だそうです。 ・・何が “だそう” なのかよく分かりませんがw、記事題名の如し。[ヌヌヌヌ は△]で[ヌヌヌ又 が正解]なのだそうです。(あくまで厳密に言えばですが・・)
何なのか? というと「畷(なわて)」という文字のつくり(右側)の部分。 “ヌ” が四つ並んでいると思いきや、右下の一ヶ所のみ “ヌ” ではなく “又(また)” なのだそうです。 スマホでご覧の方は拡大しないと分からないでしょうね (^_^;)。
2019年、とある人の発信で話題になったので ご記憶の方もおられるかもしれません。
発信されたのは、大阪府四條畷市の市長・東修平 氏。
同市出身、2017年の市長選挙、弱冠28歳にして初当選を果たした若手市長です。2期連続で当選を果たし2024年現在も現職。地元出身であるとともに、市民目線かつオープンな施策で知られています。
東市長の母校でもある府立四條畷高校の写真部が公開した、「アクロバティックなヌヌヌヌ」という人文字の画像。 これに対して「おもしろい。ただ、正確には『ヌヌヌ又』です。」と感想を入れたことから、これが市の枠を超えて話題になりました。
四條畷市民でも「気が付かなかった」という人が 居たくらい微細な指摘であり、されど、また大事な話の一端でもあったからです。
因みに “ヌ” や “又” の文字は元々 “奴” という文字から生成されたもので、「畷」という文字は “田” へん(左側)と相まって “田地” や “田で行なわれている作業” を表しているとされています。
そして “ヌ” “又” とも基本的には同根同意の文字ながら、何故、一文字だけ “又” になっているのかは “謎のまま” なのだとか・・。
四條畷市でこのようなトピックが取り沙汰された一因には、「四條畷」という地名そのものに、他の物議が醸されている背景があるからなのかもしれません。
それは四條畷の「條」の部分。本来は「四條畷」なのですが「四条畷」の表記も混在しているのです。 昭和20年代、当用漢字の整備や漢字の簡略化が推進されていたこともあり、当時の国鉄が駅名を「四条畷駅」と改定したことも影響したようで、郵便局なども「四条畷」表記でありました。
平成に至り正式な「四條畷」に戻されましたが、JR駅名は現在も「四条畷」のままです。※ JR四條畷駅 は歴史的経緯により大東市にあります。
また、現在はお隣の大東市に合併されましたが、隣接した地域にかつて “四条村 / 町” という自治体があったことも、文字使用の混乱に影響していたかもしれません。
「四條畷」の地名は凡そ700年前、南北朝時代における象徴的合戦のひとつ “四條畷の戦い” に因むとされています。
“高師直(こうのもろなお)” 率いる圧倒的戦力の北朝方に対して、後に “小楠公” と呼ばれる南朝方 “楠木正行(くすのきまさつら)” による決死の攻撃・玉砕戦であり、南朝方にとっては凋落を決定付けた敗戦でもありました。 その舞台となったのが四條畷であり、それを祈念して明治時代には「四條畷神社」も創建されました。
神社創建の頃、地元地名は「甲可(こうか)郷 / 村」でしたが、後に古来からの伝統的な地名 “四條畷” をとって四條畷村、町、そして四條畷市へと伸展を続けました。
言わば、「四條畷」は(少なくとも)700年に渡って伝わる由緒ある地名であり、愛着のある地名なのです・・。 昭和の時代、進歩成長ばかりが重視されていた世情で簡略化され、失いかけた文字を今再び取り戻すべく議論が重ねられているのです・・。
「そんなの、意味が伝われば文字なんか簡単な方が良いだろう」・・と、いうのもひとつの意見ではありましょう。
年を追うごとに新たな言葉が生まれ、それまで使われていた言葉が失われていくのは既成の事実ですし、”文字” も “仮名遣い” も時代を経てかなり変わってきています。 同じ日本の国でありながら、江戸時代と現代の人間がコミュニケーションをとることは、極めて困難ではないかとさえ言われています。
しかし、だからこそ古来から伝わる文字や言葉を大切にしよう。人や土地に根付いた歴史を顧みてみよう という考えは、失わざるべき “人の立脚点” を確認する旅でもあるのです・・。
いうなれば、膨張・変化する社会に合わせた “変革” と、原点・足跡を忘れないための “伝統” のバランスが一番大事なのでしょうが・・。
「四條畷」。 四本の畦道(あぜ道)、古く “畷” は “縄手” とも書き、検地などで縄が張られ測られていたことに因む往古の地名。
貢租や年貢を課せられながらも長閑な田園地。時に血で血を洗う激戦の地となり、時を経て近代化の波をくぐり 今は閑静な住宅地。
山裾に鎮座する「四條畷神社」には、私も二三度お参りさせてもらったことがありますが、大きな楠木と深緑に包まれて静謐・静寂という言葉が似合う端正な宮さんです。 近代創建とは思えぬ歴史の重みさえ感じます。
大樹に宿りし “小楠公” さん、四條畷の今までを、そしてこの先を、どのような想いで見つめてはるのでしょうか・・(^^?