古の脅威 魔に抗う人々と今に遺るもの(後)- 香川県

前回に引き続き 香川県からの民話をお届けします。 今回は “大蛇(オロチ)” の登場。
物語の舞台も比較的 近く・・というか、前回の終盤でも少し触れましたが、”山田蔵人高清” 隠棲の地 “安原郷” からのお話です。 高清さん、大蛇の方は退治してくれなかったのですかね・・w。

そして、前回 遺されたのが “牛鬼の角” でしたが、今回は何が遺されますことやら・・。

『国分寺の鐘』

讃岐国 開けた里や五色の峰々から南に下った塩江(しおのえ)安原の郷は それはもう 山ン中  阿波国との境を分かつ讃岐山脈のお膝元であったと

鬱蒼とした山々を縫うように流れる河原には温泉も湧き
案ずることさえ無ければ 誠に静かで幽寂閑雅な場所だったそうな

案ずること・・ この安原の百々ヶ淵(どうどがふち)は 水も青黒く深い川なのだが
いつの頃からか ここに途轍もない大蛇(オロチ)が棲みはじめてしもうた

水のものならば 川にさえ近づかなければ 済む話じゃが
相手は蛇なれば 時折 丘に上がってきよる 近在の田畑を荒らし牛馬を捕らえては淵に引きずり込む ついには人にまで被害の出る始末

魔性のもの それも破格の魔物とあれば並の男衆ではどうにもならん
村人たちは頭を抱え 国司に救済を求めたのだと

左様な化け物を退治出来る者など 居ようものであろうか

窮する村人たちの訴えに困った国司は “触れ” を出し 大蛇討伐の者を探したところ
何と地元の安原から “別子八郎” という男が名乗り出てきたそうな

安原の住まいならば 何故 はじめから村人たちの話に加わらなんだと問うと
同じ安原でも 八郎はさらに山手・山奥に静かに籠もり暮し 村人たちとの関わりもあまり持たなんだと・・ しかして此度の “触れ” が耳に入り 地元の助けになるならばと名乗り出てきたそうな

それならば大蛇討伐をと頼む国司と民の声を背に 八郎は百々ヶ淵に赴いたのだと・・

 

自慢の弓道具をかたげ 百々ヶ淵のまわりを訊ね歩いた八郎であったが
肝心の大蛇は その姿を一向に見せぬ
三日に渡り川上から川下 流れに影落とす林から川面の岩まで歩きまわるも その素振りさえない

これは どうしたことじゃ 大蛇なるもの 村人たちの幻影であったか・・
誠 閑静なる渓流ではないか・・

訝しく思う八郎であったが 村人たちの怯えた顔を思い起こせば
せめて もう一日と 次の日も出かけることにした・・

そして 四日目 その日は何故か・・何かの様子が違う

日の光も川面の流れも 昨日までと同じはずなのに・・何かが違う・・

飛び交う鳥の姿は何処にも見えず 虫の羽音さえ届いてこない
僅かに漂う 川の流れの音も 今日は何やら濁っているかのようだ・・

八郎は手にした弓に力を込め ゆっくりと一番の矢を添えた
指を伸ばし 矢を番えたとき それまで谷間を照らしていた日差しがフッと鳴りを潜め・・

辺りが暗くなったと同じに 川面の流れが一瞬逆流したかと思うと
どうどうと波を立て逆巻きながら 川の一面が盛り上がってくるではないか

ついに来よったか! 盛り上がる水の最中に矢の狙いをつけたとき 八郎は我が目を疑った

「何じゃ! あれは? 大蛇ではないのか?」

 

水を押し退けて盛り上がってきたものは 何と “鐘” であった
否! 鐘を頭に被った大蛇であった

驚きながらも 必死の一撃を放つ八郎

カーン! けたたましい音とともに 矢は鐘に弾かれてしもうた

大蛇の息遣いか 不気味な唸りを上げながら鐘は八郎に迫って来る
臆せず 二番の矢を番え再び放つ

カーン!! さらに甲高い音を辺りに撒き散らしながら 鐘はいよいよ八郎の頭上 六尺程のところまでやってきた  見上げた鐘の隙間から爛々と光る大蛇の目が見える

満身の力を振り絞って 矢を引き 南無三! 放った三番の矢は・・

突然 この世のものとは思えぬような叫びが 辺り一面にこだましたかと思うと何かが崩れ落ちるような音 鐘の僅かな隙間に飛び込んだ矢が 大蛇の頭を 顎の方から射抜いたのだろう

