山と海 住む地を越えて紡がれる縁(前)ー 和歌山県

人は住まうことで自然に介入し、自然は人の生活に恩恵と試練を与えます。
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人と自然が相互に影響を及ぼしあい 紡がれる時間の中に社会が形成され文化が発生します。
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当然、住まいを定めた場所の自然環境が異なった場合、その土地ごとに芽生える生活感や慣習も異なるため そこに定着する風土というものにも差異が生じます。
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時代の進歩とともに その差は薄まりつつありますが、それでも気温の差や降水量の差、そして、今日のお話の舞台となる内陸部(陸・山)と沿岸部(海)の差による生活感の隔たりというものは相応なものがあることになりますね。
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今回は紀州 和歌山県に残る二つの民話をもとに 地域差を越えて受け継がれる祭りについてお話をつなぎたいと思います。
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「山の鯨 と 海の猪」
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その昔 紀伊国は木国と呼ばれたほど慈雨に満ち 木々生い茂る深山の地であったのだと
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樵(きこり)も数えきれぬほど大勢おり日々木材を切り出すことを生業としておったが 一年のうち霜月七日の日だけは仕事の手を休め決して山には入らなんだそうな
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この日は山の神様が次の年に精を付けなならん山を決めるために 樵たちが刈った山々を見てまわる

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さて 今年もその霜月七日がやってきた
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「うむ この山はあと一年ほどはこのままで良かろう」
「ん〜 この山はそろそろ精を付けねばならんのう」
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思いを巡らせながら ある山地まで来たところびっくり
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「ありゃ! この山は木々がみな なぎ倒されておるではないか」
「このところ 大嵐も無かったろうに・・ さてはまた あいつのせいじゃな・・」
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山奥に分け入った神様は その生き物を見つけると叱りつけた
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「こりゃ!鯨! あれほど木々を倒してはいかんと言うたじゃろうが」
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なんとまあ この頃は鯨は海ではなく山に棲んでおったのだと
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鯨はひれ伏したが うつむきながらも 怒る神様にこう申したそうな
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「しかし神様 私はご覧のとおりこの山に比べ体が大きすぎます」
「寝返りを打つだけで木々は倒れ込み 獲物を追うだけで山崩れが起きる始末」
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「どうか もう少し広い住処を それか私の体を小さくして下され」
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涙を浮かべながら訴える鯨を前に神様も考えこんでしもうたそうな
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(鯨はもともと体大きいものとして作られたもの それを今さら変えるわけにはゆかぬし・・ 広い住処と言えば・・)
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ハタと手を打った神様はその日山を降りた

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林を抜け川を下り海辺まで来ると「おぅい! おぅい!」と海に向かって呼びかける
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やがて水平の彼方から白い波に乗って現れたのは海の神様
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「おぉ! 誰かと思えば山の神! 久しぶりじゃのう 急にどうした?」
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そこで山の神様はことを分けて鯨の話をしたそうな
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「どうじゃろう 広い場所と言えば海じゃ お前のところでクジラを預かってくれんか」
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山の神様の頼みにうなずきながら聞いておった海の神様
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「なるほど なるほど 確かに鯨に山は狭かろう わかった 鯨は海で預かろう」
「ただ こちらにもひとつ相談がある ウチのところに棲んでおる猪じゃが あのとおりの細い足 泳ぎが下手で心配でならん 猪をお前の山で預かってくれんか」
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これまたおどろき この頃は猪 海で棲んでおったようじゃ
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鯨を受け入れてくれるなら猪を山で住まわせるくらい お安い御用とばかりに話はまとまった
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これ以降 鯨は広々とした海で 猪は溺れる心配のない山で それぞれ暮らすようになったということじゃ
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どちらも めでたしめでたし といったところじゃが・・

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ある日 山の神様が猪の様子を見にきたところ 何故かふさぎ込んでおる
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どうしたのかと尋ねてみれば 海で大好物だったウナギが山にはおらんと言う
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確かに山にウナギはおらん 考えあぐねた神様はウナギのかわりにマムシを捕らえて喰うことを許した
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それから猪は元気に山を走りまわってはマムシを探すようになったのじゃと

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一方 海へ行った鯨の方はというと こちらはこちらで一悶着
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その大きな体のままに海の魚をやたら喰うので魚が減ってしまう
海の神様が何度注意してもなかなか直らん
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ついに神様は鯨に対して今後はオキアミを喰うように言いつけ
それを守らせるための お目付役にシャチを付けたのだと・・
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なんというか、山の神様(大山津見神)と海の神様(綿津見神)とのトレード会談といった趣きの昔ばなしですが、山で暮らす者と海で暮らす者の暮らしの違いをもとに、その交接点を面白おかしく描いていますね。
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ところで、昔ばなしとはいえ何故に山に鯨、そして、猪なのかと思ったのですが、これには当時の食習慣が関わっているようです。


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文明開化と謳われた明治時代に入るまで肉食というのは あまり一般的ではありませんでした。
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それ以前の時代の肉食といえば主に鶏でありました。 鶏(鳥)以外の肉、つまり猪や兎、鹿などの肉食も一部にあったのですが “肉食” そのものに ある種の抵抗感があったようです。
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つまり人間と同じく足を使って歩く獣の体を口にすることは 一種の穢れ(ケガレ)につながるとの感覚があり おおやけに食する習慣は無かったと言えるでしょう。
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しかし、一部とはいえ猪肉などの料理が存在しそれを食べる人がいれば、やがて その食味が伝わるのは当然で、肉料理を愛好する人々が一定数いたことも事実です。
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とはいえ、世情的に肉料理はいささか憚られるもの、そこで考え出されたのが「これは獣の肉ではない、山の鯨である」という(それこそ)苦肉の言い訳(当時、鯨は海のものであるから魚の仲間である という認識を持たれていたため “肉” にあたらなかった)
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結果、編み出された食品(店)名が「山くじら」
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こうすることで世間的な認識をかわしながら美味しい猪肉料理に舌鼓を打っていたようですね。
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一説に言われる(肉食禁止)の僧侶が兎の肉を「これは羽(耳)が生えて飛ぶように移動するから獣ではなく鳥の仲間である」と称して食していた、(よって今でも兎の数え方は一羽二羽) また 同じく、お酒を飲みたい僧侶が「これは酒ではない、智慧を高める般若湯である」ということにして嗜んでいたというエピソードと似通っていますね。

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なんともはや 文明過度期ならではの珍妙とも思える対策ですが、これらの事柄が上の昔ばなしの下敷きにあったとするならば、昔ばなし・民話伝承というものは、よく言われる教訓の意義とともに 当時の世相や風俗を巧みに伝えてくれるものだと今更ながらに思えます。

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さて、今日は「山の鯨 と 海の猪」という??な取り合わせでお送りしましたが、次回、明後日には「山の蛇 と 海の鯛」という、聞く限り順当な取り合わせから生まれる意外なお話をもとに、伝承から風習に続く時の流れをお届けしたいと思います。
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お楽しみに・・
 
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