北の大地に織りなす風土と岬の伝承 – 北海道

北海道 果てなき地平と北方独特の大自然に抱かれ、国内はもとより海外からの観光客も日本屈指の集客力を誇る景観と豊穣の楽園・・。
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地理的に対局の地 南端 沖縄とともに独自の風土と歴史を織りなしてきた北の大地ですが、この北海道は他の地域と異なり行政上も独特のものを持っています。
総合振興局 及び 振興局 による支庁制度と呼ばれるもので、現在 道内に14の支庁が設置され地域行政の円滑な運営にあたっています。
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*道内の支庁
[ 総合振興局 ] 空知総合振興局 渡島総合振興局 後志総合振興局 胆振総合振興局 上川総合振興局 釧路総合振興局 宗谷総合振興局 オホーツク総合振興局 十勝総合振興局
[ 振興局 ] 日高振興局 石狩振興局 檜山振興局 留萌振興局 根室振興局
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アイヌの言語に基づく名が多いといわれる北海道の地名、中には読みにくい地名も有るのではないでしょうかw

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実は制度に基づく支庁や振興局の設置は北海道だけでなく、全国他府県でも行われているのですが(例えば東京都であれば 大島支庁や小笠原支庁など、長野県であれば 諏訪地域振興局や北アルプス地域振興局など) これらの支庁振興局が都府県中央からの出先機関・支所的な役割を果たしているのに対し、北海道の各振興局は道行政機関を中央としながらも より大きな権限を持ちこれを遂行しており、ネット検索で「支庁」と打ち込めば北海道関連の結果が多く表示されるほど、北海道行政区分≒各振興局的な側面を持っています。
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その背景には他府県と異なり北海道の地域面積が広大であることは言うまでもありませんが、古より蝦夷地と呼ばれ江戸時代からは徐々に入植が進んでいった北の大地における開拓の精神が脈々と流れているように思えてなりません。
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もちろん、先住民であり往古には東北地方にまで その覇を広げていたアイヌ民族にとっては ”倭人” による侵食とも言えますが、それらも含めて現在、北海道と呼ばれる地が辿ってきた歴史には、苦しみや悲しみ、そして大いなる喜びや希望も交えた北海のうねりの如きエネルギーが息づいているのです。

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この北海道の西部、地図で見ると丁度 左肩もしくは腰の辺りといった感じでしょうか・・
上の行政区域で言うならば ”後志(しりべし)総合振興局” 北の海に突き出すように伸びた所が ”積丹半島(しゃこたんはんとう)” そしてその先端部を占めるのが積丹町です。北海道で唯一、海域公園に指定されるニセコ積丹小樽国定公園 の一部となっています。
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積丹岳 / 余別岳(よべつだけ)から なだらかに落ちつながる沿岸部のそこここに平地があり村落が立在します。 茫漠たる北海を望む景勝は本州で見る海辺の風景とはまた違った趣を見せ、かつてこの地がソーラン節が流れるニシン漁で空前の賑わいを見せながら、現在では時に寂寥感さえ伺わせる静謐さが なおさらにシャコタンブルーと呼ばれる北の海の青さを引き立てています。
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この積丹の海岸線から海に向かって伸びる岬で有名なものが三つ、「神威岬」「積丹岬」そして「黄金岬」、いずれ劣らぬ美しく雄大な景観と奇景、 積丹の名のごとく(シャク・コタン / 夏の在所の意)アイヌの風土や歴史漂わせる この地の言い伝えは、民話における海辺の里でよく聞かれる類型のものですが、今日は積丹町「黄金岬」に残る伝承をご紹介しておきましょう。

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浜のコタン(村落)にひとりの美しい娘がいた。
名をチャシナといいコタンを仕切る首長の娘であった。

年頃になり娘は一人の若者と恋に落ちた。

しかし、この若者は身分の低い出身であったため チャシナの父親である首長はこれに激しく反対し、娘の言い分をも聞かず ついには若者を軟禁してしもうた。

この頃、村の海には化け物が現れるようになり漁が出来なくなってしまう。

困り果てた首長は皆を集め”化け物を退治したものにはチャシナを嫁にやる”と宣うた。

多くの若者が我こそはと化け物の巣食う海へ身を投じたが 皆帰らぬ身となってしもうたのだと。

窮した首長は囚われの若者にも化け物退治を命じ、これに応じた若者はチャシナの助力も得て見事に化け物を退けたそうな。

ところが、事ここに至っても娘を嫁にやりとうない首長は密かに若者を亡き者にしようと企てる。

これを知り、もはやこの世で若者と結ばれる望みはないと悟ったチャシナは岬の先から身を投じてしもうた。

チャシナの死を知った若者も その後を追うようにして自らの命を閉じたのだと。

チャシナが若者に与えた兜が ”宝島”となり、若者が振るった剣が ”立岩”となり、やがて浜にはニシンが戻ってきたのだそうな。
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いやはや、物語にあっては 娘を想う父親の過剰な気持ちとは 時として人の道さえ踏み外してしまうものなのでしょうか・・。 結果的に村に平和が戻った事以外、誰一人として幸せになっていない悲しい悲恋の物語ですが、古典的な部族の有り様の中では時折聞かれる民話の形ですかね・・。
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「黄金岬」には このチャシナ伝承にまつわる「チャシナの小道」が整備されています。
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悲恋の物語であり、また北海道にはこの地ならではの厳しい風土に基づく足跡も残りますが、今日、北海の地に吹く風は穏やかで平和そのものです。
この地を訪れることがありました時は、過日の厳しい人々の営みを心の片隅に風景に臨まれれば、また違った景色を感じることが出来るかもしれませんね。。
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この黄金岬と同じように「神威岬」「積丹岬」にも悲恋をモチーフとした、それぞれ「チャレンカの小道」「シララの小道」という遊歩道がありますが、これら二つの元話はヒロインの名は異なるものの内容が似通っており、”村を訪れた若者と恋仲になったものの、いつか若者はその地を去ることとなり悲観したヒロインが岬から身を投げる” といった悲恋話となっているのですが、この ”若者” が 何とあの「源義経」なのだそうです。
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奥州、平泉 衣川館でその生涯を終えたはずの源義経は、実はその後も生き長らえ蝦夷地まで至ったという「源義経北行伝承」が残っており、これに関わる民間伝承と思われますが・・、
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「源義経北行伝承」はその史実はともあれ、非常に面白いお話なので、機会を得てまたご案内させて頂きたいと思います。
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本日もお読み頂き有難うございました。

 

 

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