麗しきは山河か君か 米白の流れ きみまちの阪 − 秋田県

「だんぶり長者」の川

秋田県の北部を流れる米代川(よねしろがわ)、お隣り山形県との県境付近を源流として 壮麗な山間を縫うように能代に至り日本海へと流れ込む東北屈指の河川です。

みちのくの自然と風土を湛えた その流れは、古くに “米白川” の呼び名から転じたと言われるように、米の研ぎ汁のように薄く白い色をしていたと伝わります。

民話好きの方でしたら ご存知でしょう、この流域には「だんぶり長者」の伝承が今も色濃く残っています。 よく知られた昔話ですが 一通り記してみましょう。

 

ー ー ー ー ー

その昔 出羽の山間 独鈷(とっこ)の村に気立ての良い娘が住んでおった

かいがいしく働き 親の面倒見も良い健気な娘じゃったが 相次いで二親を亡くし 今は一人寂しゅう暮らしておったのだと

ある夜 娘の見た夢に白髪の翁が現れ「川道を遡って上流の地を目指せ さすれば お前の夫となる者に出会うであろう・・」と告げて消えた

目を覚ました娘は あれは神霊のお告げに違いないと思い 朝早くから身支度を整え家を出ると教えのとおり川上を目指して歩き出した

いつか日も暮れはじめ歩く足も棒になろうかという頃 小豆の沢で 娘はそこで一人の若い男と出会うた

たくましく一人で何人分の仕事をこなそうかと思うほどの働き者
朴訥だが真面目で父親の面倒もみている

娘はこの者こそ お告げの人と考え 昨夜の夢のお告げとそれからを男に話した

 

驚いて聞いていた男であったが やがて娘を連れて父親の待つ家へと帰った

家の父親もはじめは驚いていたが 神の取り持つ縁であると喜び 二人は晴れて夫婦となった

正直者の夫婦と父親は真面目に働き仲睦まじく暮らしておったが その暮らし向きは中々に苦しいものじゃった

そんな ある日 今度は夫の夢枕に白髪の翁が立ち「我はこの山国の神なり お前たちは明日より さらに川上を目指し その地を開いて暮らせ さすればより良き暮らしとなるだろう」と告げた

翌朝 夫は女房と父親 わずかばかりの身の回りの物をまとめ川上を目指し
やがて 八幡平の田山に着くとそこで小さな家を建て暮らし始めたそうな

 

 

次第に他を耕し畑を広げていったある夏の日
ここいらで一息つくかと木陰で寝ておった夫 それを見守る女房

すると どこから飛んできたか一尾のだんぶり(トンボ)が寝ている夫の唇にチョンチョンと尾の先を付けると何処かに飛んでゆき またやってくるとまた唇に尾を付けることを繰り返す

妙なことをするものじゃと思うておった女房じゃったが そうこうする内に夫が目を覚ましこう言うた

「ああ あれは夢じゃったか 世にも珍しい美味い酒じゃった お前や親父にも飲ましてやりたかった・・」

そう言う夫に今しがたのだんぶりの話をする女房

不思議なこともあるものじゃと だんぶりが飛んでいった繁みに分け入り探しておると やがて清らかな水が渾々と湧き出る泉に行き当たった

その水を手にすくい 一口飲んでみると夫が夢で見た世にも美味い酒の味じゃった
おまけにこれを飲むとたちどころに病を癒え寿命も長引くという案配

夫婦はこの泉の袂に家を建て住むことにした

 

いつしか この泉の話は村々から国中に伝わり 多くの人々がこの酒を求めてこの地を訪れるようになった

おかげて夫婦は長者となり この地は開けたそうな
この地で過ごす人々の朝夕の飯支度のために流れる米の研ぎ汁で川は白くなったと言われておる

 

夫婦には一人娘の秀子が生まれたが これが後に継体天皇に仕えることとなり吉祥姫と呼ばれた

時が経ち 夫婦も年老い この世を去ると泉の水もただの水へと変わったそうな

小豆の沢には吉祥姫ゆかりの大日霊貴神社が今も残っておる・・

ー ー ー ー ー

 

概訳すると、自然の意に従い 真面目に働き 安泰に至った夫婦のお話となっていますね。

上流で砂金が産出された時期があり、それで一時村が開け採掘時の泥で川が濁ったのではないかとの考察もあり、一説には夫婦の実在説までありますが真実は詳らかではありません。

