茶であり咳であり棘であるもの(前)群馬県

先日の「馬籠の宿-岐阜県」の記事でも触れたところですが、関東平野の北部にも ちょっと変わった “飛び地” が存在しています。

“群馬県桐生市”、足尾山地から平野へと開ける扇状的地勢の町であり、市域の多くを山間地としながらも東毛(群馬県東部)地域の中心的役割を担う自治体でもあるのですが・・。

この桐生市、何故か市境を接する “みどり市” を挟む形で東西に完全に二分される形となっているのです。

この奇妙な形となったのが、やはり2005年の平成の大合併。旧新里村と旧黒保根村を編入する形で新・桐生市の発足となりましたが、編入された旧両村が隔地となっており、尚且つ面積が旧桐生市とほぼ同じ広さであったため、まるで大きな一市が真っ二つに分かれたような形に見えてしまいます。

他の飛び地と同じく、地域ならではの事情の結果でありましょうが、挟まれた形の “みどり市” との関係も緊密に保ちながらも、全国的にも珍しい形態を維持しています・・。

 

この桐生市(旧桐生市地域)の中心から山手に外れた一画に “養泉寺(ようせんじ)” と呼ばれる曹洞宗のお寺があります。

釈迦如来を本尊とし境内の一画には豊川稲荷の祠を祀り、古くから地元の崇敬と愛着を集めてきました。 山号である “青龍山” は一説に元 “清流山” であり、流れ清らかな桐生川を号したものと言われるほど、歴史と土地に根付いた寺院なのですが・・。

この養泉寺の山門をくぐった横手にある一基の墓・・といか祠。 変哲のない古の墓碑ながら屋根柱を組んで大切に守られ、墓前には常々 花と茶が供えられていることから、これが一介の墓標に留まっていないことを示しています。 地元で慣わされた呼び名が『お茶婆さん』

数多の病、特に眼病平癒にあらたかな霊験有りとされる墓碑なのだそうです・・。

 

ちょっとだけ紛らわしい話なのでご注意を・・。

江戸時代も中頃の話でしょうか、桐生の村に目を患って難渋するお婆さんがいたそうです。

年老いて些か視力の衰えるは仕方のないこととしても、お婆さんの目は日毎に曇ってゆくばかり。 言うものの せめてもう一目生まれ育った村の景色を見納めにしたいと・・。

医者にかかるための費用を、それこそ爪に火をともすような暮らしをしのいでお金を貯めたのだそうです。

されど ようよう幾ばくかのお金が貯まり、医者に足を運んだときは最早かなり症状も悪く、医者の手にも負えないことに・・。

 

一縷の望みが絶たれ 落ち込んでしまうお婆さん・・。
このまま段々と何もかもが見えぬようになってしまうのか、故郷の姿も拝めぬままに彼の世へ向かわねばならぬのか・・。

そんな お婆さんを見かねた者のひとりが、ある日もたらした話。
それが「川向うの養泉寺にある “お茶婆さん” にお詣りしてみてはどうか?」というもの。

伝え聞けば “お茶婆さん” は “トゲ抜き” にご利益が高く、遠方からの参拝客も絶えないのだとか・・。

ここはもう最後の一手神頼み。次の日から身内の手を借りて お婆さんの日参が始まったのだそうです。

何卒もう一目、故郷の、世の光景を目に焼き付けたい。
強く願う お婆さんは日毎 “お茶婆さん” に通い、茶を供えながら願を掛けたのでした・・。

すると驚くことに数日のうちには少しずつ光が戻りはじめ、十日そして二十日も経とううちには、若い頃のように何もかもが見えるようになったではありませんか・・。

喜んだお婆さんは、眼病が癒えた後も “お茶婆さん” への日参を怠らなかったそうです・・。

そして このことは時置かずして広く知れ渡るところとなり、養泉寺の “お茶婆さん” は さらに参拝客で賑わうようになったのだとか・・。

ーー

“ツッコミどころ” というわけではありませんが・・w、病気になったのは “お婆さん” であり、それを治したのは “お茶婆さん” の碑(石碑)ですね。 日参してお茶を捧げたのが “お婆さん” なら、それに応えて霊験を垂れたのは “お茶婆さん” です・・。

さらに・・、それなら墓碑の “お茶婆さん” とは どんなお婆さんだったのか? というと・・、残念ながら これがはっきりしないのです。

そして もう一つ、現代的な感覚からいうと “トゲ(棘)抜き” のご利益なのに何故 眼病の平癒? と思う人がおられるかもしれません。

只、ここで言う “トゲ抜き” とは 国内各地でみられる “とげ抜き地蔵” に同じく、病気全般から時に家難除けにまでご利益あり!とされる霊徳 / 神徳のことをいいます。

元々は重い病に臥せっていた女房や、裁縫針を誤飲してしまった女中が、霊験のお札で快癒したという伝承からきたもので、 “針を体外に戻した=トゲ抜き” の由緒となったのでしょう。 主に庶民の暮らしに近かった地蔵菩薩を媒体として信仰が広まっていきました。

 

他方、今話の “お茶婆さん” に似た存在として、主に関東圏に散見される “咳の婆さん / 咳婆さん” という信仰があります。

こちらも多くの場合、寺社の一画や路傍に添えられた石像・道祖神的な形で祠などで祀られています。 “婆さん” と言いますが、夫婦2体で祀られていることも少なくなく “咳の爺婆” とも呼ばれます。 この辺りも含めて次回のお話につなげていきたいと思います・・。

あぁ、それでも、明確な展開と結論はあまり期待できないと思ってくださいね。百年単位で伝わりながら その形を様々に変えてゆく伝承や信仰は、得てして不明確・不透明な部分が多いので・・。 今回のお話も調べながらにどうにも??な部分も拭えないのです。 ・・だからこそ古の語り伝えは面白いのですが・・。

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