海渡る光る二つの観音さまの物語(一体目)ー 三重県

律令制の時代、今の三重県にあたる地域は、北西部の伊賀国と南北を貫く伊勢国、中東部の志摩国、そして熊野の一部がそれぞれ独立した領土として機能していました。

江戸時代になってもおよそ同じ形のまま藩政へと移行しましたが、明治期の廃藩置県及びその後に行われた幾度の統廃合により、それまで紀州の一部とされていた牟婁(熊野国)を含めて南部地域が “度会県” となった後、三重県へと統合されました。
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現在の三重県は地勢的に北勢、伊賀、中勢、南勢(伊勢志摩)そしてかつて牟婁であり熊野の一部であった東紀州の五つの地域に分けられますが、今編は大洋に面した伊勢志摩と古来 紀州との関わりが深かった東紀州の地から “光る観音さま” にまつわる二つのお話をお届けします。

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相差と書いて “おうさつ” と読みます。真珠や牡蠣の養殖で有名な伊勢志摩・鳥羽市の漁業の町であり “海女さん” の町としても知られています。 その相差・・当時は(一説に)大砂津と呼ばれていた千年以上もの昔、この海辺の地で起こった不思議なお話・・

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その頃 大砂津の村は不穏な話で持ちきりじゃった

ここのところ 日が沈み夜闇が訪れるころになると 岬の向こうに何やら黄金に輝く光が現れる

何が光っているのか 遠く近くゆらりゆらりと揺れ動き正体を得ない
あれは海坊主なのか それとも 悪霊の類いなのか

いつしか怪しき話ばかりが膨れ上がり 誰彼となく恐れるばかり
うかつに舟も出せぬようになり 村はほとほと困り果ててしもうた

どうにかならぬものか 誰かあの光の正体を見極め取り除いてくれる者はおらんか
寄り合い話し合うものの ならば俺がと名乗り出る者も中々に居らず・・

思いあぐねた挙句 村外れに庵を囲う 浜の平 という男に頼もうということになった

浜の平はいつの頃からか村に流れ着いた者で それまでは武人であったと言われるが いつか戦に落ち延び この村で隠棲しておったのだそうな

村人たちの頼みを黙って聞いておった浜の平だったが やがて膝を打ちこう言うた

「話はよう分かり申した 今まで文句も言わず儂を受け入れてくれた村への恩義もある されば その光 ひとつ儂が行って見極めてこよう」

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光をよう見かけると言われる岬のたもとに小さな小屋を設え 浜の平は夜の耽るのを待った

日が山の彼方へ隠れ やがて辺りを闇が覆い出す それでも浜の平に届くものは黑々とした波のうねりと岩を打つ音だけ・・

今宵は現れぬのか・・ 浜の平がそう思うた時 波の彼方はるか向こうに何やら揺れ動くものが見えたのだと

あれは・・ その光はゆらゆらゆらゆら 遠く近く左に右にと行き来しながら段々と近づいて来るではないか

「何が光っておるのだ? あのように波の面に揺れながら光る魚も海月も聞いたことがないが・・」

訝しがる浜の平をよそに やがてその光は浜の平のいる小屋のすぐ近くにまで流れ着いた

岬の浜に寄せて留まっておる その光

よし ならばその正体を見極めてやろうと 小屋からそろそろと身を乗り出した浜の平

「何と・・・」

そこにおったのは海坊主でもなければ悪霊でもない
一頭の大きな鯨であった

浜辺に身を寄せて静かに眠っておるではないか・・

そして その頭上 おそらく潮を吹く辺りであろうか
金色に輝く何かが立っておる

元は武人といえ今まで間見えたこともなき巨大な鯨
起こさぬように そろりそろりと近づき目を凝らしてみると

それは一体の光り輝く観音像であった

何と神々しき御姿 何故に鯨の背に乗られておるかは解らぬが このまま置いておくわけにはゆかぬ気がする 観音さまも そのためにここに来たと言うておる気がする

浜の平は静かに鯨の背に登り 観音像に手を添えるとそっと袂にしもうて そのまま村へ帰ったのだそうな

自らの庵に着いた浜の平は間に合わせの祭壇をこしらえ そこに観音さまを祀ると その晩は泥のように寝入ったのだと

翌日 集まった村人に昨夜の出来事を話すと皆 浜の平の勇気を讃えるとともに観音さまの輝きに有り難く手を合わせ 不思議なこともあるものじゃと話しながら帰っていった

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さて この観音さま このまま この荒屋に置いておくのも勿体ないし どうしたものかと浜の平 考えあぐねながら過ごしていたある日の夜・・

眠る浜の平の夢に観音さまが現れたそうな しかし その御顔は悲しげに翳っておられる

如何なされました 観音さま? 何故そのような御顔をしておられます?

心で問う浜の平に観音さまは返したそうな

[ 帰りたい・・ ]

帰りたいと? 何処に帰りたいと仰せなのか? まさかに海にとでも・・?

[ 私は元々 青峰山正福寺の本尊 その身の内にあった胎内仏なり ]
[ 海の瀬の荒れる潮を鎮めんがため神明により遣わされたが ことその務めも終えた よって正福寺へと帰りたいのだ ]

なるほど そのような因縁であったのか・・
あの時 鯨の方から近づいて来たのにも頷ける・・

画像:Wikipedia N yotarou 様

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次の日 浜の平は朝の早うから身支度を整え草鞋の紐をしっかり締めると 観音さまを大事に抱えながら青峰山に登った

正福寺に上がり観音像を前に事のいきさつを話すと 果して夢のお告げに沿ったものだったそうな

こうして観音さまは無事 故郷の寺に帰ることが叶い それ以降というもの “青峰さん” のご本尊は海の荒れを抑えてくれる観音さま という話が広まり
大砂津の村で海に関わる者は皆 年に一度の御参りを欠かさぬようになったのだと

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浜の平が見晴らした岬は その後 鯨山の岬と呼ばれ
観音さまを乗せて来た鯨は浜辺に寝たまま岩となり 鯨岩と呼ばれるようになったそうな

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青峰山正福寺 は別名 嵯峨御所 と呼ばれるほど格式の高い仏教寺院で、古くから海運の守護に霊験有りとして、北は北海道から南は九州にまでその尊崇を集める名刹でありました。 ”日本一 海女の多い町” として知られる お膝元、相差町からも “青峰さん” として愛されています。

相差の祭「天王相差くじら祭り」や「御船祭」に関わりながら今も波穏やかに青峰信仰を現代につないでいるのです。

さて、本日前編のお話はここまでなのですが 最後にひとつ、このお話に登場する浜の平という元武人の詳細は詳らかではないのですが、 何と!この浜の平の子孫にあたるといわれる方が相差の地で現存されておられるのだとか・・

お伽噺から出てきた主人公のようで、何ともファンタジーな気分にさせてくれますね。

後編は同じ三重県南西部から、類型のお話をお届け致します。

画像:「天王相差くじら祭」相差民宿組合 様

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