覚醒めの日も遠からず 首里城復興の今 – 沖縄県

全国における新型コロナウイルス罹患者の増加に中々歯止めがかかりません。
オミクロン株の感染力は想像を超える勢いで患者数を増やし続け、医療機関の対応ももう限界間近。一日も早くピークを越えて下降傾向を迎えることを祈るばかりですが・・。

在日米軍駐留などの地域性によるものか、他府県より一足早くオミクロン株の病禍に見舞われた沖縄県は、新年早々 1月のはじめから急激な患者の増加を見て、中旬頃には一日1800人もの感染者数を数えましたが、現在はようやくその峠を越え3分の1程度にまで減って来ています。 一時は医療従事者への感染も広がり難局を極めたようですが、このまま収束に向うと良いですね。

 

さて、2020年以降、本土と同じくしてコロナ禍に苦慮する沖縄県ですが、当地にはもう一つ解決しなければならない “課題” が残っています。

失われた「首里城」の復興。 新型コロナウイルスの到来に先立つこと3ヶ月前、2019年10月31日深夜に発生した火災によって、正殿を含む主要な建屋の大半(計7棟)が失われてしまいました。 また建造物のみならず、収蔵されていた400点以上の貴重な宝物も同時に灰と化してしまったのです。

沖縄 / 琉球王朝 の象徴ともいえる「首里城」の喪失は県民は言うに及ばず、全国に大きな衝撃と悲しみをもたらしました。

14世紀頃の創建とされる首里城は その歴史の中で今回の火災を除いて、過去4回の焼失を経験しています。 中でも4回目、1945年の焼失は沖縄に壊滅的な災禍をもたらした終戦直前の “沖縄戦” によるものでしたから、戦災に加えて 当時の県民の苦渋は想像を超えるものであったでしょう。

戦火で失われた民の心の拠り所再建に向けて、本格的な計画が動き出したのが1980年代に入ってから。 それまで城跡地に立っていた “琉球大学” が移転を完了したことに伴い “首里城再建計画” を始動、先に再建されていた象徴「守礼門」を基軸に、大規模な発掘調査や文献の精査を行いながら、総括的な復元作業に取り組んで来たのです。

以来、復元への努力が重ねられ、平成年代に入って “正殿” をはじめとした各建屋が完成、2000年には “琉球王国のグスク及び関連遺産群” の名で 世界遺産にも登録されました。計画から40年近くにわたる再建の歩みが ようやく実り、2019年1月大半の工事を完了した・・その矢先の火災であっただけに、沖縄が受けた悲しみは尋常なものではなかったはずです。

あれから2年の時が経ち首里城の現在はどうなっているのでしょう。 一般の建築物でないだけに復元・再建もかんたんではありません。また40年復興への繰り返しでしょうか・・?

結論から先に述べると今回の再建に掛かる工期は6年、2026年度中の完了を目標に工事が進められています。 そして、折からのコロナ問題に足を取られながらも、そのプロセスは着々と進められているそうで、県民一体となった関係者の熱意が感じられますね。

瓦礫を全て撤去し 焼けた正殿周辺は工事に向けた整備が成され、直接 災禍に見舞われなかった周囲公園地域は、早い時期から一般公開に踏み切られています。

昨年の末には再建のメインとなる正殿周囲を覆い囲むように、屋内工事用の巨大な建屋が建設されました。 本格的な復旧に向けて大きなステップを踏んだわけですが、今回の工事には以前の “戦後再建” とは基本的に異なる部分があります。

 

一つには、今回の工期が以前に比べて格段に早い理由に、復旧面積の差や技術的な進歩が大きく作用しているだけでなく、前回の工事が “失われた遺跡の再確認”(それこそ、外壁や瓦、内装の色の考証など)から始められたのに対し、今回はそれら今までに積み上げられた研究事績を持っての再建なので、効率的な工事が可能なのだとか・・。地道な基礎研究の成果とも言えるでしょうね。

もう一つは、再建に向けての工事過程を(部分的にでも)、出来るだけ一般に公開しながらというスタンスをとっているのだそうです。

これは安全や工事の進行に合わせるという事情から、全ての現場を観覧出来るわけではありませんが、その時々の進展具合を関係者だけでなく、一般の人々にも共有してもらい首里城再興の道程を知ってもらおうという取り組みで、復旧途中の建造物や、地板を剥がした状態の “御庭(うなー)” などが、これまでに公開されています。

画像 © 首里城公園管理センター

因みに 2000年に認定された世界遺産への登録は、建物が焼失した後でも取り消されることは無いようで、ひとまずは安心と言ったところでしょうか。

首里城火災の後は全国からの復興募金や応援が絶えなかったといいます。
その後のコロナ禍もあり旅客などは減りましたが、どうか皆様には これからも首里城の再建、沖縄の象徴の復活を暖かい目で見守っていただければと思います。

 

只、今回の火災では単に “首里城の焼失” というだけでなく、この災禍にまつわる様々な問題をも浮き彫りにしました。

火災を含む異常発生に対して警備体制が有効に機能していなかったのも その一つですが、そもそも その前段階、現在の建造物には一般化されているスプリンクラーなどの消火設備が備えられていませんでした。耐火基準の内装や構造も取り入れられてなかったようです。

これは 手抜きというわけではなく、人が居住したり長時間 集合したりする建物とは、建築や防災に対する法的基準が異なることによるもので、首里城だけでなく全国の遺跡・文化財施設には同様の懸念を持ったままの施設も少なくないのだとか・・。

しかし、全ての施設の構造要素を現代的な防災安全素材で満たそうとすると、コストの面だけでなく、歴史的な資料としての価値を失うことにもつながりかねず、一元的な防災基準を適用することも難しいのが現状です。

 

沖縄県では 事故後の報告書で次のように述べています。
「文化財的価値のある建築物や展示物を守るためには、建築基準法や消防法とは別の観点からの防火対策、設備や管理・運営での対応を検討する必要がある」

願わくば、我々人間が生きてきた歴史の証しが失われてしまう前に、これら遺跡・文化財に適した有効な法の整備と実際の施行が、一日も早く成されることを祈るばかりです。
4年後、不死鳥のごとく蘇る首里城の姿を想いながら・・。

在りし日の首里城正殿

 

 

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