白鷺と湯元 悠久の伝説 愛媛道後から – 愛媛県

* 先日 「ちいさい秋みつける内子町の道の駅」 のボリュームがやや控えめでしたので、引き続き愛媛県からの話題を過去記事(2019年2月21日)を引用してのお送りさせて頂きます。 再掲載記事となりますがご了承下さい。

関東以北は雪が降り積もり西日本各地も底冷え・・かと思うと一転3月中旬並の暖かさ・・
異常気象の影響なのかどうかは分かりませんが、近年の気候は中々先が読めません・・
とは言え2月も終盤、寒さ木枯らしも後ひと月余り、奈良のお水取りが待ち遠しいですね。
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以前の記事 – 冬季限定の幽玄 川湯温泉 仙人風呂 – でもご案内しましたとおりこの季節にあってHOTなものは温泉ネタ、日本人なら誰しも温泉に対する憧憬というものは往古の昔からDNAレベルで刻み込まれるものかもしれません。

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四国、愛媛の温泉と言えば取りも直さず先ずは道後温泉、 同じ松山の奥道後、今治の鈍川、湯ノ浦、東温の見奈良など愛媛には多くの魅力的な湯元がありますが、知名度の高さ、観光規模から言うとやはり「道後」のブランド力は他に一歩を先んじています。
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そんな道後温泉の歴史は極めて古く 約3000年とも言われている国内最古級の湯元。
往古の湯元、日本最古湯 とされるものは日本書紀などの記述から 道後温泉(愛媛)、有馬温泉(兵庫)、白浜温泉(和歌山)とされていますが、他にも有馬(兵庫)、いわき湯本(福島)、別府(大分)など古の湯には枚挙に暇がありません。

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その中でもトップクラスの伝統を持ち、屈指の観光地として名を馳せた道後温泉。
近年では行楽嗜好の多様化により湯治客の変化・減少に対応して、シンボル的な存在である道後温泉本館の保存修理工事、周辺施設の整備、新規外湯「道後温泉別館 飛鳥乃湯」の開館など より魅力的な温泉地としての機能を充実させています。

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由緒として残る 道後温泉の開湯伝説に「白鷺伝説」が挙げられます。

「伝云、古此湯少し湧出して洴澼へいへきたり、鷺の足かたはなるが、常々来りて足を浸す、幾程となく平癒したり、故に此所を鷺谷と云」 - 道後温泉HPより –

足に怪我を負った白鷺が岩間から湧き出る湯に足を浸すと見る間に癒やされ、その様子を見ていた村人によって温泉が発見されたというもので、現在でも松山市内の放生園という公園内にその時の白鷺の足跡が残る鷺石が残っています。

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温泉と白鷺の関わりをあげた伝承は道後のみならず、日本各地に古湯に残ります。
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なぜ白鷺なのか? 明確な理由は詳らかでないものの、古来、白い鳥に人々は神聖なものを感じていたことは明白で、心身を癒やし 時として怪我・病気にまで効能の認められる温泉に神の関わりを言の葉に残そうとしたのではないでしょうか。
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温泉そのものの神性を感じるものとして、開湯伝説に彼の弘法大師などの偉人が関係する伝承が多いことからもそれがことが伺い知れますね。

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白い鳥となれば日本神話の英雄、倭健命(ヤマトタケルノミコト)が思い出されます。深手を負い彼岸へと旅立った倭健命が白鳥に変化して飛び去った伝承ですが、白鳥とはいわゆる「白鳥(ハクチョウ)」ではなく`白い鳥’、白鷺ではないかとも言われており 兵庫県や栃木県で倭健命を祀る社にはその名も「白鷺神社」の名を冠しています。
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優雅な佇まいで知られる「白鳥(ハクチョウ)」も又、鵠(くぐい)の古名を持ち 垂仁天皇の世から知られる鳥ですが、主に関東~長野以北にまで飛来する鳥なので 王朝を含む畿内とその周辺地域では白鷺の方がよりポピュラーな存在であったことは間違いないでしょう。
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相模国(神奈川県)六所神社と相模国五宮が執り行う国府祭、舟形舞台で舞う「鷺の舞」も白鷺の装束で演じられ、他にも京都八坂神社、東京浅草寺、島根県津和野町など各地で行われる「鷺舞」に見られるように日本人と白鷺の関わりは神代にまで遡る、自然と人の写し絵なのかもしれませんね。

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現在でも河川などで小魚を漁る姿を見かける白鷺、地方のみならず都市圏でも少し郊外にまで足を伸ばすとその姿を見つけることも出来るようです。
寒さに震える身体を温泉に任せてホッと一息つく時、白鷺の姿、往古に続く人と自然の営みに思いを馳せてみるのも一興ではないでしょうか・・

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白鷺を元としたコラムを書いておいて何ですが、最後にひとつ・・
白鷺とはペリカン目サギ科の鳥で身体が白い個体を白鷺と通称するのだそうで、「シラサギ」という鳥がいるわけではない・・のだそうです・・・
そうなんだ・・・

 

 

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