山の高みの人魚のお寺 繖山観音正寺 ー 滋賀県

昭和の時代、オカルト指向なテレビ番組が時折放映され、その多くが結構な視聴率を上げたものです。 怪奇な事件や現象が演出よろしく紹介されたものでしたが、いわくありげな物品も色々と登場しました。

その中のひとつに少々醜怪な姿を晒す一品が持ち出され 茶の間の驚きを誘ったものです。 それは “人魚のミイラ” 、一抱えほどの黒褐色の塊で、苦悶に喘ぐような人型の上半身と魚型の下半身が合わさった奇怪な姿が不気味でした。

御神体の一種としても話され、事実 このミイラを秘蔵の遺物として奉収している寺院も存在します。 ・・が、真偽の程は詳らかでないものの、この人魚のミイラというものは一体のみのものではなく、意外と多くの数が存在するようです。

 

テレビ画面に登場した当時から言われていたことですが、これらのミイラには造形の痕跡が共通して見られることが多く、一説には江戸期においてキマイラ的造形(複数の遺骸を集合して造る)の造形師がいたとも言われ、明治以降 東方の国の珍品として海外にも少なからず持ち出されたともされており、イギリス・ロンドンの大英博物館にもその一体が保管されているそうです。

仮にこれらのミイラの多くが造り物であったとしても、それらの中には通常と異なる姿態・状況を呈しているものも稀にあり、その全てが紛い物と言い切れないところが歴史のミステリーと合わさって人々の関心を誘い、引いては信仰の対象となり得る所以でしょうか・・。

 

滋賀県近江八幡市、繖山(きぬがさやま・標高433m)の八合目付近に立し、秘仏本尊 “千手観音像” をして古より崇敬を集めていた 天台宗『繖山 観音正寺』

この寺院に かつて収蔵されていた “人魚のミイラ” も、そういった異彩の姿形を留め不思議のオーラを纏ったものであり、観音正寺の創始に連なる縁起と相まって、焔の彼方に消えるまで数多の畏敬を促すものでありました。

 

当サイトでも何度かご登場頂いている 往古黎明の偉人 “聖徳太子”、観音正寺は日本の歴史に悠然の光成す この聖徳太子による開基と伝わります。

推古天皇の御代、淡海(おうみ / 滋賀)の地を訪れた聖徳太子が、琵琶湖の湖畔に辿り着いた時、朧げなる呼び声に水面を探すと、そこに一体の人魚が現れてこう言いました。

「自分は前世で漁師をしており その殺生因果の為に今世このような姿と成り果てました・・ どうか憐憫をもって供養を成し 私を成仏の途に就かせてください・・」

この憐れな人魚の願いを聞き届けた太子は、その湖畔を見下ろす繖山の頂に堂を据え 自らの手づにて千手観音像を彫り上げ、本尊として納めたのだそうで、これが観音正寺の創始となったのだそうです。(上でご案内した人魚のミイラもこの縁起に連なるものと云われていました。)

 

太子によって創建された観音正寺、伝承の如く繖山のほぼ山頂にて本堂を持ち、天台の教えを歴史に刻み始め多くの崇敬信徒を集めるに至りました。

武士の時代となってからは、当時の国守 六角氏の庇護もあり七十二坊の栄えを得て隆盛し、西国三十三所観音霊場※の一院と数えられるまでになりましたが、戦国の世には数多の寺院に漏れず戦乱の災禍を免れず、一時は立地を移し果ては戦火に焼かれることもありました。 (※西国三十三所観音霊場の成立や年代には諸説あります)

戦火がその勢いを忍ばせ世に平穏の光が近づきつつあった慶長2年(1597年)に、再び創始の山頂に堂を築き かつての威容を復興、以後、江戸時代から近代に至るまで途中 廃仏毀釈の波をくぐりながらも、千四百年の法灯を連綿と守り続けてきたのです。

© 繖山 観音正寺 HPより

しかしながら新たな そして大きな試練は近年になって訪れました。
平成5年(1993年)に大火に見舞われ本堂伽藍のみならず、秘仏本尊であった千手観音像までもを失ってしまったのです。この時、伝承の人魚ミイラ像もともに灰と帰しました。

大本尊まで災失し 一時は再建さえ危ぶまれる観音正寺でありましたが、僧員・宗徒はじめ関係者の尽力が実って復興への道のりを再び歩み始めました。

伽藍の再建もさることながら、大火から11年後 平成16年新たに彫像・開眼された御本尊は旧来の御本尊の10倍に達しようかという坐像観音像であり、また西国インドから特別の許しをもって輸入された23トンもの白檀をして造られたものだとか。

 

ところが、さらにその8年後 平成24年には、大火で焼け残っていた遺品の中から旧御本尊の “御前立” である写し本尊が発見され、修復を施された後、旧御本尊に代わって33年回帰の秘仏とされ、来年 令和4年に「聖徳太子1400年御遠忌」として開張される運びとなったそうです。

創建以来 現在に至るまで幾多の数奇な歴史を刻んできた、人魚にまつわる山頂の寺院『繖山 観音正寺』 繖山の頂から今日も近江国安土を静かに見晴らしています。

 

『 繖山 観音正寺 』 公式サイト

 

 

 

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