湖畔を埋める緋色の絨毯に未来はあるか – 北海道

「少年よ、大志を抱け」の言葉で知られるのは、明治9年(1876年)札幌農学校(現 北海道大学)に教頭として赴任した “ウィリアム・スミス・クラーク” 博士。 広大な北海道の大地を指し示すかのように右手を掲げる銅像の姿でご存知の方も多いと思います。

新しい時代に漕ぎ出して間もない日本の若者たちに、経験則だけではない化学と農業の実践的な確立を教授するとともに、プロテスタントの教えに基づく自主的・自己研鑽に満ちた指導を徹底しました。

一年足らずの赴任期間ではありましたが、自らを範とし、希望と人間味に満ちた博士の教育は、農学校第一期生となった若者たちの胸に深く刻まれ、後の日本を牽引する人材を多数輩出しています。

正確には「Boys, be ambitious like this old man」
「若者たちよ、大望を持て、この老体のごとく」と残したそうですが、学業のみにとらわれず人間的な前進に重きを置いた言葉であり、これは博士の生き様そのものの吐露であったのかもしれません。 (老体とは言えこの時50歳ですが・・)

残念ながら帰国後は不遇の時を過ごし、59歳の若さで早世してしまったクラーク博士ですが、「サッポロで過ごした9ヶ月間こそ 我が人生の中で最も輝かしい時だった」と遺すほど、その想いとつながりは深かったといえるでしょう。

札幌農学校 と “ウィリアム・スミス・クラーク” 博士

博士の意志を継いだ 札幌農学校が、多数の有能な人材を輩出していったのは先にも書きましたが、博士の離日と入れ替わるように入校を果たしたのが第二期生たち。 この中には 後に国際連盟事務次長を努めた “新渡戸稲造”、思想家であり文学者でもある “内村鑑三”、そして、同校の教授を勤め “植物学者” となった “宮部金吾” らがいました。

植物学者? そう、先日 ご案内した “牧野富太郎” のトピックと同じですね。先日の記事でも書きましたが、牧野富太郎も宮部金吾も同時代の人であり、明治期の歴史や植物学に詳しい人を除いて、あまり知名度は高くありません。 新渡戸稲造でさえ、五千円札の肖像に使われて尚「誰?」という感じなくらいでしたしね?・・。

 

ともあれ、2回続けて植物学者のお話・・というわけではありません。

宮部金吾 が北海道大学(札幌農学校)勤務時代、その命名を成した「アッケシソウ(厚岸草)」という植物の方のお話です。 (因みにアッケシソウと命名したのは明治24年ですが、その21年後に牧野富太郎も愛媛県で同植物の生息確認をしています。)

アッケシソウ と 命名者 宮部金吾

“アッケシソウ” とは少し変わった名前のように聞こえますが、名の如く北海道東部、釧路と根室の中間 “厚岸湖(アッケシ湖)” で発見された当時の新種であり、また中々に興味深い生態を有している植物です。

地図で確認すれば瞭然ですが、この厚岸湖、湖の名が付いていますが、事実上 一部の堆積地で区切られた “海” といえる場所であり、即ち “塩水湖” であります。

その 厚岸湖に浮かぶ? “牡蠣島” (正式には弁天島)という小島があるのですが・・。

 

 

実は この牡蠣島、島というにはあまりにも小さく低く、そもそも地形学的に “島” という基準を満たしているかどうかさえ曖昧な成り立ち、島の大半を形成しているのが “牡蠣の殻” だそうです。 元々 浅瀬の部分に殻が堆積して出来た島、変わった島ですね・・。

同湖では古くから牡蠣が繁殖しており、アイヌ民族旺盛の時代も その採集に利用されていたそうです。 明治期になり牡蠣の養殖がなされるようになって、一時は缶詰め製缶所なども建つほど島地(浅瀬)も広かったようですが、その後の地盤沈下などによって、現在は弁天宮の建つことで ようやく確認出来る位の小ささとなっています。

冬の厚岸湖と牡蠣島(宮の建つ部分)画像©厚岸町役場

そういう変わった条件の場所で発見された “アッケシソウ”、当然ながら吸収する水分には多量の塩分が含まれていますが、それに耐性を持ちながら利用もする “強塩生植物” なのだそうです。 元々 寒冷地に生える植物でしたが、遺伝子違いの種は温帯にも一部確認されています。

 

草高 30〜40cm程度、茎は丸くやや太めで・・ぱっと見、山菜の何かか・・ウ〜ン、アスパラガス? の親戚のようにも見えますね。(見比べると全く違いますが・・(^_^;) ・・と、思っていたら “シーアスパラガス” とも呼ばれているそうです。)

穂状花序(すいじょうかじょ)という縦並びの花が咲きますが、主複三つの花でひと組を構成するなど特徴的な形態を持っています。

秋になると この茎や枝の部分が(花ではなく)、それまでの緑色から赤く色を変えていきます。 深緋色 とでもいうのでしょうか、深く落ち着いた赤紫系の花色です。 太く節々とした姿がこの色に染め変わってゆく様から、この草は相応しい別名を持ち合わせています。

その名は「サンゴ草」、海洋性珊瑚のうち深い海域に生息し宝石ともなる “赤珊瑚” や “紅珊瑚” など、いわゆる “枝珊瑚” の姿に見立てた名前ですね・・。

“サンゴ草(アッケシソウ)” 、上記のとおり湿地帯に繁茂するのですが、群生しやすい特徴を持っているため、9月頃になり変色が始まると 一面見事な緋色の絨毯が広がる景色を見ることが出来ます。

網走市 能取湖(のとろこ)の湖畔地帯は、この “サンゴ草” が群生して人気のスポット、シーズンには毎年10万人の行楽客が訪れる景勝地として知られています。

実はこのサンゴ草、年々 その生息地域を減らしつつあり、環境省のレッドデータブック記載によれば、近い将来 絶滅に瀕する危惧種に指定されている植物であり、そもそもの発見地であった厚岸湖においても、往時の見る影もない数にまで減っているのだそうで・・。

能取湖・卯原内地区 ではサンゴ草の絶滅を回避するべく、早くから保存活動に乗り出していましたが、紆余曲折を挿みながらも近年ようやく その成果が実り、地域における回復を実感出来る状態なのだそうです。 厚岸湖湖畔においても能取湖の事例をもとに再生保存を進めているのだとか・・。

とはいえ、地盤沈下や湖岸の埋め立て、また温暖化の影響などにより全体的な生育域が減少の一途を辿っている現状には、中々歯止めがかからない様子。 もしかすると、美しく神秘的な緋色の絨毯を見ることが出来るのも、限られた時間なのかもしれませんね。 機会があれば、ぜひともこの目に焼き付けてみたいものなのですが・・。

「能取湖 サンゴ草 群生地」 北海道 網走市 網走市卯原内60-3

 

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