緑濃き水溢れる民話の里 出羽国から – 前

山形県、県内の85%を緑嶺が占めるという “山の県” でありながら、擁する全ての市町村に温泉が湧出する ”温泉県” であり、登山・スキー・温泉と三拍子揃う「蔵王」をはじめとして、神厳満ちる「羽黒山」、圧巻の「垂水遺跡」、日本一の滝の多さ、など、自然に根ざした往古の風を伝える景勝に溢れています。

母なる自然と地域の特色を生かしたイベントなど、その多くが一介の行楽を超えた観光地として人々を魅了し、ここ20年程の間 国内客はもとより海外からの観光来客も右肩上がりが続いているそうで、これからも 滋味溢れる山形の魅力が薄まることは無さそうですね。

 

自然に根ざした風土豊かということは、古から伝わる伝承も それに相応しく、自然とともに生きてきた人々の暮らしや、自然そのものの厳しさを下地としたものが多く、時として楽しく また時として悲しい話が伝わりますが、今回はその中で「蛇」を題材とした民話をいくつかお届けしようかと思います。

ご存知のように「蛇」は古来より神聖を帯びた生き物として扱われ、それは神に近しい存在で在ると同時に、時に 社会に大きな災いをもたらすものとしても描かれ、民話の中でも高い頻度で登場しますね。

山形県で有名な「蛇」の お話に『与蔵沼』というものがあります。
割と知られた民話ですので、とりあえず概略だけお伝えしますと・・。

 

『与蔵沼』

その昔 与蔵という名の炭焼きがおった

ある時 与蔵は仲間と二人で峠の小屋に籠もり炭を焼いておった

昼飯時となったので谷川で獲っておいた 岩魚 を食おうということになり
仲間は谷川に水を汲みに行き 与蔵は魚を焼く番をしておった

魚が焼けてくると良い匂いが立ち込め与蔵はつばを飲んだ
水汲みに行った仲間が中々戻らない中 我慢しきれず与蔵は先に魚を食べてしもうた

それでも中々戻らない仲間 ついに与蔵は食べてはならぬ仲間の分の魚まで食らうてしもうたのだと

 

すると どうしたことか 急に喉が乾きだし 居ても立っても居られず 谷川に駆け下りて 流れる水をがぶがぶと飲んだのじゃと

ところが 飲めば飲むほど さらに喉の乾きは増すばかり・・

 

その頃 水汲みに手間取った仲間がようやく小屋に戻ってみると 与蔵の姿がない

こんな何にも無ぇところで何処へ行ったのか 小屋を出て与蔵の名を呼びながら沢を下ってみると 今までに見たこともない大きな沼が いつの間にか広がっておるではないか

”与蔵~” 大きな声で辺りに叫んでみると ”お~い!” と聞き慣れた声で 沼から一匹の大きな蛇が鎌首をもたげて出てきたのじゃと・・

欲に負け、さもしい心を顕にして難儀な結末に至った男の話、訓話的な形として語られますが、一説にはこの後、駆けつけた父母に諭され、沼の主となって里の守り神となったとの形態も見受けられます。この方がいくらか救いがありますね。

与蔵が棲んだとされる沼、『与蔵沼』は 一応 実在にありまして、”人の顔の形” と言われる山形県の “こめかみ” の辺りとでも言えば良いでしょうか? 山形県北部・庄内地方の出羽丘陵・与蔵峠 の一所にブナの林に囲まれ、静かに息づいています・・。
この辺りはトレッキングの愛好家からも好まれているそうです。

 

さて、これに似たお話が 山形県の南部 “あご” の部分? 置賜地方・西置賜に伝わります。
こちらは若干、越境の展開で、そもそものはじめは隣国・越後にあるようです・・。

 

『お里乃』

越後国の女川という村に “忠蔵” という名の猟師がおったと

ちょっと変わった猟をする男で 山奥にまで入り込むとマタタビを焚き その匂いにつられたやって来た大きな蛇を射獲っては持ち帰り味噌漬けにするのだそうだ

ただし この蛇の味噌漬け 食べて良いものと悪いものがあって 漬けて三年経たぬものは決して食べてはならぬ と言われておる

忠蔵はこのことを女房のお里乃にも言い置いてあったが ある時 お里乃はこの言いつけを忘れ まだ三年経たぬものを つい口にしてしもうたのだと

 

