で開かれた神さまの会議に行かれたそうな
その帰り 英彦山のそこここを彩るシャクナゲの花に弁天さまは目を奪われた
シャクナゲが欲しくなった弁天さまは さっそく英彦山の権現さんに株を分けてくれるよう頼んだが 英彦山の権現さんは素気なく断ったのだと
仕方なく脊振山に戻った弁天さまだったが あのシャクナゲの美しさを思い出すたびに欲しさがつのる
ある日 弁天さまは龍に乗って英彦山まで飛んでいくと
シャクナゲを五・六株 こっそり摘んで盗み取ってしもうた
急ぎ龍に乗り脊振山に帰る弁天さま
しかし それに気付いた英彦山の権現さんが早雲に乗り 怒りの形相もあらわに追いかけてきよる
懸命に逃げる弁天さまだが権現さんの早雲の方が早いのか ずんずんその間は狭まるばかり
ついに脊振山の麓 竹ノ屋敷の辺りで弁天さまはシャクナゲを投げ捨てて何とか逃げ切ったと・・
しかしそれでもシャクナゲを諦めきれなかった弁天さま
後日 再び龍に乗ると英彦山に出向き また五・六株のシャクナゲを摘むと 今度こそはと大急ぎ脊振山を目指した
ところが またまた英彦山の権現さんが追っかけてきよる
捕まるものかと必死に逃げる弁天さまだったが やはり早雲の方が早い
脊振山の尾根脇の鬼ヶ鼻の辺りで またしても投げ捨てて ようよう逃げ切ったのだと・・
そやから今でも脊振山の頂にシャクナゲは咲いておらず
竹の屋敷と鬼ヶ鼻の辺りにだけ咲いているのだと・・
如何に美しいとはいえ他人のものに手を出してはいけません(^_^;)
神さまも時には気迷うのですかね。 ・・が、権現さんも権現さんで随分頑なな性分にも思えますw。 英彦山にとってシャクナゲは何か神宝的な意味でもあるのでしょうか・・?
ともあれ、脊振山は古くより霊山として崇められ修験の山でもありました。 “脊振千坊” と呼ばれるほど多くの寺院が並び立った聖地だったのです。
平安時代末期の禅僧 “明菴栄西(みょうあん えいさい)” が、留学先の南宋から帰国して この地に立ち寄ったとき、石上坊の境内の一角に持ち帰った “茶の種” を蒔いたそうです。
以降、そこから生えた茶の樹はいくら切っても すぐに生え伸びたそうで・・。この伝承から当山を “茶振山” と呼ぶようになり、後に転訛して脊振山となったのだとか・・。
先にご紹介した龍の背ビレ伝説と併せて脊振山の由緒と伝えられています。
現在の脊振山は仏教・信仰山地としての影は薄まりましたが、遠く玄界灘を見渡し穏やかなに佇む山嶺には、今も神々の息吹が宿っています。
冬が去り、暖かな気候が訪れる頃には絶好のトレッキングスポットになるでしょう。 ある意味 お茶目とさえ思える女神と権現の追い掛けっこなど思い出しながら、登られてみては如何でしょうか・・。