前回に引き続き玉名の里(玉名市近郊)からお送りさせていただきます。
・・と申しますのも、記事を作るときには毎回 画像や動画も用意し組み込んでいくのですが、その大半は契約している画像供出サイト、もしくはYouTubeを利用することになります。
前回の “玉名 大俵まつり” の記事でも同じように記事に沿った画像を “俵” や “玉名” のキーワードで探していたのですが・・。 “玉名” で画像サイト検索をして出てきた資料の中に「!?」と思えるような画像が数点・・。 これらに興味を持ちさらに玉名市のあれこれを調べていくと、さらにさらに興味深いトピックがありました。
誠に恐縮ながら “玉名” も全国どこにでもある地方都市のひとつと思っていましたが、前回の “大俵まつり” よろしく発想に秀でたところがあるのでしょうか・・?
考えてみれば、肥後国・熊本県は明治時代に至るまで九州の中で中心的な役割を担ってきました。現在でも九州財務局、九州総合通信局などの重要出先機関が置かれています。 明治初期までは軍の司令行政局である “鎮台(ちんだい)” も置かれていました。国家において それだけ重要視されていた場所ということです。
明治後期以降、物流や工業化、経済の流れ的な理由から、九州での発展は北九州地域に移動しましたが、それまでは九州内の首府でもあったのです。 その熊本の中で有明海に面し流通と経済に寄与してきた玉名市は、県内でも熊本市に次ぐ繁栄地であったのでしょう。
昔のこととはいえ、いうなれば玉名は当時の最先端思想に溢れた土地柄だったのかもしれません。 そしてそれは年月を経て脈々と今に受け継がれているのでしょうか・・?
と、いうことで、”玉名市、興味深いアラカルト”。 そのはじめは・・。
◆『玉名展望館』(たまなてんぼうかん)
画像サイトで一番目についたのがこれ。とにもかくにもインパクトが凄い・・。尖ってるし、丸ってるし、突き出してますね・・w。 玉名市のほぼ中心、菊池川の畔 “桃田運動公園” の小高い丘の上に建ち市街から有明海方面まで一望できる展望台として1992年に竣工しました。
目を奪う造形は鹿児島県出身の建築家 “高崎正治” 氏によるもので、奇抜なスタイルながらも3層構造にして1階から「地の座」2階「雲の座」展望部の「星の座」として機能しているそうです。また「学習コミュニティー室」も備えているのだとか。
「豊かな自然と共に歴史が宿り、時間や四季が呼吸する生きた社会芸術・環境生命体」としての建築だそうで・・。 まぁ、難しいテーゼはともかく一度は行ってみたい実際に見てみたいと思わせる建物ですね。どことなく昭和風SFチックな印象が漂っているのも私的には◎です。
(^^)
◆『岱明海床路』(たいめいかいしょうろ)
以前「月の引力が見える町のアイロニー – 佐賀県」でも ご案内したことがある “海中道路” です。海の干満差によって干潮時にその姿を現します。 九州最大の海 “有明海” の特徴、日本一の干満差ゆえに多く見られる奇景でもあり、それは同時に古からの海辺の暮らしを反映した人と自然の合作ともいえましょうか。
潮が満ちている間は海面に無数の電柱が一列に建ち並んでいます。何も無い海へ向かう一列の電柱。 この不思議な感覚と干潮時に浮かび上がる一本の道の幻想的な光景は、黄昏に照らし出される有明の海に映えて一層の美しさを奏でます。
有明海沿岸地域にはこのような海床路が点在していますので、当地ご訪問の際には憶えておかれると “絶景の一コマ” に出会えるかもしれませんね・・。(海床路を訪ねられるときは漁業関係者の邪魔にならないようご注意ください。)
◆『お結び図書館』(おむすびとしょかん)
“お結び” とは “おむすび” “おにぎり” のことであり、お米を元にしたネーミングなのですが、それはさておき図書館とのコラボが珍しいですね。 実はココ単体で成り立っているのではなく、玉名市の郊外 “玉名郡和水町” にある「肥後民家村」という歴史公園の中にある一画です。
「肥後民家村」は自然豊かな菊池川沿いの緑地に、県内外から集められた古民家を移築して作られました。 300年にも及ぶ古民家をはじめ(計7棟) “京塚古墳” “江田船山古墳” “歴史資料館” “陶芸工房” そして “キャンプ場” “道の駅” まで統合した “歴史アミューズメントパーク” ですね。(古民家の中には宿泊のできるものもあるようです:旧山野家)
「お結び図書館」はその中のひとつで、”お結び88″ というプロジェクトによって運営されています。日本人の主食である米の新しい利用法 “米粉” によるメニューを展開、古からの日本の食とこれからの食のあり方を提案しています。「お結び図書館」は古民家を利用した静かな絵本図書室で、ゆったりのんびり・・時間にとらわれない時代の空気を “お結び” とともに味わってみるのも良いのではないでしょうか。
◆『トンカラリン』
正直言って最初 “トンカラリン” と見たときは [ トン、トン、トンカラリンの隣組♪ ] という戦前の歌を思ってしまいました・・w。 しかし、ここでいう「トンカラリン」は、上記の肥後民家村に隣接した場所にある熊本県指定史跡であり、往古に造られたと思われるトンネル型の遺構なのです。
構造や大きさが異なる5本のトンネルが形成された場所であり、総全長は464メートルもの距離を成しています。所々地面に露出した部分や暗渠となった部分、中には階段を形成した部分など(しかし中に入れないほど狭い)複雑な構成となっています。
県では1970年代の調査で “近世の排水路” との見識を示しましたが、詳細が分からない上に後の調査では排水路の可能性を否定する意見も出ました。
大掛かりなものであると同時に、工法にも従来の歴史知見では見られないものも取り入れられており、なおかつ、このトンカラリンに関する歴史資料も無ければ伝承さえ全く残っていないという不思議さで「謎の遺構」と噂されています。 近郊には「石貫ナギノ横穴群」などもあり古代歴史ファンには必見でしょう。 因みに “トンカラリン” とは、このトンネルに石を投げ込んだときに聞こえる音を模したものとも言われているそうです・・。
いかがでしたでしょうか? 肥後国熊本は古来 九州の中心地であったと書きましたが、その繁栄と歴史に基づくロマンに溢れています。 特に物流に優れ人の往来に賑わった玉名の地には、往昔から未来に続く工夫や創造の気風が息づいているのでしょう。
「玉名 大俵まつり」とともに、熊本ロードマップのひとつとして心に留めていただければ幸いです・・。