人に近し鬼は赤倉にあって恩を積む – 前編

“奥日光” といえば栃木県日光市の北西に広がる静謐な山間地であり、夏場の避暑地、自然に恵まれた行楽地として知られていますが・・。 では「奥の日光」といえば何処のことを指すでしょう?

ここでいう “奥の” とは “奥の細道” に言い習わされる “東北地方” と同義。 要するに京や江戸からみた遥か遠くの奥まった地、東北・弘前(現在の青森県)に坐す日光東照宮のごとき荘厳な社、「岩木山神社」のことを喩えて呼ぶ一称が「奥の日光」なのです。

東照宮に比して規模や観光における動員には一歩を譲るものの、創建は千年をも遡る奈良時代、津軽富士とも呼ばれる「岩木山」を神宿る山として開かれ、後に、伝説の武将 “坂上田村麻呂” によって興建された由緒正しき社です。

 

坂上田村麻呂は社の興隆のみならず、津軽の平定と開拓の大柱石でもあったため神格化され、”顕国魂神(うつしくにたまのかみ / 大国主命)” をはじめとした、岩木山神社 五祭神(岩木山大神)の一柱として祀られました。

つまり岩木山大神 坐す “岩木山” は、津軽における大地の鎮守であり、人々の暮らしと魂の安寧を司る神の山であるわけです。 それは古の昔から、地の民草にとどまらず歴代の領主にも根幹に受け継がれ、多くの保護と寄進を施されて、今日の豪壮な社地・社殿に至ったが故の “奥の日光” となったのです。

 

このように、津軽・弘前から “お岩木” と呼ばれ 心の故郷ともされる岩木山 そして広く知られる岩木山神社ですが・・。 この岩木山には もうひとつ、霞のごとき謎に包まれ、人の口に上り難い 不思議な信仰が存在することをご存知でしょうか・・。

そもそも岩木山はその山容が “着物を広げたように” 美しい姿ながら、火山であるが故にその山頂は三つの峰に別れ、それが岩木山を特徴づけてもいるわけですが・・。 その三峰はそれぞれ “岩木山(小峰としての)” “鳥海山” そして “巌鬼山(岩鬼山)” と呼ばれています。(チョッとややこしいですねw)

岩木山神社は中央峰・岩木山(峰)に奥宮を頂く神社ですが、その右・北東側(弘前側から見て) “巌鬼山(岩鬼山)” は同じく “いわきさん” と呼ばれると同時に “がんきさん” とも呼ばれ、そして別名 “赤倉山” との呼び名をも持っています。

ここには岩木山神社とは異なる信仰が古くから根付いて『赤倉山神社』も鎮座しているのですが、岩木山神社ほど著名ではなく、その詳伝も広くありません。しかし、確かに “それはそこに” 在るのです。

今回は この “鬼” の名を含む山から、人の居住まいに近い不思議な “鬼” の昔語り、そしてみちのく津軽の古の信仰の雑考などお送りしたいと思います。

 

『赤倉の鬼』

津軽がまだ蝦夷地のひとつであった古のころ
後に津軽人の心の拠り所となる岩木山は まだ阿曽辺と呼ばれる小さな山であった

その頂である赤倉の峰に 大人(おおびと)とも妖ともいわれ 麓の人々に仇なす鬼がおったと

 

帝の命を帯びて蝦夷地の平定に赴いていた坂上田村麻呂は
この阿曽辺の災いを取り除かんと 花若なる眉目秀麗な若人に身をやつし鬼に近づき 素早くこれを懲らしめた

平伏した鬼は 後生 人畜に害なさぬこと誓詞を立てて これを赦されたと

以後 鬼は田村麻呂率いる征夷軍の旗印 “卍錫杖” に倣い “マンジシャクジョウ” の名をもって赤倉洞に棲み着いたそうな・・

岩木の山に入る者 その信・不信を遠目からことごとく見抜き
入山を試みる者が 不心得であった場合
たちまちにして激しい風雨をして山を塞ぎ これを追い返し山を護ったと

