お金は面白い?歴史から見る通貨の変遷 ー 島根県

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イベント関連記事につき2月26日掲載の「コロナウイルス関連問題に寄せて」及び3月2日掲載の「当面のリリースに関して・・コロナウイルス関連」もご一読頂けますと幸いです。
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人が住み国が形成されるところ必ず「経済」が発生します。
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千年を遥かに超えて「経済」の主要な部分を担う「お金」つまり「通貨」の歴史(日本と中国)をリアルに学べるミニ企画展『 変わりゆくお金スタイル~古代から現代まで~ 』が、島根県立八雲立つ風土記の丘 で開催されています。
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直接の関連性はありませんが、古代、一大国家体制を築き、今日出雲大社にその栄華を伝える島根の地で往古から続く貨幣文化の展示会が行われていることは興味深いですね。

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いかなる文化も時代の流れとともに その様相は移り変わり、ことに経済というものが定着・発展してゆくにつれてその加速度を増し、この数十年はことさらにめざましく今では 永らく定着してきた 通貨 / 貨幣さえ遠くない将来消えてゆくさだめのようにさえ思えます。
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(通貨そのものではありませんが)クレジットカードが普及して既に半世紀近い時が過ぎ、現在ではスマホ決済などで使用されるキャッシュレス化が強力に推し進められていますね。
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通貨 / 経済 はその時代の必要に求められて生み出され普及されるものなので、金本位制から信用通貨制への移行、そして、流通通貨の完全なデータ化へと移り変わってゆく流れは、ある意味 自然なのかもしれませんが、このへんで一度、過去 この国で流通してきた通貨とその歴史に目を向けてみるのも良いかもしれません。

 

© 島根県立八雲立つ風土記の丘 様

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「物々交換」から「物品交換」へ
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ご存知のように太古と呼ばれるような有史以前の時代、人々は生活に必要な物品を「物々交換」という 直接 物と物を交換する方法で流通させていました。
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しかし、人口が増え生活規模が拡大するにつれ、自分の必要な物資と相手が求める物資の適合が難しくなり、共通認識としての価値がある物(米や塩、布や毛皮など)を対価として物品との交換に利用するようになりました。
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直接必要とする物以外の”媒介物” を利用したこの流通方式は「物品交換」そして「物品貨幣」と呼ばれ、今日まで続く”貨幣制度” の先駆けとも言えるものであったでしょう。

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「貨幣」の製造 そして停滞
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中国では紀元前、既に刀銭(とうせん)や 布貨(ふか)と呼ばれる通貨が現れており、秦王朝による国家統一とともに金・銀・銅貨などによる流通貨幣の統一化も進められていました。
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621年頃「開元通宝」という安定した品質の貨幣が作られると、当時 大陸との交易も増えつつあった日本でも その必要性が唱えられ 708年「開元通宝」を手本とした日本初の貨幣「和同開珎」(わどうかいちん)が鋳造されました。
(これの25年程前に「富本銭」と呼ばれる貨幣も造られていたようですが、実際に流通されていたのか”卜 ”(ボク・占い)に使われていたのかよく判っていません)
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「和同開珎」以降、政を司る朝廷によって「皇朝十二銭」と呼ばれる12種類の貨幣が発行され流通を促されたものの、流通範囲が京を中心とする近畿圏内に留まってしまい、また 当時の硬貨製造技術 や 経済統制技術の未熟さ、銅含有量の低下などから一般民衆に至るまでの安定普及を見ることが出来ず、やがて国内に置ける通貨鋳造・発行は数世紀に渡って停止、大陸からの輸入貨幣「宋銭」が国内通貨の役割を担うこととなったのです。
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輸入された”渡来銭” の中でも「永楽通宝」(えいらくつうほう)は広く、永く(江戸初期の頃まで)使用され、同時にこれらを真似た「鐚銭」(びたせん)という名の粗悪銭も大量に出回ったそうです。

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本格鋳造から近代通貨制度へ
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16世紀も中頃、戦国武将が勇躍する時代となると 鉱山の採掘技術、鋳造技術とも進歩し、各有力大名による軍資貯蔵や家臣・同盟国に対する報奨・贈答を目的として独自の金貨・銀貨が造られました。
これらは「永楽通宝」とともに入り混じりながら長く流通したのだとか。
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徳川幕府によって国内が統一されると、流通貨幣の一元化が図られ「慶長小判」「寛永通宝」などの通貨が発行され、同時に通貨制度の整備も進められてゆきます。
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寛文10(1670) 年には それまでの渡来銭の通用が禁止され、流通通貨は完全に国内独自のものとなったのでした。
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安定した幕府統治の中で永年安泰と思われた経済事情でしたが、江戸時代も中期となると金山の枯渇化などを背景に、金銀の含有量を落とした改鋳が度々行われるようになり、インフレを招き世情の不安定化を呼び込む結果ともなったのです。

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徳川の世が終わりを告げ、維新を遂げた明治政府にとって通貨制度の安定と経済の向上は重要課題であったのですが、行政の統一と国防に多大なエネルギーを割いたため、通貨に関しては当初 江戸時代のそれをそのまま流通させ、また 不足分に充てるため一時的な官札発行を行いました。
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それに乗じた偽札や偽貨幣も横行したため維新から当面の間 国内の通貨事情は混乱を極めたそうです。 明治4(1871)年、ようやく「新貨条例」を制定、「円」の通貨単位が発布され今日に受け継がれています。 明治15(1882)年には日本銀行が設立され官札の使用を廃止、日本銀行券へと統一されたのです。
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多くの大戦、そして世界恐慌の波を越え昭和7年から17年にかけて、それまでの金本位制から管理通貨制へと移行し、今日に至っているのです。

 

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日本における通貨事情の歴史をざっとご紹介してきましたが、人とお金の関係は当然ながらもっと奥深いものがあります。
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ちょっとした予備知識を胸に「島根県立八雲立つ風土記の丘」開催の企画展、『変わりゆく お金スタイル』お出かけになられたなら、意外な新しい発見があるかもしれませんね。

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『 変わりゆくお金スタイル~古代から現代まで~ 』 公式ホームページ

日  程 : 2019年12月21日(土)~2020年3月15日(日)

場  所 : 島根県立八雲立つ風土記の丘展示学習館
.     〒690-0033 島根県松江市大庭町456

入 館 料 : 一般 200円 大学生 100円 高校生以下 無料

駐 車 場 : 普通車60台、バス3台、障害者用3台/無料

問い合わせ : TEL : 0852-23-2485 FAX : 0852-23-2429

 

*3月3日 更新

 

 

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