「航空神社」は文字通り航空運航の安全を祈願し、また その殉難者を鎮魂する目的で建立された社で全国に10社程が存立しています。
航空の歴史に準じて発祥したものだけに、歴史的にはそれほど古いものではなく、多くは大正以降、昭和の時代に建てられ一般参拝者への門戸も開かれていますが、やはり航空関係者の関わりや参拝が多いのは当然の流れでしょうか。
世に数多ある宗教において “空の神様” というものは思いの外 多くありません。
日本元来の宗教でありヤオヨロズといわれる “神道” に目を向けてみても、雷や風雨にまつわる能力を持っていたり、鳥に乗って空を渡る姫神など “空に関わる” 事績を奮う神様は様々におられますし、超常の力で空を駆け巡る “天狗” もそれに準ずるものと考えられますが、 “空を統べ象徴する神” と明確に定義される神様がいません。
そう思い異国文化でにおける “空神” はと目を向けてみると、これもまたギリシャ神話に登場する “ウラヌス” や “ペガサス” 、エジプト神話の “ラー” や “メイト” 、北欧神話の “トール” など、それぞれに宇宙的な造化神であったり天候に関わる神であったりと、空そのものを指す神様が少ないことに改めて驚かされます。
しかし、考えてみれば “神” は元々 “いと高きもの” であり、天空は神々のホームグラウンドであり、ある意味 “神=天空” なので わざわざ “空の神様” を設定する必要がなかったのかもしれません。
日本神道においても多くの神々が その名の頭に “天” の文字を掲げ “あまの” “あめの” と呼ばれているのも “空” と “神” が同義に近い存在だからなのでしょうか。
また、古代の人々にとっては生活に関わる天候や自然現象こそに、そこに神霊を感じるのであって、何も存在しない(ように見える)天空・空中そのものに対する認識が薄かったのかもしれませんね・・。
日本神道における神々の中で、その伝承から最も空に関わり深いと認識されているのは “饒速日命(ニギハヤヒノミコト)” でしょうか。
天照大神 の命によって九州高千穂峰に降り立ち、後の神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ / 神武天皇)の祖となった瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)一行でしたが、それ以前に 天照大神 は 饒速日命 に対しても神宝と三十余柱の随神を与え下界に降らせています。
この二手に分けた(ように見える)派遣伝承が何を意味するのか、饒速日命 と 瓊瓊杵尊の子孫(神武天皇)の その後の相対と恭順に至る事跡の謎など、古代史ファンのロマンを誘うところですが、この点については今回はさておき・・・
日本書紀において 饒速日命 は神宝と随神を携え “天磐船(アマノイワフネ / 岩のように堅牢豪華な空を飛ぶ船)” に乗り、現在の大阪府交野の地に降り立ち、当地から奈良にかかる一帯を治めたとされています。
哮ヶ峯(たけるがみね / 現在の生駒山)から この地方を眺め “虚空にみつ日本国”(空から眺め見る燦然たる日本の国)と口にした言葉が “日本” 国号の元になったのだとか。
饒速日命 は降臨の地を中心に大阪府「磐船神社」(いわふねじんじゃ)「石切劔箭神社」(いしきりつるぎやじんじゃ)、そして航空に通ずる神として 関西国際空港から程近い泉佐野市の「泉州航空神社」や、京都府八幡市 石清水八幡宮の近隣「飛行神社」に主祭神として祀られています。
さて、全国に10社程の航空神社と書きましたが、その中でもある意味 特に意義深き航空神社が埼玉県所沢市にあります。
社名は「所澤神明社」 その名から解るように航空神社と言っても本体は “天照大神” を戴く「関東のお伊勢さん」としても有名な地元の鎮守社です。
この社がなぜ航空に縁深い神社なのか・・
ホームページの文章をお借りして見てみましょう。
『 所沢は日本の航空の発祥の地として知られています。明治四十四年(1911)、日本ではじめての飛行場が造られ、本格的な航空事業がここからはじまりました。
前年の十二月、代々木の練兵場でテスト飛行に臨んだ徳川好敏大尉は、その成果をもって、この所沢で航空事業へとつながる初飛行に挑戦しました。 徳川大尉は、所沢での初飛行に際して、前日にほか数名とともに、当、所澤神明社に正式参詣し、歴史的な快挙を果たせるように祈願したと、神主家に伝えられています。
迎えた当日の四月五日*、飛行はみごとに成功しました。大尉の操るアンリ・ファルマン機は、所沢の空に舞い上がり、飛行高度十メートル、距離八百メートル、飛行時間一分二十秒の記録を残す初飛行を、無事になしとげたのです。』
所澤神明社 HPより *の日付については不明。
徳川好敏 大尉は、その姓からも解るように九代将軍 徳川家重につながる家系、清水徳川家の出身で、華族であると同時に当時の陸軍士官でもありました。
明治42年(1909)陸軍士官学校を卒し、軍属となった好敏は 翌年(明治43年)には航空技術習得のためフランスへと派遣され日本人初の操縦士資格を得て帰国、同年12月19日所沢の整備地において日野熊蔵 大尉 とともに公式の日本初飛行を成功させました。
この12月19日をもって「日本初飛行の日」とされているそうです。
徳川好敏・日野熊蔵 両大尉 以外にも 国産飛行機第一号製作者ともいわれる 伊賀氏広、国内での活躍のみならずフランスにおいてエースパイロットとなった 滋野清武 など、まさにこの時代は空にかける夢が大きく前進しようとしていた時代でもあったのですね。
公式の日本初飛行が成し遂げられた翌年 明治44年(1911年)には当地に日本初の飛行場「所沢陸軍飛行場」が設置されました(当時の埼玉県入間郡所沢町)。
まさに この地が日本における飛行事業の萌芽の地でもあったのです。
旧 軍事施設でもあったことから、昭和20年、GHQによって接収され 後年 飛行場としての姿は失われました。
地元を中心とする返還運動が実を結び、昭和46年以降現在に至るまで 約70%が返還され、現在、その跡地には「所沢航空記念公園」や公共施設が整備されています。
この「所沢陸軍飛行場」跡地から程近い位置にするのが、先にご案内しました「所澤神明社」
平成23年には「日本初飛行の日」から100年の歳月が流れたことを記念して、境内摂社として「鳥船神社」が建立されました。
”鳥船” とは “天鳥船(アマノトリフネ)/ 鳥之石楠船神(トリノイワクスフネノカミ)” の事であり、神々を乗せ天空を渡る船の化身でもあります。
上段で書きました “饒速日命” の乗る ”天磐船” と似た神格のように思われます。
航空神社は航空安全の祈願とともに、その殉難者を鎮魂する社でもあると書きました。
空をかける夢に情熱を傾けた人々、されど空を焦がして繰り広げられた戦争災害、そして平和な世になってからも時折訪れる悲しい事故・・、
空につながる全ての人々の命と想いを安らげるためにあるのが航空の神社、その祈りは航空事業が始まった過去から、いずれは宇宙時代へとつながる未来へまで捧げられているのです。
所澤総鎮守 「所澤神明社」 埼玉県所沢市宮本町1-2-4
「所沢航空記念公園」 埼玉県所沢市並木1−13