大苦の果てに望むもの 於安御前伝承(後)- 徳島県

前編では子を身籠った母が民のために、自ら命を捧げるという何とも痛ましい物語をお伝えしましたが、ここで大きなキーワードとなったものが「生贄・人身御供」という風習です。

生贄・人身御供・そして人柱、厳密にはそれぞれ微妙に定義が異なるようですが、歴史上 世界いたる所の国に見られ、いずれの場合にも共通しているのが、近代のような科学的思考が確立されていなかった頃、自然そのものが神と同一視されていたと言っても過言でなかった “自然崇拝” または ”アニミズム” の文化における(今日的に言えば)”負の側面” ですね。

現代に於いても誰かに何か大きなお願い事が有るときには、何かしらの代償を用意するという感覚が一般的です。 お金を借りるなら金利を約束するとか担保を提示する。難しい頼み事を叶えてくれたときにはお礼を贈呈する。ギブ・アンド・テイク(give & take)の精神です。 「先生、次回の工事入札の折りには・・」って、これは宜しくない例ですが・・・

 

人が人に対して頼むものならそこには何らかのルールや慣習、現代なら法的な取り決めなど下地になる習慣と交渉の余地があるものですが、相手が精霊や神様となるとこれが機能しない。言ってみれば人間側の一方的なお願いとなってしまうために神様側が納得しているかどうかさえ解らない・・

軽度なお願いや日常の安泰程度ならともかく、川の氾濫を鎮めてくれとか、今回のように山の主を刈らせてくれとか、無理が大きなものほど、それに比する以上の代償(人が手放したくないものほど大きな価値がある)を払わなければ 願いは聞き届けられぬであろう・・と思考が働くのも当然の成り行きだったのかもしれません。

その意味でも身籠った母親や母子というものは、人が手放したくない究極のものだったのではないでしょうか。

 

本日、お届けするお話は基本的に前編と本筋を一にしますが、腹の子のあり方や物語の展開を異にするもので、神宮寺「於安御前」の縁起となっているものです。 今回、神宮寺「於安御前」様のご厚意を頂きましてホームページより原文のママお送り致します。
前回との差異などを味わいながらお楽しみ下さい。

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於安御前縁起

昔々、半田に樹齢幾千年とも知れない大きな楠の木がありました。

天正十八年秋、豊臣秀吉は朝鮮出兵のため、大船を建造するよう諸大名に命じ、阿波守蜂須賀公はこの楠の木で船を造ろうと考えました。

 

その大楠はとても大きく、日が射すとその影はずっと向こうの村までとどいた程でした。

村人たちは山の主として信仰し、平家の落人と云われる美しい姫が毎日この大楠に祈念しておりました。

 

領主の命を受けた奉行は、さっそく腕利きの木こり達に大楠を伐らせましたが、斧を幹に当てたとたん山鳴り、地響き、烈風、稲妻が起こり、木こり達は命からがら逃げ散りました。

そのうえ、翌朝には斧の傷跡はすっかり癒えているのでした。

 

そもそも大楠は御神木であり、お安姫はその精霊でありました。

奉行がお安姫に助けを乞うと、姫は覚悟を決め夜通し大楠に祈り続け、翌朝、大楠は無事に切り倒されました。

その時、一片の白雲が姫の肌に触れたかと思うと消え、大楠の精が姫に宿ったのです。

しかし、切り倒された大楠はあらゆる手立てを尽くしても びくともしません。

そこで、困り果てた奉行がお安姫にお頼みし、姫が引き綱に手を添えると、不思議とその巨木がするすると動き出したのです。

 

そうして造られた船は大安丸と名付けられ、津田の浦より船出しました。

その日は、蜂須賀公も親しくご覧になり、「日本一の大安丸」の天晴れ船出を祝いました。

 

お安姫は、精霊の子を宿し月満ちて難産に苦しんでおられましたが、「女人には子を生む務めがある。そのための苦しみをなめ 果ては死に至る者もある。 今こそ合掌して南無延命地蔵菩薩。今より後、産婦の為、安産の利益を垂れ給え」 と申され命果てました。

姫こそ、地蔵菩薩の御再来でありました。

 

それからというもの、お産の前にお安姫に祈願し安産する産婦が多く、これを聞き伝えて遠近より帰依する者が市をなしました。

そして、お安姫の霊徳を閲して御前号が贈られ、於安御前と称えられるようになりました。

 

於安御前は、今日に至るまで多くの人の深い信仰がございます。
身を捧げて女人の大厄を救われたお安姫に安産を願い、皆様にも有り難い御利益がありますよう お祈り申し上げます。

(神宮寺 於安御前 ホームページより)(当該ページでは絵入りでご覧頂けます)
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過酷な「人身御供」の展開は無く、中心となる女人が ”必然的な存在” ともいえる ”神木に仕える巫女姫” であるなど、前編の民話とは異なる点が幾つか存在しますが、ここでも最後には “母” は浄土へと旅立ってしまいます・・

神木の精を宿すということは神界・霊界の気に通ずるということであり、もしかするとその時点で現世との縁は失う運命にあったのかもしれません。

 

ともあれ、いずれの話の母親もその腹の子とともに尊い命を落としてしまいます。

畢竟、古代においての、否、近代にあっても昭和初期辺りまで、安定的な妊娠とその維持は結構な難関であり、現代においても時に命がけともなる出産は 女性による大業と言って過言ではありません。

それだけに、その母子を失う悲しみは ”個” に留まらず、人の世そのものの悲しみとなるのです。

 

前編、民話において民のため夫のために自らと子の命を捧げた “お安” 、 今編、己が精を賭して大業を成し安産見護る菩薩へと化した ”於安”

於安を偲び伝えるために美馬郡つるぎの里、龍頭山神宮寺を本坊として「於安御前」が祀られ、数百年の時を数えながら今日に至るまで その霊徳を垂れています。

縁起終盤に ~安産祈願にまつわり帰依する者が市をなした~ とありますが、これについては(割愛したものの)前編の民話でも触れられていて ~”お安” を祀ったお堂の前で「腹ぼて市」なる市が開かれるようになった~ との記述があり、事実、旧暦三月十月には市が開かれ昭和の中頃まではかなり賑わったそうです。

現在、美馬 半田の地は自然豊かな閑静な町ですが、吉野川対岸10km程東には「うだつの町並み」で有名な脇町もあるので、暖かくなりコロナウイルスが終息した折りには、歴史散歩を楽しみながら この神宮寺「於安御前」を訪ねてみるのも良いかもしれませんね。 「於安御前」脇には「於安パーク」なる公園施設も設えられており、ちょっと一息つくのに絶好のロケーションかと思われます。

 

現在、コロナウイルス問題で医療体制の逼迫が叫ばれており、それは直接的なコロナ対応医療機関のみならず、他の医療分野にも少なからず影響を及ぼしています。

妊娠・出産は “病” ではないとは言え、医療崩壊の余波を被った場合は大きな危機を迎えかねません。 どうか一日も早く今次の流行病が治まることを願ってやみません。

どうか、人の世にあって最も偉大で大切な妊産婦さんと生まれてくる子に永く神様のご加護と平穏がありますように・・

 

徳島県 神宮寺 「於安御前」 公式サイト

「うだつの町並み」 美馬市 観光案内

 

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