桜島見ゆ 篤姫も愛した島津の名勝仙巌園 – 鹿児島県

* 今回お送りする鹿児島県の庭園「仙巌園(せんがんえん)」は、現在コロナウイルス感染拡大抑止に関連して現在 休園中です。(令和3年2月28日(日)迄 予定・延長の可能性有り)ご了承ください。
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寒がりの私にとって今年の冬は特に寒いように思っているのですが、周りの人に言わせると「チョッと寒いけどマァこんなもん・・」らしいです・・(苦笑

何かにつけコロナウイルスの対処が求められる中、感染者数は中々に抑え難く、社会的な機能を別にしても 精神的に抑圧された時間が続き、余計に灰色の冬を過ごしているような気分にさせるのかもしれません。

とは言え、124年ぶりといわれる “2月2日” の節分も過ぎ、春の足音も着実に近づいてきています。 今回「仙巌園」の記事を思い立ったのは、春の象徴でもある “桜” の記事をチョッと早めにお伝え出来ないかと 鹿児島県下の名所を探していた折で、錦江湾と桜島を背景に映える絶妙な日本美に目を奪われたからに他なりません。

上記の通り、残念ながら現時点では休園の対応をとっていますが、鹿児島における今年の開花予想は3月の後半のようなので、うまくいけば満面の桜見物も充分に可能ですし、仮に開園がその先に延びたとしても、「仙巌園」が見どころ多く歴史の風情に溢れた名勝であることに変わりはないのです。

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「仙巌園(せんがんえん)」は 万治元年(1658年)第2代薩摩藩主、島津光久(しまづみつひさ)によって造園された島津家の別邸庭園です。

初代薩摩藩主 島津家久の跡を継ぎ藩主となった光久の頃は、江戸幕府において徳川家光の治世であり幕藩体制も安定から強化に至った時代でもありました。 確固たる管理体制を敷いてくる幕府に対して従順の姿勢が求められたのです。

当時、薩摩藩は稲作がうまく機能しておらず、同時に藩内に多数の士族(多くは郷士)を抱えていたため、財政的に窮した状態でありました。 歴史的に対外貿易にその多くを頼っていた薩摩藩でしたが、そこに幕府による “鎖国政策” の余波が押し寄せたのです。

薩摩藩成立から40年足らず家中の安定にも手が掛かる中、貿易に代わる経済構築を求めて新田の開発、灌漑・治水の増進、そして金山開発など様々な施策に取り組んだそうです。

79歳という当時としては長命な人生で、50年間もの間 藩主を努め 藩政の基盤を固めたことは地味な事績ながら、後の 島津斉彬(なりあきら) や 国父と呼ばれた 島津久光(ひさみつ)に劣らぬ 賢君だったと言えるでしょう。

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そんな時代に「仙巌園」は開かれました。別名 磯庭園と呼ばれるかつての浜辺沿いに定められた庭園は風光明媚な景勝に恵まれながらも、まだまだ掌理の途上であった光久の治世下では豪奢と言えるものではなかったのかも知れません。

しかし、錦江湾を “池” に、桜島を ”築山” に見立てて造営したといわれる景観は、庭園としての形式*を成しながらも極めて雄大な眺望をもたらし、限られた区域に設けられた人工の園でありながら大自然と渾然一体となりながら、訪れる者に稀なる感動を与えるのです。

* 日本庭園には幾つかの形式分類があり、”表現形式(なにをに例えているか)” の分類では阿弥陀信仰に則った「浄土式庭園」、中国由来の神仙思想を背景とした「蓬莱式庭園」、著名な景勝地の再現を標榜する「縮景式庭園」などがあります。

錦江湾を “池”(神界の大海)桜島を “築山”(蓬莱山)に例えたと思われる「仙巌園」は正に「蓬莱式庭園」の様相を呈し、それは古来より海外との交易と文化の交流に重きを置いてきた薩摩藩たる所以と思想なのでしょうか。

その思想は形を変えながらも代々継承され、藩主とその継嗣のみが通ることを許されたとされる「錫門(すずもん)」等をはじめとした造営物にも大陸文化の影響が見られます。

 

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園内に築かれた島津家の別邸「御殿」は 当初 藩主の別荘として機能していましたが、代を重ねるに連れ本宅として使われる時もあり、また薩摩藩ならでは外国特使を迎える迎賓館としても活用されました。

動乱迫る幕末期、「仙巌園」を殊の外気に入っていた当時の藩主 島津斉彬はこの地に “薩摩切子” の制作場や製鉄の試験場を設けたとされており、薩摩切子の生産は「薩摩ガラス工芸」として現在にまで受け継がれています。

今和泉島津家の息女として生まれ、本家 斉彬の養女となって第13代将軍 徳川家定の継室となった島津一(かつ)、後の天璋院篤姫も嫁ぐまでの18年間を当地に暮らし、この「仙巌園」にも足を運んでいたといわれており、このことから2008年のNHK大河ドラマ「篤姫」のロケ地ともなったそうです。

幼い頃から利口活発で、庶民のごとく浜辺に出て遊ぶほどの行動派であった篤姫、18の歳で薩摩を離れ、以来 二度と帰郷の叶わぬまま 激動の人生を生き抜いた彼女の中で、故郷の浜辺、仙巌園での想い出は、一時の癒やしであるとともに生きてゆくための力の源泉でもあったのではないでしょうか。

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昭和期に入って整備が施され一般にも門戸が開かれた「仙巌園」は、時を越えて往時の面影を留めるとともに、歴史博物館でもある「尚古集成館」リアルに職人たちの技を観覧出来る「薩摩切子工場」和風、洋風、そしてカフェに至るまでそれぞれに設えられた食事処など、現代的なユーザービリティにも溢れています。

また 敷地内には代々の島津家菩提が祀られる「鶴嶺神社」、そして島津家先祖17代 “鬼島津” と称され 戦に ”猫の瞳孔” を用いたとされる ”島津義弘” に因んだ「猫神神社」も神社巡りのお好きな方には興味の惹かれるところでしょうか。

白眉の景色「時雨の滝」小山の頂からの妙なる眺望「集仙台」園東端において桜島を眼前にする「秀成荘奥芝生広場」など、「仙巌園」の見所にはきりがないほどです。

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篤姫も愛でた島津の桜、今年の花見は微妙なところですが、近く訪れるであろう本当の春を信じて今は静かに待ち続けたい。 そして必ずいつか この地を踏んで優美で壮大な景色を満喫してみたい。そう思わせてくれる「名勝 仙巌園」のご紹介でした。

篤姫像 鹿児島県歴史資料センター

.『 名勝 仙巌園 』 公式サイト *2021年2月28日迄休園予定

『 名勝 仙巌園 』 イベント案内

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