コン話コンコン、今回も古の都 京都府からお送りします。 前編 福知山・丹波国は京都府内でも北部、古く独立した地域でしたが、明治に行なわれた廃藩置県において、南部の “京・京都” と合一する形で現在の京都府の基礎が作られました。
本日のコン話後編は山城国の洛中(現在でいう上京区)、つまり京のイメージそのまま、人も物も往来賑やかなりし都の真ん中からのお届け。全開 伏見稲荷まで旅した六助さんも通った道すがらだったかもしれませんね・・。
上京に大座する御所(京都御苑)の裏手(北側)。室町時代から足利将軍家や皇室とも縁の深い臨済宗相国寺(しょうこくじ)。
足利義満の発願により禅宗五山のひとつとして創建された大本山であり、往時には数多の仏刹・塔頭を擁する一大門前町をも形成していました。 禅宗の中心であるとともに、絵画・文筆など文化の醸成にも多大な影響を及ぼした聖地でもありました。
この相国寺の中心、法堂の東に鐘楼があるのですが、その裏手に禅寺境内には珍しく稲荷神社が鎮座しています。社名を「宗旦稲荷社」。
“宗旦” といえば茶聖 “千利休” の孫であり茶道を確立し “三千家” の祖となった人ですが・・。 この宗旦が幼い頃 禅宗大徳寺に師事していた縁で、立身後、相国寺の茶室開きに招かれたことがありました・・のですが・・。
『宗旦稲荷』京都市
茶室開きは盛況で 多くの名の知れた客人を招いて幾日にも渡って開かれた
千宗旦の点てる茶も噂に違わず見事なもので 皆その点前に見惚れるほどであったという
しかし ある日のこと 宗旦は危急の用向きで茶会に遅れることとなってしもうた
急ぎ用を済ませ 息急き切って茶会に駆けつけた宗旦
されど 既に見切りをつけたのか 茶室の外には帰り支度の客人たちが姿を見せている・・
これは失態 お客の皆様には大変失礼を致しました・・と深く詫びる宗旦
ところが そんな宗旦の焦りと裏腹に 客人たちは目を丸くして互いを見合わせているではないか 奇妙な様子に宗旦も言葉を失くす
そんな宗旦に客人の一人が発した言葉が・・
「いや・・宗匠 今しがた 見事なお点前を見せてくださったやおへんか・・」
これは如何なること 今来られたお人が宗旦師匠であるならば
先程まで茶室で点前をとっていたのは誰なのか
一瞬 皆 目が覚めたように茶室にとって返してみると
今まさに茶道具を収めようとしている “宗旦” が まだそこにいた
どやどやと帰ってきた客人たちに 今度はその “宗旦” が目を丸くしている
「あんさん いったい何者ですか?」
問いに身を固くしていた “宗旦” だったが 客人たちの中に宗旦本人の姿を認めると観念したか・・
「や これはバレてしまいましたか・・」
というなり その着物の裾から大きな尻尾を出して見せた
「まこと申し訳ないことでございます」
「私は古くから相国寺の藪に住む狐ですが かねてより皆様の楽しむ茶の湯が好きでして 笹の影からいつも拝見しておりました」
「ことに ここ数日 見せていただいた宗匠のお点前には見惚れ・・一度で良いから 私もあのようにやってみたいと思っていたところ・・」
「本日 宗匠の来られるのが遅いがさいわい 宗匠のお姿をお借りして真似事をさせていただいた次第です・・いや 本当に楽しいひとときでございました」
「今後このようなこと 二度といたしませんので何卒ご勘弁を・・」
とのたまう・・
何と狐が化けて千宗旦を騙っておったか・・
しかし それにしても見様見真似にして あそこまで出来るものか・・
客人たち そして宗匠本人さえ 怒るのも忘れておった
皆の許しを得た狐は また藪の棲家へと帰って行ったが
このことをもって “宗旦狐” と呼ばれるようになったと・・
その宗旦狐 その後 茶人に化けるようなことはせなんだが
今度は雲水(修行僧)に化けて僧堂に出入りし座禅を組むなど修行の真似事までするようになったと
時に相国寺の財政難にあたって 町の商人や名士たちとの橋渡しをこなしたともいう
どころか 時々 町の隠居たちのもとに出向き碁を指すことにも興じたそうな
この頃になると僧門から町の衆にも知れたもんで
好きな碁に熱中するあまり ふいにその尻尾を出してしもうても
「宗旦はん 何やら大きなもんが出てまっせ」
「さよか そら失礼しました」
とばかり和気あいあいとした仲だったという・・
ある年の盆前 親しくしていた門前の豆腐屋の商売が振るわず 店を閉めなあかんとなったときなど
「それなら ちょうどお盆やし 私が蓮の葉を取ってきてあげまひょ それを売って元手に また大豆を買うたらよろしがな」と請け負うた
半信半疑だった豆腐屋が翌朝起きてみると 店の前に沢山の蓮の葉が積み上がっておった 豆腐屋はそれを売り歩いて元手を稼ぎ 店の危難を凌いだそうな・・
まことに有り難い結構なお話・・だったのだが その後が宜しくなかった
恩義に感じた豆腐屋は 宗旦狐にお礼とばかり 狐の好物であろう鼠の天ぷらを用意してこれを捧げたのだが・・
当の宗旦狐 これを食べると神通力が失われるというて これを辞退したのだそうな
したのだが・・やはり好物は好物 目にしているうちに我を忘れて思わず一口かぶりついてしもうた
途端に変わり身は失せ 本来の姿を現してしまう宗旦狐
たちまち町の犬どもに嗅ぎつけられ けたたましく吠え追い回される羽目に・・
寺の藪まで逃げおおせたものの 焦っていたためか
誤って物陰の井戸に落ち そのまま命を落としてしもうた・・
寺と町の人々を結ぶ役割りをも担うた宗旦狐
不憫に思うた相国寺は一山総出でこれを弔い 法堂の脇地に稲荷神社として祀ったのだという・・
ーーー
最後は何とも残念な顛末となってしまいましたが、稲荷神社の由来伝承としては中々にユニークなものとして現在に伝わっていますね。 あまりに可哀想な結末だからか、異聞として自らの寿命を悟った宗旦狐が “別れの茶会” を開いた後、その生涯を終えたという話も残っています。
化かす狐、祟る狐、そして人と触れ合い笑いを供する狐。 時にずる賢く 時に健気で、そして時に神にもつながる超常を振るう狐。それはある意味 人間そのものであり、また人の想いそのものであるのかもしれません。
「宗旦稲荷」、 前回の「六助稲荷」ともども民話の世界を超えて心に届く、人間と自然の関わりを描いた秀作だと思うのです・・。