食べてみると これがまあ美味いのなんの もう一口 もう一口と食べるうちに ついに一桶 平らげてしもうた

すると なぜだか無性に喉が乾きだし 水屋にいって柄杓で水を飲むも いっこうに喉の乾きがおさまらん

その頃になるともう 水のことしか考えられんようになって ついには家の外へ走り出ると大川に飛び込み息もつかずにがぶがぶと水を飲みはじめたそうな

その姿を見た村人たちは お里乃が気が触れたと大騒ぎ

ところが その時 一天にわかに掻き曇り 大風は吹き出し大雨が降り出し・・
そして黒雲の間からうねうねと細長い雲が降りてきたかと想うと 川にいたお里乃を包み込み やがて空高く吸い上げていってしまったのだと

その時の姿はもはや人の形ではなかったともいう・・

山から戻った忠蔵はこの顛末を聞かされると・・

「里乃が蛇精と化したは おれが蛇を殺し続けた報いに違いない」と 村人たちに別れを告げ 頭を丸めて巡礼の僧となり 何処へともなく旅立って行ったのだそうな・・

そして 暫しの時が経つ頃 出羽の小国の大里峠に一匹の大蛇が棲み着いたと噂が流れた

峠を越えようとする者を獲っては食い 麓の村に出ては田畑を荒らし牛馬を食らう
樵も働けず峠の行き来も出来ない 村の者たちはほとほと困り果ててしもうた
こうなれば神仏に頼るほかなしと 村人総出で願掛けまで行うたのだと

 

満願の夜 一人の盲の旅の僧がこの峠に差し掛かった
疲れを癒そうと道すがらの岩に腰を下ろして休むうちに ふと寂しさを覚え
持っていた琵琶を取り出すと じゃらん じゃらんと掻き鳴らしたのだと

美しく悲しく響く琵琶の音色は 人気も途絶えた夜の山々へどこまでも流れていった
それは 世の無常とともに僧の人生をも表しておるようじゃったと・・

「何と美しい音色 何やら懐かしい気もします・・」

ふいに かけられた言葉に僧は驚いた このような夜更けに このような所で女の声とは

「お前さまは・・?」

問う僧に 女はこの世のものとは思えぬような声で言うたそうな

~ 我は関谷に棲まう大蛇なり いつは岩陰に隠れあれど 一度 本性現さば 山を巻き谷を埋める体躯なり されば近々 川を堰き止め近郷近在 これ皆 泥の海へと落とし込み これに棲まおうと思う ~

「何ということ・・・・」

~ されど今宵は 我好む琵琶の音を聴かせ給うた よって そなたにのみ このことを教える 急ぎこの地を去るがよかろう ~

もはや 僧は言葉もなくうつむいていたが 最後に一言だけ女に問うた

「今 琵琶の音が好きだと言うたが ならば嫌いなものはあるのかね・・?」

「そう・・ やはり鉄が一番嫌いですね 蛇の身には鉄は毒にしかなりませんもの・・」

それだけ言うと いつの間にか女の姿は消えてしもうたと・・

 

それから暫く 身じろぎもせず佇んでいた僧だったが やがて決意したかのように立ち上がると 一路峠を降りて麓の里へ入ると村長の家を訪ね 昨夜 峠であった事の次第を話して聞かせた

「それは えれえこつじゃ!」

驚いた村長はすぐに触れを出し 村中の釜やら鍬やら金気のあるものをかき集め それを溶かすと沢山の鉄の杭をこしらえたのだそうな

村の若者たちはその杭を持って大里峠に上がり 掛け声とともに一斉に打ち込んだのじゃと

とたんに 何処からともなく不気味な叫び声が響き渡ったかと思うと 山は鳴り道は揺れ動き川は波立つ始末  若者たちは ほうほうの体でようやく山から逃げ帰ったそうな

山鳴りは七日七晩も続いた

ようやく収まったころに皆して見に行ってみると 大里峠を七巻半もした大蛇が息絶えて死んでおったのだと

村は大難から救われ これより後 災いも遠のいた

村人たちは 大恩人である僧の姿を探したが どこにも見当たらぬ
わずかに 峠に向かう鎮守の森の前に一挺の琵琶と杖が残されるのみであった

そこから知れた 僧の法名は ”蔵” という名であったそうな

 

何とも泣けてくる話の展開ではありますが、大蛇と化した里乃も出家した忠蔵も、あの世で再会を果たして安らかに過ごせればと思うばかりです。

こちらの方も 与蔵沼と同じく、当該地にその名残を留めているようで、忠蔵・里乃が当初住んでいた越後の地に “蛇喰(じゃばみ)” の旧地名が残り、僧・蔵を祀ったと言われる大蔵神社が当地に残っています。* 大里峠は山形と新潟の県境域、大蔵神社は新潟県側に有ります。

次回は、同じく出羽国から蛇にまつわる勇ましいお話、楽しいお話をお届けする予定です。

 

 

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