情熱は私欲から夢へと変わる 油屋熊八(前)- 大分県

 

「奇妙な出で立ちの男」
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JR九州 日豊本線の別府駅、 別府の名を聞けば誰でもまず思い浮かべる “日本屈指の温泉地” 日本一ともいわれる温泉湧出量を誇り、観光地としても人気の高い別府のメインターミナル・・。 この駅前に一体のユニークな銅像が設置されています。
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前のめりに まるでバンザイでもしているかのような ひょうきんなポーズ、ネクタイを締め三つ揃えのスーツを着ているのに何故かそこにマントを羽織りその端には奇妙な “子鬼” がしがみついています。
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台座には「子どもたちをあいした ピカピカのおじさん」
そして『油屋熊八の像』の銘板が・・
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大分県を拠点として全国で活躍される気鋭の彫刻家 辻畑隆子氏の手によりこの銅像は制作され2007年11月 別府駅前に建てられました。
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辻畑氏いわく「天国から舞い降りた熊八が「やあ!」と呼びかけているイメージ」なのだそうです。 さすが彫刻家、像設置の高さを考慮に入れて、天から降臨して宙にふわふわと浮きながら人々に語りかける熊八の姿を描ききっていたのですね・・。
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「油屋熊八」このユニークな御仁の半生を今日はご紹介したいと思います。

 

 

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「極楽と地獄を見た男」
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油屋熊八(あぶらや くまはち)は 江戸時代の末期 文久3年(1863年)愛媛県宇和島市の(その姓のごとく)油と米を扱う商家に長男としてその生を受けました。 別府出身の方ではなかったのですね。
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幼い頃から機転の効く聡明な子であったようで、塾寮で学ぶと その才能にますます磨きをかけながら明治20年(1887年)には 旧宇和島藩主の流れを汲む名家の娘 戸田ユキを妻に迎え一身を固めます。
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この頃から既に熊八は 単に商家を継ぐ以上の未来を目指していたようで、その時代を見通す洞察力は動乱冷めやらぬ明治時代に ”情報の重要性” と ”投資の可能性” を見据えていたほど先見の明を持っていました。

明治22年(1889年)町制施行により宇和島町が発足するとなんと弱冠26歳にして第一期町会議員に立候補 当選を果たします。 江戸時代から続く大きな商家の出でもあったため当地では顔が効いた側面もあったかも知れませんが、彼が時代の流れを機敏に察知し活用する行動派であったことは よく知られていたところであり、決して名家の名だけでなかったことは確かでしょう。
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事実、この頃まだ珍しかった地元新聞の発刊に関わりこれを成功させています。

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普通 ここまで来れば安泰、となるのが一般的な感覚ですが熊八は違いました。
有り余るバイタリティは彼を地方の一議員に留まらせず、30歳の時 それまで築いた栄達の大半を置いて 大阪に渡り、当時の投資の中心地 堂島で ”相場師” としての人生をスタートさせるのです。
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独身の頃から単身 朝鮮半島に渡り、当時の「清」と日本の趨勢を嗅ぎ取っていたほどの彼の先見性はここでも見事に当たり、相場における彼の采配は連戦連勝、「常勝将軍」「油屋将軍」の異名をとったほどでした。
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名家の出生であり議員経験者、そこに莫大な財力も有るとなれば、それこそ各界の人脈、多くの女性からも引く手あまたであったでしょう。まさに人生の絶頂期に彼は立っていたのです。

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しかし、永久に勝ち続ける勝負が存在しないのも事実、明治28年 日清戦争が終わりを告げると それまでの潮流は一気に引き始めます。 投資プロセスが発展した現代においても中々に難しいこの ”引き際”、機知に敏かったはずの洞察力も栄華によって曇っていたのでしょうか、(現在の価値で)数十億あったといわれる資金も瞬く間に流れ出て、まさに ”一夜にして” 彼は無一文となったのでした。
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あの時、地元で議員を続けていれば・・ あの時こうしていれば・・というのは後になって初めて思うもの、だからこそ ”後悔” なのでしょう。 初めて知る、そして全てを失った完全な敗北の前に 熊八は “傷心” というより “呆然” な状況だったのではないでしょうか。
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それでも再起をかけて・・だったのでしょうか・・ 熊八は日本を捨てて単身北米へ渡ることにしたのです。 太平洋航路の三等切符、暗く圧迫感の立ち込める船底の旅に彼は何を想ったのでしょうか。

 

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博打の賽の目のように 流れのついていない時に良い目が出ることなどありません。
異国に渡ってからも熊八の生活はほとんど浮浪者に近い暮らしだったと伝わります。
3年間にわたりアメリカ各地、そしてカナダからメキシコまで放浪したものの何一つとして得られるものはありませんでした。
ただ一つ、彼が知らぬ間に心に宿していた一節の言葉を残して・・

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38歳の時、彼は日本へと帰国します。
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されど、全てを散財させた挙げ句 渡海しても盛り返すことの出来なかった男を待っている人はいません。 唯一、彼を受け入れてくれたのが かつて相場で成功していた頃 知り合った女性 亀井タマエ でした。 彼女のもとに転がり込む形で居を得た熊八は大阪でまた相場師としての仕事を始めます。
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それでも 以前のように大きな利を得ることは叶いません。どちらかと言うとタマエに養われているような暮らしだったようです。悶々とした日々が続きます。
過日のごとき意欲や目利きを失ってしまっていたのでしょうか・・
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それとも何ひとつ得られなかったと思っていたアメリカの何かが彼を変えはじめていたのでしょうか・・

 

 

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そんな ある日、熊八はひとつの事柄に目を奪われます。
それは当時 徐々に線路や航路が整備され交通の利便性が進みつつあった大分県別府市、そして そこは熊八が日本を経つ時に残してきた妻 ユキが身を寄せた土地でもあったのです。
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人生最後の賭と考えたのでしょうか、安らかな残りの人生を歩もうと思ったのでしょうか、熊八は今のぬるま湯のような生活を捨て別府に旅立つことを決意します。 46歳のことでした。

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以下、後編へ・・

 

 

 

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