巫女は微笑みて戦乱の世を渡る – 前編

日本のお腹、おヘソ、中心部にあたる場所といえば・・、これが調べてみると意外に多数有るようです。 地理的観点からの中心地点、歴史的事績からの中心地点、人口や道路幹線の見地から見た中心地点など多岐に渡って、国内中心を謳う場所は30ヶ所程にも上り、中には青森県や徳島県にさえ存在するらしいので驚きですね・・。 そういえば 2020年に当ブログでも兵庫県から “日本のへそ” として記事を上げていました。

【 例:青森県 坂上田村麿 蝦夷征討伝承に絡む “日本中央の碑”、 徳島県 北海道常呂町(北緯44度・東経144度)と沖縄県竹富島(北緯24度・東経124度)を結んだ直線の中心 】

論拠・理由は様々あれど、地理的・一般的な感覚からすれば日本の中心とは、凡そ長野県または岐阜県辺りと考えられます。 長野県辰野町には本州中央の北緯36度と東経138度が0分00秒で交差するゼロポイントがあり、”日本の地理的中心” ともされています。

ともあれ、長野県 信濃国、往古、”科野(シナノ・シナノ木から)” とも呼ばれた国は、日の本の胴中に位置しながら 畿内から遠く異文化・謎の香り高き神妙の地でもあったのです。

 

そして、その信濃国には その神妙をもって今日に続く『諏訪大社』が立します。 全国 諏訪神社の総本社であり、それぞれ位置も違える四社からなる社格、一概に特定しきれない由緒・信仰の原初など、独特の存在感と神厳さを世に知らしめていますね。

8万社ともいわれる日本の神社の中で、独自の信仰体系をして 大きな影響力を持つ神社といえば、”伊勢信仰” を司る「神宮(伊勢神宮)」、”出雲大社教” に連なる「出雲大社」、神仏混淆・深山修行を伝える「熊野三山」、そして 修験道の聖地「出羽三山」などが知られますが・・。

日本の心央 信濃国に坐す『諏訪大社』”諏訪信仰” も、数千・数万ともいわれる摂末社の数からも分かるように、古より国中に その神徳を広めていたのです。

諏訪大社下社秋宮 神楽殿

古き時代、そういった信仰を流布し、祈祷や口寄せ / 神降ろしなどをするため 全国を行脚して回った人々の中に、女性だけで構成される一派がありました。 神に連なり神事を施す女性、いわゆる巫女さんや それに準ずる人たちで、それは「歩き巫女」と呼ばれました。

決まったひとつの神社に仕えた身ではありませんが、地域ごとのコミュニティに属することが多かったため、それらに沿って “白山巫女” や “熊野比丘尼”、また 鳴弦(めいげん)という、弓を打ち鳴らしての儀式を用いる歩き巫女は “梓巫女” などとも呼ばれたそうです。

その中で信濃国を中心に大きなコミュニティを形成し、各地への参進を重ねていた者たちを “信濃巫” と呼び、その始まりは諏訪神社の布教巫女たちであったといいます。

・・始まりは・・というのは、時の流れとともに神社との直接的な傭役関係が薄れ、コミュニティ独自の体制・運営を確立していったからに他なりません。

 

諏訪信仰の拡散を基軸にしながら、各地で神降ろしなどの神事を行うことを生業としていた彼女たちですが、言えば無名なる彼女たちの中で唯一人、固有の名称をもって知られる女性が「望月千代女(もちづき ちよじょ / ちよめ)」とされる人物です。

“歩き巫女の望月千代女”、NHK大河ドラマをご覧になられている方ならご存じかと思います。本年放送「どうする家康」において “望月千代” の名で登場していますね。

“望月千代” はドラマなりの演出・脚色で描かれるキャラクターではありますが、伝承によって語られる “望月千代女” をある程度 下敷きにしていることには違いありません。

彼女は “信濃巫” のひとりでありながらも、信濃国に絶対的な影響力を持っていた甲斐国 “武田信玄” の麾下であり、各国を渡り歩きながら様々な諜報・工作活動を行っていたとされる “間諜” であったと伝わり、そのことから “くノ一” のイメージさえ付される、影の逸材であったのです。

 

現在ではかなり知られるところとなった “忍者” の正しい姿。黒装束に身を包みながら 派手な体術や忍術を駆使する忍者というのは、凡そ後世の劇作による演出。 実際には極めて地味で目立たない “間者”、名のとおり “忍びの者” ・・。

当然、”くノ一” とされる女性の忍びでも同様、セクシーにデザインされた忍者装束で大立ち回りなど、実際にはあり得ません。

こういう くノ一ならむしろ可愛いw

いわんや、巫女にまつわる立場であった “望月千代女” にあっては “間諜活動” を仕切る者。・・ということから、忍者→くノ一のイメージが想起され、後の作品によっては派手なキャラクターとして描かれますが、実際にはかなり穏便な風采だったのではないでしょうか・・?

「どうする家康」に登場する “望月千代” も巫女装束で出演していますが、正装とはいえ、神事以外であのような姿になることは あまり無いでしょうし・・。 まぁ、ドラマや読み物の演出とは、面白味が優先なので致し方ないところなのでしょうねw。

 

実際の “望月千代女” とは、元 信濃国の武将であり、後に武田信玄に下って忠臣の一人となった望月盛時(もちづきもりとき)の後妻であったと伝わります。

元々の出自は信濃望月家の傍流であり、結びつきも強かった近江国・甲賀望月家の出身であったとされ、このことも “くノ一や忍者” のイメージ創成に寄与しているのでしょう。 実際、実家・甲賀望月家は後の甲賀五十三家(甲賀忍群)の筆頭であり、現在もその屋敷跡は「甲賀流忍術屋敷」として公開されているほどですから・・。

甲賀望月氏「甲賀流忍術屋敷」滋賀県

そもそも・・(ここまで来て言うのも何ですがw) “望月千代女” 自身、どこまで実在性を問える人物かは 未だ未解明と言わざるを得ません。

しかし、未解明であるからこそ、そこに様々な憶測や検証を呼び込んで、新たな千代女像が描かれるのでしょう。 ましてや そこに、日ノ本の心央にあって謎多き諏訪信仰の香りやら、甲賀に紐づく忍びの影がまつわるとあっては尚更です。

謎の巫女+謎のくノ一、なんて キャラクターとして美味し過ぎですよねw。

とはいえ、実在の姿に近づいてみるのもまた歴史の楽しみ。
次回では信濃望月家に嫁いだ “千代” のその後を辿ってみたいと思います・・。

 

 

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