アンダーウェアトピックス -無いから有るへ-

皆様にご覧いただいているのは、ご存知 男性用下着(格好良く英語で言えば)メンズ・アンダーウエアでございます。平たく言えば “パッチ” “モモヒキ”また “サルマタ” でございますw。 まぁあまり これみよがしに見せるものでもありませんし、決して “◯◯ハラスメント” とかではありませんので ご甘受ください・・w。

以前、Facebook の昭和関連グループに所属していた時、提示した画像になります。元々は “サルマタ / 猿股” という面白い名前の語源に興味をもったから・・。因みに “サルマタ” という言葉を私は父親からよく聞きましたが、”これがそのサルマタである” という実物を目にしたことはありません。

“サルマタ” を目にしたことがない・・というのは、そもそも父親が穿いてなかったから。そして昭和中盤にはまだまだ需要はあったものの、新たに一般化しつつあった “ブリーフ” に市場を奪われ減少傾向。古色化が進んでいたことも挙げられるでしょう。(その頃 近所には、まだ褌(フンドシ)を愛用されているお爺さんもおられましたが・・。)

“サルマタ” は上記画像の “ユニオン・スーツ” が上下に分割されたものから派生して、大正時代後半〜昭和初期にかけ、洋装の普及とともに一般化していったものだそうです。現在の “ボクサーパンツ” とほぼ同様の形態ですが、ニット製であり、股間に若干の “マチ” を持っていることからも着心地の良さが伺い知れますね。

その語源ですが、残念ながら これといった定説を見ないそうです。 古く、腰から下に着けるものは “袴(ハカマ)” と称しましたが、”マタシャレ” という袴の一種を前後逆に言ったものだとか、”キャルマタ” という方言が元になったなどの説があるようです・・。

 

男性の下着は基本(トランクスなどを除いて)”白色” が多く、その指したるところは “清潔感” です。昭和の中頃までは これを気にかけ、仕事であれ遊びであれ “外出時には綺麗な下着を” という方も少なくありませんでした。(万が一外出先でトラブルに遭い救急車で運ばれたとき等に恥を晒したくない、という矜持ですね)

さて、読み物として需要もない男下着の話はこれくらいにしてw、女性用下着の方に話を移していきましょう。

男性と同じく女性用の下着も清潔感第一ではありますが、そこは女性ならでは。美しさ、可憐さ、ボディラインを引き立てる微細な形状などは外せない要素です。

私などは男性であるが故に “服を着たらどうせ見えないのに、何故そんな華美で高価な下着を着るんだ?” などと若い頃は思っていましたが、後年 “見えないところにこだわるオシャレ” であり “外から見えないからこその価値観” であることを理解しました・・。言い換えれば “通” なオシャレでもあるのです。

 

下着、たかが下着といえど その歴史を紐解けば、とても一編や二編では書ききれません。多くの変遷を辿った女性用下着なら尚更です。 現在 一般的に見られる下着の元となった “西洋下着” の中で、一つだけ取り上げるならば やはり “コルセット” でしょうか。

18〜19世紀のヨーロッパにあって女性の姿形は形作られるものと考えられていたようです。確かに外見上の見栄は良いのでしょうが、動作は制限されますし健康上にもよろしくないように思えます。 どこで読んだか忘れましたが、当時 腰の細さを競うイベントがあって優勝者の腰回りが38cmだったような・・。いくら何でもチョッとチョッと・・。

20世紀に入って女性の活躍の機会も増え行動範囲も広がるにつれ、それまでの価値観・慣習から脱却とともに、女性用下着もゆとりのある動きやすいものへと変わっていきました。

翻って日本では? というと・・ご承知のとおり日本は永く “着物の文化” でありました。答えを先に言ってしまうと、かなり近世になるまで女性の “パンツ的な下着” は “無し!” の文化であったのです。 よく冷えなかったものだと思いますが・・、だからこそ妊娠期の “妊婦帯” ですかね・・。

稀に時代劇(江戸時代)などで見かける女性の “腰巻き”、古く平安時代、湯殿で使用した “湯巻き” が元になったともいわれており、それ故に “湯文字” と呼ばれていたそうです。腰巻きの名のとおり一枚状の布をクルリと腰に巻いて腰横や背中側で挟み留めるだけ、長さは膝の辺りまで・・。

その上から “蹴出し / 裾よけ” と呼ばれる、足下までの長さの下着を重ねて “下着・肌着” としていたのですが、それでも裾から風が入れば股間はスースーですよね・・。 何にせよ “用足し時” なども含めて、着物ならではの使い勝手からこうなっていたようです。

 

戦前までは、まだかなりの人が着物を常用していました。男性は “褌”、女性は “腰巻きのみ” の下着文化の中で、”西洋下着” は本当に静かに・少しずつ広まっていったのです。

下の画像はとある漫画の一節ですが、(現在のブラジャー)”乳バンド” に驚く年少の女中さんが描かれています。 ”乳バンド” という呼び名は確か昭和の40年代頃に、(俳優)森繁久彌さんがドラマの中で使っておられ、当時は爆笑したものでしたが、実名であったのですね・・w。 漫画の中の “先生” は女流翻訳家という職業も相まって、当時(設定 昭和9年)としては かなりのハイカラさんだったのかもしれません。

(胸)”乳バンド” に対して(腰)”パンツ” 関連下着が普及した一因に、悲しい出来事が挙げられることをご存知の方も多いでしょう。

昭和7年(1932年)、東京日本橋にあったデパート “白木屋” で発生した火災で、避難途中であった女性たちが裾の乱れを抑えようと、すがっていたロープから片手を離したがため、多くが墜死を遂げてしまったという惨事です。

現在の解釈では この話には疑義も多く、当時の捏造報道ではないかともされていますが、この事件以降、時とともに女性の “下の” 下着普及が進められていったのも事実のようです。 言うなれば、女性の “ノーパン状態” からの転換点、下着新時代の始まりといっていい時期だったのかもしれません・・。

「うちのちいさな女中さん」 © 長田佳奈 / コアコミックス

着物の文化であったが故に、その浸透まで色々と時間の掛かった西洋下着の普及ですが、戦後、俄にそのスピードは加速されていきます。怒涛の如く打ち寄せたアメリカ文化の影響も要因ですが・・。

その頃、新たな時代に女性の美と恒久の平和を願って事業を興した人がいました。 次回、その人のお話をトピックにお送りしたいと思います。

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