水しぶきを撒き散らしながら大蛇がのたうち回っている
北からとも東からとも 分からぬ風が吹き荒れている

やがて 川面に帯のような真っ赤な筋が浮かび上がり それは下流に向かって消えていった・・ 後には河原に残された鐘ひとつ・・

八郎は村の衆に呼びかけ この鐘を国分寺の観音さまに納めた
事の次第を聞いた国司は 八郎に沢山の褒美を与えたという

 

国分寺に収められた鐘は 朝夕に撞かれて その音色の良さで地元の者に親しまれた

しかし それから百年の後 高松に就いた殿さまが鐘の音の良さを聞き及び 高松城下の寺に移させたのだと

ところが 高松で鐘を鳴らすと 「コクブ ニ カエル・・コクブ ニ カエル・・」と つぶやくように鳴り響く

これは どうしたことと 何度鳴らしてみても「コクブ ニ カエル・・コクブ ニ カエル・・」 とても ご城下で鳴らせたものじゃない

かくも不思議なことと 国分の寺に戻し鳴らしてみると
「ゴーン・・ゴーン・・」とまた 良い音で鳴り響く・・

国分の村の者たちは「鐘がもの言うた 国分に去ぬともの言うた」と今に至るまで歌にしておるそうな

百々ケ淵も国分の鐘も 古い物語をその内に秘めて 今も静かに残っておる・・

国分寺の鐘(讃岐国分寺)

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・・と、いうことで、今回 その後に遺されたものは お寺の鐘でありました。
かなり 前回と物語の骨子が似通っていました。 元々は何かひとつのお話から分化したのでしょうか・・。
同じ 安原の地から英雄が登場していることから、当時 著名な武人がいたのかもしれませんね。

・・で、鐘の方ですが、元々、何処のお寺から持ってきたものなのかは語られていませんが、鐘をヘルメット代わりに装備して出てくるとは、中々用意周到な大蛇だったようです・・w。

“蛇と鐘” といえば、有名な紀伊国・道成寺の “安珍清姫伝説” が思い起こされます。
あちらは 被っていたのではなく、物語の終わりで安珍が逃げ込んだ鐘に巻き付いたのですが、この話でも(幾つかの類話により違いがありますが)最終的に鐘が遺されていますね。

*この縁起にまつわる後の世の鐘が、紀州征伐時に仙石秀久が京に持ち帰った鐘だともいわれています・・。 蛇と鐘に関わる伝承はこの他にも時折見られ、何か蛇と鐘に因縁めいたものを感じます。

道成寺 安珍清姫絵巻

また、当話の終盤、鐘が元居た土地に還りたがるというのは、本年2月に再掲載した「仏の御業 三段話 やけど如来の伝承(後)- 島根県」にも、似た話があったように全国的に見られる類型話なのでしょう。

往時、神社・鎮守様が、その地域の氏子を基本とする民族的な “もとい” であったのと同じように、寺は信仰を司ると同時に生活上の基礎でもありました。その寺が有し朝夕 時を告げる鐘は地域の心の拠り所であったのでしょう。

その鐘が何らかの横暴によって他の地に取られるというのは、事情の如何に関わらず耐え難いことだったのではないでしょうか?

封建の時代ですから民草の異論が通ることは殆ど無かったでしょうが、交渉や、時に強訴をもって返還が叶った稀有な例が、こうした民話に姿を変えて語り継がれたのではないかと思うのです。

民話、そして伝承は人々の暮らしを、たおやかに今に伝える古の響きなのでしょう。

現在の塩江安原郷

『白牛山千手院 讃岐国分寺』 公式サイト

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