失われた大廈 大門の影に佇む者(後)- 京都府

画像元:映画「陰陽師」

かつて平安の都に屹立した大廈・大門、本日はその後編の一基についてお伝えさせて頂きます。

『朱雀門』 『羅生門』ほどでは無いにせよ高名な大門の名です。
『羅生門』が都の外縁の門であったのに対して、都の中央、天皇の坐す ”大内裏(現在で言う皇居と諸官庁が一体となった地域)” の南面中央に有りました。

朱雀大路(すざくおおじ・幅80m 南北長4km程)を南北に挟んで、外縁の『羅生門』と正対する都大路の要でありました。 国家の威信をかけて作り上げたものの 時とともに羅生門と同じくして来朝特使の途絶にともない無用の長物と化してしまいます。

加えて頻繁に起こった内裏の火災焼失などによって、天皇は里内裏と呼ばれる仮の御所に在することが多くなり、内裏本来の機能も分散されてゆき『朱雀門』のみならず大内裏内にさえ空閑地を抱えるようになり、荒廃への道を辿ることとなってゆきます。

 

『平安京』という言葉から来る ”栄華を誇った古代都市” のイメージとは 程遠い成り行きですが、機能的な観点からの都市計画 という感覚が 未だ未成熟であった時代であり、特使途絶は時の趨勢でもあったので仕方のなかったことなのかもしれません。

かつて栄華の象徴でもあった大門であるが故に、その荒廃ぶりに人は無常と一抹の恐怖を覚えるのでしょうか・・。 この『朱雀門』にも人外にまつわる伝承が残っています。

 

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~ 博雅の三位 ~

その頃 京の都に博雅の三位(はくがのさんみ)と呼ばれる人あり

笛を奏でること右に出る者無し と謳われるほどの名手であったそうな

ある月の明るき晩 博雅ひとり徒然に館をい出て朱雀門の辺りで思うに任せて笛を吹き鳴らしておった

すると 博雅の笛の音に合わせるかのように何処からともなく別の笛の音が流れてくる

それも 名手と呼ばれた博雅も思わず聞き惚れてしまうほど美しき音色

如何なる笛の名手ならん 都に聞こえし名手ならば我も知る人であろうに・・

そうこう思う博雅を後に いつしか不思議の音色も吹く者も消え失せておったそうな

 

再びまみえたならば必ずやその名を問わん と心に決めた博雅

次なる満月の夜を待って また朱雀の門を訪れた

すると嬉しきかな あのまどろうが如き美しい音色が聞こえ 柱の影にはひとりの偉丈夫の姿が見えるではないか

「私は博雅と申す者 貴方の笛の音に感心致しました どうか その御名を教えてくだされ」

博雅の言葉に その男は笛を止め静かに言うたそうな

「名を名乗るほどの者ではありません」
「それよりも 二人の笛を取り替えて ここで吹いてみるのは如何」

男の申し出に喜んで自らの笛を渡し そして男の笛を受け取ると早速に口あて吹いてみたそうな

それは この世にふたつと無き音色 深々と響き 広々と冴え渡る
今まで如何なる笛からも奏でられなかった 美しく心を震わせて夜の闇に溶け込んでゆく

まるで夢の中に居るような心地で博雅はただ笛を吹き鳴らしておったそうな

画像元:映画「陰陽師」

 

ふと気づくと その笛の主は何処へ行ったか その影も見当たらぬ

貸し与えられた その笛を手にただ立ち尽くす博雅

その後 幾度となく博雅は月夜の晩に朱雀門を訪れて笛の主に会おうと試みたものの 二度とその男とまみえることは叶わなんだそうな

 

時が流れ 博雅も早ようにこの世を去ったある日

時の帝がこの笛の噂を聞き そのような謂れ有り笛ならばぜひとも聞いてみたいと言われ
博雅の遺した笛と その時の笛の名手と呼ばれた “浄蔵” という人を召され 御前にて奏上させたのだと

浄蔵による笛の曲は見事な調べを奏でて帝をはじめ その場に居合わせた宮人皆を感心させた

「されば浄蔵 この笛は昔 博雅三位が月の明るき晩に朱雀の門にて不思議な笛の名手から譲り受けたと伝わるもの 今宵はまさに満月の夜 これより朱雀門にて その笛を吹き鳴らし博雅の魂を慰めてやってはくれまいか」

帝の言に快く引き受けた浄蔵は 日が暮れ月が昇る頃 朱雀門に赴くと柱にもたれ掛かりながら静かに笛を吹き出したのだと

 

その音色は宮廷で吹くに一段と冴え渡り月へも届かんばかり

夢中のうちに一曲を吹き終わると ようよう一息いれてまどろむ浄蔵

その時 朱雀の楼門の上から厳かな声をかける者あり

「久しゅう聞かぬ我笛の音色をまた聞くことが出来た 今 その笛を吹く鬼は如何なる鬼ならん」

浄蔵 驚き 翔ぶが如く御殿にうち帰りこのことを帝に申し上げると

「なるほど 博雅にその笛を託した笛の名手は鬼であったか なればその笛は鬼笛ならん」

帝は感慨深くこう言われ その笛を ”鬼笛葉二” と名付け秘蔵の笛として伝えられたのだそうな

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夜半に起こった不気味な事件をベースとしながらも、月の光のごとく何とも清涼で不思議なお話でしたね。

ここで登場する ”博雅の三位” とは平安時代の公卿であり雅楽家でもあった ”源博雅(みなもとのひろまさ)” のことであるそうです。
醍醐天皇の血筋で源姓に服した後は官位が従三位であったため博雅三位と呼ばれました。

武芸や他の職務については芳しくなかったものの、雅楽に秀で、特に篳篥(ひちりき)=笛については 逸話の如く名手であったと伝えられます。

”源博雅” といっても歴史に残る華々しい事跡を残した訳ではないので、歴史物語ではそれほど顔を出す方ではありませんが、近年、彼が映画やドラマで登場する場面を見かけられた方も多いでしょうか。

画像引用:映画「陰陽師」

作家・夢枕獏 氏による「陰陽師」に主人公・安倍晴明の盟友として登場・活躍したのが ”ヒロマサ” こと源博雅でした。映画では安倍晴明・野村萬斎さん、源博雅・伊藤英明さん、2001年公開の映画だけにお二人ともお若いですね。

 

平安京ー京都 における『朱雀門』も『羅生門』と同じく当時の様相が詳らかでないため復元には至っていません。 朱雀大路は現在の千本通の辺りとなり その先には「朱雀門の碑」がひっそりと立っています。

因みに「朱雀門」の画像検索で表示されるされる荘厳な建築画像は、平成10年 平城京ー奈良「平城京跡」に復元竣工されたもので、昭和39年の発掘調査によって確認された基壇をもとに、外観は当時の建築様式になぞらえた形で復元されています。

京都にいつか『羅生門』や『朱雀門』が復元される日がやってくるのか、それは未知数です。
かつて遷都され巨大都市が築かれ栄光に沸いた頃の大廈は失われましたが、その面影とそれを伝える様々な伝承は千年の時を越えて今も受け継がれているのです。

 

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