夢は現実 現実は夢 夢物語から学ぶもの(前)- 大分県

 

空をフワフワと飛んでみたりする夢があるそうですが、残念ながら私はこれまで見たことがありません。
高いところは苦手なので見れなくても構わないのですが、夢の中では得てして非現実的なことでも殆ど疑うことなく受け入れ、その時間その世界の中で過ごしているもの。そうすると町を見渡すような高度を身一つで飛んでいても、怖くもなければ不思議とも思わないのかもしれません。 なれば見晴らしも良さそうだし一度くらいは見てみたいものです・・。

多くの場合 夢は見たとしても目覚めとともに意識から遠退き、やがて どんな夢だったのか、そもそも夢を見たのかさえ思い出せなくなってしまうことも多いのですが、やはり印象の強い夢は心に残りますね。時として長年に渡って記憶することさえあります。

 

大分県の北東部、瀬戸内に向かって突き出た国東半島の一画を占める “杵築市”、山海に恵まれたこの地に、実にユーモラスかつアドベンチャーな昔話が伝わっていますので、今日は それをご案内させて頂きます。

 

『 猪作の夢 』ーーー

さても昔 杵築の里の中ン原に猪作という男がおったんだわ

地味な男ではあったが 根は真面目で畑仕事も黙々とやりおる

特に山芋を掘り出すにかけては大したもんで 猪作の手にかかりゃあ
どげん長か芋でも傷ひとつ付けんと きれいに掘り出したとな

 

ある日 いつもンごつ山芋を掘ろうと裏山をほっつき歩いとった猪作

ふと見ると こん棒ほどもあろうかというような 太か蔓(つる)を見つけたと

こりゃあ立派な山芋じゃと腕によりをかけて掘り始めたんだと

程なく芋の姿が現れたが どげんしたこつ えれえ長か山芋で掘っても掘っても
腕を限りに鋤を入れても いっこうに掘り上がらん

仕方のう猪作は芋の周りを掘り広げ 自分も穴の中に入って掘り進めたんだと

ところが 更に掘り進めても さっぱり芋の終わりが出てこん

一体どんだけ長か山芋じゃ思うたが ここで止めては芋掘り名人の沽券にかかわるとばかり無理を押して掘り進めとな 掘ったが 掘ったが・・

どんだけ掘り進んだじゃろうか もう何日掘ったか解らんごつ思うた頃に ようやっと芋の終わりを掘り当てた

やれやれ えれえ長か芋じゃったわい しかし これを引き上げるにも一苦労じゃの と思うて初めて気付いたが・・

夢中で掘った土を端から端から後ろに回していったもんで 最早 入って来た入り口は暗く遠い彼方 戻ろうに戻れん

 

ここは 大阪のとある傘屋の庭やったと

その日は よう晴れとったんで 貼り上げた傘を干すのに丁度良いとばかりに
傘屋の主人が小僧を連れて庭に出てみると 何やら庭の真ん中辺りがムクムク動いちょる

何じゃありゃあ? と皆して見ておると やがて土が割れて そん中から頭のようなものがノソノソ見えておるではないか

「こりゃ 化け物モグラじゃ! おい!鍬を持って来い!」大騒ぎになった

その時 土の中から声がしたんだと

「待ってくれ! わしゃモグラじゃねぇ! 人間じゃ!人間じゃ!」

驚く皆の前で土の中から出てきたのが猪作じゃった

 

「わしゃ 豊後国の杵築に住んどる猪作ちゅう者ですが・・」

土を落とした猪作は傘屋の主人を前に 今までのいきさつを話したそうな

不思議な事も有るもんじゃ と驚きながら聞いておった主人じゃが

「ほやけど 豊後国いうたら この大阪からはえらく遠いお国じゃて」
「そのなりじゃ帰る銭も無かろう 何ならしばらく わしの店で働いて帰りの銭を稼いだらどうじゃ?」 と言うてくれたとな

ありがたい傘屋の主人の気心で 次の日から猪作は傘屋で働くことになったんだと

初めのうちは慣れぬ仕事に戸惑っておった猪作じゃが 根が真面目なこともあって
やがて仕事も覚え店の役にも立つようになっていったと

 

ある日のこと 貼り上がった傘を干そうと庭に出た 猪作

持っておった傘を広げた途端 いきなり突風が吹き込んで来た

傘を持ったまま あっという間に吹き上げられ 足元に見えるは大阪の町

おっかなびっくり見晴らしながらも命からがら傘の棒から手が離せん

このまま どうなることかと思うとる間にも吹き上げられ吹き上げられ・・

挙げ句 とうとう雲の上にまで辿り着いてしもうたとな

ここも向こうも真っ白な雲の中 初めて見る景色に猪作 辺りをきょろきょろ見回しておると

やがて向こうの方からドスン!ドスン!と音を響かせて何者かがやって来おった

「何じゃ お前は !? ここで何をしちょる !?」

たまげたのなんの 声をかけて来たのは雷様じゃったとな

恐ろしい鬼にも似た雷様の姿に猪作 身を縮こませながらも今までのいきさつを話すと

「なるほど 風神のいたずらに当てられたか それは気の毒じゃ」
「ならば しばらく天界ですごすがよい そのうち帰れることもあるじゃろうて」

形相にも似ず 優しい雷様の言葉にほっと胸を撫で下ろし その日から猪作 雷様の手伝いをして暮らすようになったのやと

 