何にせよ、このお話のポイントのひとつは ”ある男” ではなく ”ある娘” でもなく、娘と若者が夫婦となり力を合わせて生きた というところにあるのですが、ここで もうひとつ夫婦にまつわる素敵な(そして こちらは実際にあった)お話をご紹介しておきましょう。

上のお話で娘の出身地 独鈷 や 夫の村 小豆沢 は米代川の比較的上流区域にあたるのですが、こちらのお話は やや下流に近い場所、川幅が広がりながらも大きく蛇行する “二ツ井” という地区で明治14年に起こったエピソードです。

 

ー ー ー ー ー

明治時代、天皇はその治世の間に6回の地方巡幸を行っています。
日本の大転換期であった維新以降、旧士族の反乱事件や内政の混乱にあって未だ不安定な様相を呈する国内に対し、新しき時代が始まり日本は一つの国家として躍進してゆくことを、自らの行動によって全国に知らしめなければならなかったからです。
(江戸時代、天皇は幕府によって230年間、御所の中に封ぜられていた)

国立国会図書館 デジタルアーカイブ

 

明治14年9月、東北巡幸において秋田県を訪ねることになられた時、先発して “二ツ井” の里に入っておられた皇后が、後から御幸される天皇を気遣って一遍の歌をお詠みになり これを手紙として送られました。

「大宮の うちにありても あつき日を いかなる山か 君はこゆらむ」

(皇居の中にいても暑いこの日ですが どのような山を貴方は越えていらっしゃるのでしょう)

馬車や馬を乗り継ぎ 数ヶ月の時間をかけて旅する当時の旅行、増してや空調など存在せず、病の心配さえある 夏の盛りの旅ともなれば大変な儀事であったでしょう。

皇后から受け取った手紙を喜び、訪れた “二ツ井” の景観にことのほか感銘を受けられた明治天皇は、翌年、宮内庁を通じて この地に「徯后阪」(きみまち阪 / きみまちざか)の名を贈られたそうです。

ー ー ー ー ー

 

現在、二ツ井の地では ”きみまち阪” と名付けられた一帯を「きみまち阪公園」という自然公園として管理運営しており、季節ごとの木々、花々美しい秋田県有数の景観地として知られています。 特に所々に見える壮大な屏風岩と それを隠すかのように映える紅葉の美しさは絶景と言えるでしょう。

”きみまち” のエピソードから恋愛成就の流れに繋がり、園内には「恋文神社」という小さな祠も建立され、今では恋人たちの聖地として町おこしの一翼を担っています。

 

往時には急峻な難所といわれた “二ツ井” の地も 今は車で気軽に訪れることが出来る行楽地、国道7号線に沿い 米代川を背負う『 道の駅 ふたつい 』は季節に応じた地場物産やレストラン、そして多彩なイベントなどを行う道の駅施設です。

旧「二ツ井総合観光センター」を端緒に持ち、平成30年にリニューアルオープンしたその施設はまだ新しく、愛称 “きみまちの里” と呼ばれるように「きみまち阪公園」にも近く自然豊かなアミューズメントスポット。

二つの夫婦愛の伝承流れる米代川周辺の自然と風土にご興味をお持ちになれましたら、ぜひ一度訪ねてみてください。

二ツ井・きみまち阪 自然公園

 

※ 現在、『道の駅 ふたつい』で行われているカヌー体験イベントなどはコロナウイルス問題の関係上、秋田県民限定などの制限が出ています。ご注意ください。

※ ご承知のとおり 現在 コロナウイルス感染症問題に関連して、各地の行楽地・アミューズメント施設などでは その対策を実施中です。 それらの場所へお出かけの際は事前の体調管理・マスクや消毒対策の準備を整えられた上、各施設の対策にご協力の程お願い致します。 また これらの諸問題から施設の休館やイベントの中止なども予想されますので、お出掛け直前のご確認をお勧め申し上げます。

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『 道の駅 ふたつい 』  公式サイト   能代河川国道事務所サイト

場  所 : 〒018-3102 秋田県能代市二ツ井町小繋字泉51番地

問い合わせ : TEL:0185-74-5118 FAX:0185-74-5174

 

 

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