イナバナ.コムの民話カテゴリーでも常連、昔話の世界においてトップクラスの出演率を誇る動物といえば、やはり「狐」。
狸や獺(カワウソ)狢(ムジナ)などと並んで、人を化かす困った面を持っている一方・・。 稲荷神社の神使として扱われ、また稲荷寿司(コンコン寿司)そして “狐の嫁入り” など多くの事物と合わせて認知される、些か別格の存在とさえいえる人気者ですね。
全国3万社ともいわれる稲荷神社の神使に狐が充てがわれたのは、稲荷神である “宇迦之御魂神” が、”稲荷 / 稲成り” つまり稲作・食の神であったことに関わっています。 春になると山から下りて来る狐は、稲を食い荒らそうとするネズミなどを捕食するため、民から害獣を駆除する獣として喜ばれ、神の遣いに列せられたのでしょう。
国内人口の大半が農業であった時代、いやが上にも稲荷神とその神使である狐は崇められ・・。同時に人々にとても近い存在であったのです。
もとより人がいて、それに対峙する神や獣がいて成り立つのが民話・昔話ですが、本日は そんな中でもことさら、人に近い狐のお話を京都府からお送りしたいと思います・・。
京都でも北東部、丹波篠山やまた宮津 天橋立にも近い福知山市。
古く明智光秀によって治められ “福智山” の名を冠して後は山陰道の要衝としての任を果たし、近代に至るまで奥京都の賑わいを誇った土地でもありました。
とはいえ古き時代のこと、町中を少し離れれば草木生い茂る野山が彼処に満ちるひなびた里。 そんな里の片隅に住んでいた “六助” という男にまつわるお話です・・。
貧乏所帯であったものの真面目な男で、笹刈りの仕事もきっちりこなしよる。 それに気心も良いので屋根葺き屋からの仕事も絶えなんだと・・。
『六助稲荷』 福知山市
今日も今日とて請け負った笹を刈るため 八幡山の麓で女房の “お市” とふたり精を出しておったそうな・・
日も傾いて 頼まれた嵩の笹を刈り終わり ようよう家に帰ろうとしておったとき ふと藪の隅にあった狐穴が目に入った
六助は つい気になって
「お市よ こげなところに狐穴があるで よう出入りしとるかしてスルスルしとるわ・・」
しかし女房は
「そげなもん触らんほうがえぇ 祟りでもしたらどうすんね」と言う・・
「なぁに祟ったりするもんかぇ それに見てみ 穴のまわりが笹だらけになっとる これじゃ冬の間は雪にまみれるし 夏の間は熱がこもって暑かろう 月見の晩にもお月さんも見えにくかろう」
「どれ 今わしがきれいに刈っちゃるけ・・」
言うて穴の周りの笹や雑草を きれいサッパリ刈ってやったのだと・・
さて その日の晩のことじゃ
六助が眠っておると その夢枕の向こう
暗がりを照らすように朧気な光が近づいてくるではないか
ようよう見ると それは大きく輝くような白狐 その白狐が六助の前に立つと こう口を開いた
「六助はん 今日は親切に穴口の草を刈ってくれておおきに」
「おかげで 出入りも楽になったし お日さんもお月さんも よう見えるようになりました」 と嬉しそうに言う
「ついては 何ぞお礼の一つでもしたいと思うのじゃが そこは獣の悲しさ 思うようにならんで困るが・・」
「ひとつだけ良い話を教えてしんぜよう・・ あと数日もすると京は伏見の我らが稲荷神社で富くじが売られるで 行って買いなされるが良い きっと大当たりに恵まれるはずじゃ」
「路銀が無いというなら 伏見まで行きゃ帰りには金持ちになっとるはずだで 戸障子を売り払うてでも行ってきなさるが良い・・」
・・それは夢であったけんど その次の夜も そのまた次の夜も同じ夢を見る
六助はこりゃ正夢に違いねぇと思い お告げのとおり戸障子を売り払って路銀を作り京に旅立ったのだと・・
伏見の稲荷神社につくと 富くじが当たりますように・・と拝んで 札売りの爺さんを見つけると富くじのことを聞いた
すると・・
「そりゃ あんた 随分と先の話だがね・・ 来年も二月の二の午の日に ここで縁日が立って富くじも売られよる」 という
なんとまだ四月も先のことではないか・・
すっかり気を落として里に戻ると ことの次第を女房に話した
お市は まぁ怒って
「あんたが金を仰山持って帰るいうから こげな戸障子も無か家に寒いのを我慢しながら待っとったに・・」
と散々だったと・・
どう言うたところで喧嘩したところで 仕方がないもんで
その夜は薄い布団を引っ張り合うて 体を寄せ合うて寝たんだと
すると その夜の夢に又あの白狐が出てきよった
そして こう言いよる・・
「こりゃ よう聞くがえぇ 先度お前は俺の穴口の笹が良い具合に茂っとるのを 寝ながら月が見えるようにしたる言うて みな刈ってしまいよった」
「おかげで寒い風は吹き込んでくるわ 犬にも見つかりそうになるわ これから寒い冬をろくに寝んと過ごさねばならん」
「お前ら人間のことだで 戸障子も無くば 開け閉めの手間もかからんし寝ながらに月見もできよう じきに雪見もできよう 喜べ喜べ! アッハッハッハ・・」 そうして消えていったと・・
あくる朝 六助は女房とともに山に行き 石を建てると油揚げを供え・・
「狐よ 俺ぁ悪気があってしたんでないで どうかこらえてくれや・・」 言うて手を合わせたんだと
その石ンところが「六助稲荷」ちゅうて長いこと近在で祀られとったけど 今はもう何処にも残っとらんわ・・
まぁ文末の台詞のとおり、六助どんも悪気ではなく良かれと思ってした笹刈りだったのですが・・。 そこは人間と動物の価値観の差とでもいうか・・、結果的に余計なお世話となってしまった何とも歯痒い顛末でしたね。
お話は福知山も市街地、福知山城公園を望む内記(ないき)に伝わるもので、六助稲荷もその近郊にあったのかもしれません。
石を一本建てて祈りの拠り所とする・・。信仰の最も原始的な形態のひとつであり、人と神の交わりの場でもあるのです。 おそらくは太古の昔から星の数に比するほど作られ、そしてその殆どが失われてきたのでしょう・・。
次回もより人間と関わりを深めたコン話をお届けします・・。