 

時代は下り 人々の暮らしも変わったころ
麓のとある村に弥十郎という木樵(きこり)が住んでおった

弥十郎が山に入ると時折ガサガサと妙な音がして辺りがざわめく
何事かと思った弥十郎だが 神妙に辺りを伺っておると 木々の間からヌッと顔を覗かせたのは 慄くほど大きな鬼ではないか

あまりのことに身も固まり動きのとれなくなった弥十郎だったが
鬼の口から出た言葉に我が耳を疑うたとな

「よう! 相撲取らねか?」

 

思いもしない鬼の申し出に 間も抜けてしもうた弥十郎だったが
こりゃまぁ 俺を取って喰う気も無ぇ様子だと分かれば いくらか気も落ち着く そこでこう言うたと

「相撲は取ってもいいけんど オラまだ仕事の途中だ」

すると鬼は こう返してきたと

「そんなこた わけも無ぇ 後でワシが薪 届けてやっから相撲取るべ!」

ここまで言われたら仕方もない
弥十郎も近在じゃ並ぶ者ないほど腕っぷしには知られた男
日も暮れるまで鬼と相撲を取って遊んだのだと・・

さても今日は仕事もせずに帰ってきてしもうた弥十郎
あの鬼ゃ薪届けてやる 言うとったが 本当じゃろうか

そんな心配もよそに 何のことぁねえ 夜が明けてみると
家の前にゃ山のように薪が積み上げられておったと
どうしたもんか 如何な弥十郎とはいえ三日五日精を出したところで到底取り出せんほどの薪だったと・・

それからも 鬼はちょくちょく弥十郎の前に姿を現した
よほどのこと相撲が好きとみえて 会うと必ず相撲を取るべと挑んできよる

その度に弥十郎は仕事の手を止めて鬼の相手をし
鬼もまた 大層な薪を置いてゆくものだから 弥十郎の家は少しずつ暮らし向きも良うなっていったと・・

とはいえ これを好都合と怠け心に走ったり 下らねぇことに散財したりすれば 鬼にも申し訳ねぇし 赤倉山の神さんにも見放されてしまいかねん

色々と考えた挙げ句 弥十郎は近くで耕し手の無うなった小さな田圃を買うて百性を始めることにした これなら食い扶持に事欠かんし鬼への礼も作れるじゃろう・・。

 

腹ぁ括って耕し 種を撒き手をかけて百姓に打ち込んだ弥十郎じゃったが・・ そこはそれ つい先まで木樵であった故の見通しの無さであったか そん土地はひどく水利に足らぬところで・・

おまけに その年五月は雨も少なく 見る間に田の水気も引いてしまう始末

田植えは はかどらんし やっとこさ植えた苗も夏の陽射しを見ん内からうなだれて今にも枯れきってしまいそう・・ 慣れん百姓なんぞ手ぇ出した罰だべぇかと 弥十郎まで うなだれてしもうたと

久かたに会うた鬼は弥十郎の元気の無さを気にかけ
どうしたことか?と問うたそうな

事を分けた弥十郎の話に・・

「なるほど 確かに田に水が来なけりゃどうにもなんねぇな・・」

「んだば 俺が何とかしてやるけぇ お前は何も心配すんでね」

鬼は気さくに そう言い残すと ずいと尻上げて山ん中に消えていったと・・

 

次の日の朝 弥十郎はサラサラと流れる水の音で目が覚めた

まさかとばかりに表に出てみれば 水路には水が蕩々と流れておる
田圃にも水は行き渡り苗も息を吹き返しているではないか

わけも分からぬままの弥十郎であったが
兎にも角にも これの水源を訪ねてみようと考えたのだそうな・・。

少数ながら、時折聞かれる人に近く人に幸もたらす鬼のお話です。次回、物語の後半と、”赤倉” に連なる古代信仰について触れてみたいと思います。

 

 

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