真白き食を求めて お米と雑穀のお話(前)− 富山県

昨年 7月リリースしました記事「お米-身近な日本の”食”のお話をもういちど」では 日本の近代におけるお米(白米)についての歴史や実情そして背景をお伝えしました。
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その時 文末で少し触れたように 当イナバナ.コムはその名付けのひとつに “稲の花” の意があり、”米” に関わる日本人の基本を標榜する旨を述べ、折に触れ “米・稲” の記事も出させて頂きましたが、今日はその お米を歴史的な視点から探求し、少しだけ範囲を広げ “雑穀” も含めた上でお話をさせて頂きたいと思います。

 

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そもそも今回リリースのきっかけとなったのは、富山県の米事情や伝承料理を調べている時に “古代米” のキーワードが目についたことでした。
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近年 時折耳にする “古代米”、独特の旨味や食味 そして健康食のひとつとして注目を浴びるようになってきました。
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本来 “古代米” という種苗があるわけではなく、あくまで米の原種(現在の白米は主に食味と外観に注力して改良されてきた)の形質を再現したものの通称ですが、”赤米” “黒米” “緑米” など原始的な素質の中にはタンニンやアントシアニン、ビタミンC、ミネラル分を多く含み、その栄養価の高さから古来 中国では薬膳としても用いられたと言われています。
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普段 使い慣れないことから 炊飯時の水の量や浸け置き時間など、はじめのうちは調整が必要ですが、使い慣れると白米のみでは得られない ほのかな芳香、腰や粘りを感じる食感と深い旨味が感じられる 美味しいご飯となるそうです。
祝事などで出される「赤飯」や「五穀・雑穀米」などをお好きの方は一度ご賞味されてみては如何でしょう。

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五穀・雑穀の名が出たところで本題
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一括りに「穀物」と言われますが大きく「主穀」と「雑穀」そして「菽穀」に分けられます。
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「主穀 (しゅこく)」とは、主に主食として用いられるイネ科の植物(禾穀類(かこくるい)、イネ(米)、麦、トウモロコシを指します(トウモロコシはイネの仲間だったのですね・・)
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「雑穀 (ざっこく)」は、同じイネ科の仲間でも普段 主食として扱われない 小さな穎果(えいか・実のこと)をつける植物のことで、アワ、ヒエ、キビ、ゴマ 等、食料のひとつ、また 飼料として使われます。
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「菽穀 (しゅくこく)」は、要するにマメ科の植物、大豆、小豆、インゲン、落花生などのことですね。
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これらの分類には明確な規定が有るわけではなく、ある意味 慣習的に用いられることも多く、「雑穀」の中に「菽穀」を含めることもあれば含めないこともあり、また ソバ(蕎麦の実)などの「擬穀類」が含まれる場合もあり、ひとつの大きな概念と言ったところでしょうか。

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世界規模で ”主食” を見てみると、それこそ国それぞれ思う以上に様々な “主食” があるものの世界三大穀物の呼び名の如く・・「 世界の年間生産量の多い順に、トウモロコシ(10.3億トン)、小麦(7.4億トン)、米(4.8億トン)、ジャガイモ(3.8億トン)(農林水産省)」となっており、上記の「主穀」に「イモ」を追加したものが世界の “主食” 原料となっているのが解りますね。

「世界の主食分布MAP」(東京都教育委員会)というものが出されており、それを見るとそれぞれの気候風土による主食の分布が見て取れます。

© 東京都教育委員会 様 新規タブで開きます

 

また “主食” と一言に言えど その調理方法で同じ原料でも幾重にも変わり、(私事ですが・・)20数年前 仕事で北京に赴任していた頃、現地の通訳に聞いた話ですと「中国は三種類の主食民族に分かれており、飯食(米)、パン食(蒸しパン・麦)、麺食(麦)である」とのこと・・ さすが広大な国土を持つ国だと感心したものでした。

 

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さて、日本において “主食” といえば言うまでもなく “米” なのですが、そもそも日本における稲作と米の歴史文化とはどのような変遷を辿ったのでしょう。
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稲作の文化といえば思い浮かばれるのが 弥生時代ですが、縄文時代の末期から徐々に広がりを見せていました。当初は切り開かれた畑地で栽培される ”陸稲” が主でした。”陸稲” は初期作付けが容易なこと、味覚に劣るものの栄養価に優れることなどメリットがある反面、同じ畑地で何度も作付けが出来ないこと、気候に影響されやすいことなどから、後の水田栽培による ”水稲” へと置き換わってゆきました。
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大陸から伝わった ”水稲栽培” は 既に弥生時代の前半期には北海道を除く国内の大半の地域に広がっていたと言われています。はじめの内は籾殻(もみがら)も満足に取り除かれず糠(ヌカ)もそのままの、いわゆる ”玄米” 状態の ”米食” でした。
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時代の進行とともに 徐々にそれらが取り除かれた ”精製米” が作られるようになり、古墳時代に定着・生産された これらの米を ”古代米” と呼びます。
上記でご紹介した ”古代米” は この頃に作られていた米を標榜したものだったのですね。



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奈良時代に入って米の精白度が進み 現在の ”白米” の原型が完成します。
只、”白米” を口に出来るのはいわゆる貴族(特権階級)の人々のみであり ”白米” は宮廷官人の俸禄(給与)として機能していました。
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当時、まだ稚拙であった技術のもとでは 米の脱穀や精白に手間・労力がかかり、租税として納める以外の食料としては そこまで手が回らなかったようですし、都に近く上納地として ある程度整備された村落ならともかく、それ以外の地ではまだまだ効率的な栽培そのものが確立されていませんでした。お米(白米)は間違うことなき貴重品であった訳ですね。
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因みに米と近い時期(縄文時代後期)に日本に伝わったとされる ”麦” ”粟・アワ” なども稲と同様の歴史を辿り日本の風土に定着していました。
奈良時代、白米を食する余裕がなかった庶民は主に ”麦” “粟” そして寒冷地においては ”稗・ヒエ” などが主体の 混合米を主食としていたことが解ります。
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そして、この状態は奈良時代以降 徐々に改善されながらも1000年以上に渡って続きます。
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続編 3月12日へ。

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