逞しき女性による日本のケセラセラ – 前編

” おてもや〜ん♪ あんたこの頃 嫁入りしたではないかいな♪
嫁入りしたこつぁしたばってん・・♪ ”

軽妙なノリとリズムで繰り出される謡、ご存じ『おてもやん』冒頭部分の歌詞ですね。 ご存じと申しましても、民謡の類いが普段の生活から かなり離れてしまった現代では、若い世代の中には聞いたこともない・・という方も多いかもしれません。

熊本県の民謡ですが 全国的な知名度も高いため、昭和の頃まではテレビの素人演芸会のような番組でも、時折 上演されたものですが・・。最近では “NHKのど自慢” でも民謡演る人減りましたしね・・。

さて、この熊本民謡『おてもやん』古くから親しまれた謡ですが、その詳細となると、そこまで知られていないようにも思えます。・・ので、本日はその概要から・・。

『おてもやん』は民謡の中でも “熊本甚句” と呼ばれる甚句を下地に、二人の女性の会話を表した一曲です。

民謡の形式・・といっても民承芸能のひとつですから、厳密な括りがある訳でもないのですが、”甚句” という “七・七・七・五”調の詞句をひとつのフレーズとして連ね、短い物語を面白可笑しく歌ってゆく民謡の一ジャンル。 “相撲甚句” などが知られていますね。

甚句自体は江戸時代後期から、昭和の前半にかけて持て囃された民謡ですが、『おてもやん』の基礎が完成したのも民謡としては割と新しく明治時代、現在知られる形で一般に広まったのは昭和に入ってからなのだそうです。

只、『おてもやん』が その時に全く新規に作られた謡かというと、そうでもなく、その元歌がそれまでにもあったと思われ・・。 正確な仔細は不明ですが、おそらくは江戸時代 “花街” における “お座敷歌” のひとつではなかったかとされています。 歯切れのよい調子の連なりと陽気な歌詞は、ヤンヤヤンヤ♪ の茶屋遊びに適ったものだったのでしょう・・。

 

さて、その基礎はともあれ歌詞の具体的な内容をば・・。

『おてもやん』

【一番 歌詞】
おてもやん あんたこの頃
嫁入りしたではないかいな

嫁入りしたこつぁ したばってん
御亭どんが “ぐじゃっぺ” だるけん
まあだ 杯ゃせんだった

村役 鳶役 肝煎りどん
あん人たちの おらすけんで
あとはどうなと きゃあなろたい

川端町っつあん きゃあ巡ろ
春日ぼうぶらどんたちゃ
尻引っぴゃあて 花盛り 花盛り

ピーチクパーチク ヒバリの子
げんぱくナスビの いがいがどん

(語訳)
おてもやん あなた最近
お嫁に行ったのではなかったの?

嫁入り※したにはしたけれど
相手が痘痕面で酷かったから
まだ盃は交わしていなかったのよ

村役や火消し役、世話役
あの人たちがいるから
あとはどうにかなるんじゃないの

川端町の方へ廻って行きましょ
春日のカボチャ達は
尻を出して 花盛り 花盛り

ピーチク パーチク 賑やかな雲雀の子
不格好な茄子のイガイガ達

【二番 歌詞】
一つ山越え も一つ山越え あの山越えて
私ゃあんたに 惚れとるばい
惚れとるばってん 言われんたい

追々 彼岸も近まれば
わきゃもんしゅうも寄らすけん
くまんどんの よじょもん詣りに
ゆるゆる話を きゃあしゅうたい

男振りには惚れんばな
煙草入れの銀金具が
それもそもそも因縁たい

アカチャカベッチャカ チャカチャカチャ ♪

(語訳)
いくつもいくつも山を越え
私は貴方に惚れている
惚れてるからこそ言えないわ

そのうち彼岸も近づいてきて
若者たちも集まるでしょ

熊本の夜聴聞※のときに
ゆっくり話をしてみたい

でも見た目で惚れたわけじゃないのよ
煙草入れの銀金具に惹かれただけだから

アカチャカベッチャカ チャカチャカチャ ♪

※ ここでいう嫁入りとは、実際に世帯をもつ以前、祝言前の状態。
※ 寺で開かれる法話の夜会、男女の出会いの場としても機能していた。

 

さてさて・・、女性二人の他愛のない会話ではあるものの、縁談を勧められた相手男性の、”顔が不細工なので気が進まない” という少々難儀な話が発端となっていますね。 しかし “おてもやん” 自身も一概に断るつもりもなく、”後はなるようになるよ” という些か諦めの境地が含まれているようです。

元々 意中の男性もいたようで、出来ることなら仲を深めたい、想い合う仲になりたいという願望もあった様子・・。 されど 2番の最後で “人” に惚れたのではなく “金” に惹かれたのだと、気持ちを否定するかのような一文が置かれているのが、尚の事、恋心の強さと諦めを表しているようにも思えます。

何ゆえ このような内容の話になっているかというと、それは当時の女性の社会的な立場の弱さにありました。

また 婚姻の多くが “家” や “親” “後見人” の主体で決められ、男女関わらず自らの意思が通り難い世相であったことも含まれます。 これは さほど古い話でもなく、昭和も中頃まではそういった習俗は結構残っていて、私の知る高齢の知人でも、祝言を挙げるその日に初めて相手の顔を見たのだそうです・・。

 

まぁ、一概に古き時代の習俗が全て悪いというわけではなく、”家” を主体とすることが家系存続のための重要な要件であった、時代なりの慣例であったのですが、一生を添い遂げる相手を自分の意志で決められないというのは、当時としても辛いところも多かったでしょう・・。

とはいえ、社会が社会なれば些かの不都合があろうとも、それに合わせ馴れながら生きてゆくのが “人” というもの。それは社会の仕組みが変わっても、いつの時代も変わらない “世の理” なのかもしれません。

“おてもやん” も不本意な縁組であり、乗り気でないにも関わらず「それはそれ、なるようになる」と、身代の高くない女性の不利益を嘆き諦めた上で、それでも陽気に明るく、そして強く生きてゆく気持ちを秘めているようです。

つまり、この歌の主題は当時の女性・社会的弱者の不遇を下敷きにしながらも、不遇を不満や自棄に当てず、前向きに生きていこうとする女性の赤裸々な姿を歌い上げているのです・・。

お国も話の内容も異なりますが 1956年のアメリカ映画、ドリス・デイによって歌われた「ケセラセラ」(語源:ケ・セラ・セラ / なるようになる)に通ずるところがありますね・・。

実はこの “おてもやん”、歌の中の創作ではなく実在の方であったようで、 江戸末期から昭和10年、足掛け四つの時代を生きた “富永チモ” という名の女性がその人といわれています。

次回は “実在のおてもやん” と、現代に生き続ける “おてもやん” に焦点を当ててお送りしたいと思います。 本日も有難うございました

 

 

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