雷様の手伝いというのは 雷様が小さく太鼓を叩いた時は桶に溜めた水を葉っぱに付けてパラパラ落とし 雷様が大きく叩いた時は柄杓に汲んでザァと撒く

思いの外 この仕事が気に入った猪作は毎日 雷様の太鼓に合わせてあちらこちらで水を撒いておったそうな

ある日 太鼓に合わせて調子よく撒いておった猪作じゃったが 雷様 突然 全部の太鼓を一度に叩き鳴らした ドドーン!

ここは一番 全部の水を流さなけりゃなんめえと猪作 桶の底に手を掛けて地上めがけていっぺんに撒いた

ところが あまり勢いよく桶を開けたせいか その拍子に猪作も雲の世界から転がり落ちてしもうたのだと

 

ザブーン! けたたましい水音で我に返った猪作 どうやら何処かの川にでも落ちたようじゃ

いったい何処の川なんじゃ? ともかく岸に上がらねば ともがいておる内にいきなり目の前が真っ暗になってしもうた

何ということ 川に落ちたおかげで死なずに済んだと思うたのも束の間 身の丈八尺もあろうかという鯉 この川の主に飲み込まれてしもうたんじゃと

 

丁度その頃 杵築の中ン原で猪作の隣ン住んどった 幼なじみの平吉ちゅう男が川に網を打ちに来ておった

見ると とてつもない大きな鯉が水面を騒がせちょる

こりゃあ もっけの幸いとばかりに網にかけて生け捕ったんだと

ようやく鯉を家にまで運んだ平吉 さっそく料理じゃとまな板に載せ包丁を入れてゆくと バリッと音を立てて鯉の腹が裂け そこから猪作が出てきたものだからびっくり仰天

「なんと猪作ではねえか! なして お前は鯉の腹なんぞから出てくる !?」

猪作も猪作で真っ暗な中からようやく出られたと思えばそこに居たのが幼なじみ
えらい塩梅 天から落ちて来たのは地元の八坂川だったようじゃ

猪作 平吉に芋を掘って大阪に 風に煽られて雲の上 そして転げ落ちて川の中と 今までのいきさつを話して聞かせたンじゃが・・

しばらく留守にしていた家に帰ろうとした時 平吉から とんでもねえことを聞かされた

「猪作 お前いったい何年留守にしとったと思うとるんじゃ?」
「お前が居らんごつなってしもうてから お前の女房は随分と寂しがっての」
「そいが元で ついに昨年亡うなってしもうたんやぞ・・」

 

何ということ ここせいぜい ひと月かそこらの事と思うとったのが 知らぬ間に十年もの歳月が流れておった・・

芋掘りに意地を張ったばかりに 女房に苦労をかけて寂しい思いをさせて ついに死なせてしまうとは・・

悲嘆の思いに暮れながらも せめて墓に参って周りの草でも取って菩提を弔ろうてやろうと詣でたそうな

( かか(女房) すまなんだ・・)詰まる思いの中 手を合わせ 墓周りの草をむしろうとすると どういうわけか むしる後から後から草が伸びてくる

こりゃ どげなことや? なして この草はこげん ゆらゆらと伸びてくる? 伸びてくる?

「チョッと あんた! 何しちょんの !?」

猪作 隣で寝ておる女房の髪を 涙ながらに引っ張っておったのだと・・

ずいぶんとまあ 長い夢を見たもんだて・・

ーーーーー

 

現実の出来事だとばかり思っていたのが実は夢の中の話だった・・ そもそも夢とはそういうものですが、典型的な夢話の一形態としてよく用いられます。

夢という言葉は使われませんが、昔話の代表格「浦島太郎」も形態的には上記の話に類似した部分がありますし、神話などでも現実の世界と異界との時間の流れ方が異なるのは、最早 常識的な前提と言えるかもしれません。

夢話、古くは中国唐代の奇話「邯鄲の枕(かんたんのまくら)」に始まり、よく知られた日本民話「高田六左衛の夢」(島根県の民話) など、そして近代、芥川龍之介による小説にも用いられ枚挙に暇が無いほど・・

 

現実(うつつ)の世界と夢の世界、一見、根本的に価値観の異なるもので、普段の生活に於いて真面目に考えるものではないようにも思えますが、どうなのでしょう・・

次回、後編では 他の夢話も引き合いに出して これらのことを考えてみたいと思います。
本日これまで・・。

 

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