どろぼう橋伝承から見る江戸期の面影(後)ー 埼玉県

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前回より重ねて川越大師 喜多院 に残る伝承から
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「どろぼう橋」を渡って寺の敷地に逃げ込んだ盗賊は追手の捕り方からは逃れたものの、それでも境内の寺男たちに取り押さえられました。
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しかし、寺側は罪にまみれた男を奉行所に引き渡さず、寺内において修養をさせました。
事の善悪のみならず、罪の因果がもたらす更なる不幸をもって男を改心・更生の道へと導いたのです。
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男が帰依したのは喜多院祀るところの 元三大師(がんざんだいし・またの名を慈恵大師)、天台宗中興の祖といわれ第18代天台座主ともなった上人の御霊であり、川越大師 本堂の名ともなっています。
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男を救おうする僧たちの想いと男自身の更生への情熱が元三大師に届いたのか、その仏徳はその後の男の人生を良い方に導きました。
公に赦免の報を受け還俗してからも真っ当な生涯を送ることができたのです。

 

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ー 境界を渡って変わるものとは ー
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さて、男は橋という俗世と聖域を区切る境界を越え、そしてまた戻ることによって その人生を好転させることに成功しましたが、これに似た話としてよく知られるものに「縁切り寺」というものが有りますね。
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特に当時の女性が悪縁や艱難から逃れ駆け込む場所として、物悲しいイメージとともに後の文学や時代劇の題材となりましたが、実際のところ どのようなものだったのでしょう。
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「縁切り寺」「駆け込み寺」というと、どこか非常に特殊な存在で 数多の逸話とともに自然発生的に存在したかのように思われますが、形成の過程はともかく、江戸時代、「縁切り寺」は幕府によって指定されていました。
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鎌倉の臨済宗 松岡山 東慶寺、そして、上野国(群馬県)時宗 徳川山 満徳寺 のニ寺がそれにあたります。
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「縁切り寺」に女性が駆け込んだ場合、寺側はこれを保護し事情を聞いた上で速やかに夫側に対して寺法書と呼ばれるものを発送します。寺法書は寺の裁定による離縁状請求であり(当時は夫側からしか離縁状を出せなかった)、今で言う調停離婚の形となるでしょうか。
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しかし、妻が寺に駆け込むという時点で 夫側に離縁の意思がないことが多いというのは想像に難くなく、離縁状を出されないケースも少なくなかったと思われます。
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この場合は妻は一旦、世俗を離れ寺入りする事となりますが、” 尼になって生涯を寺で過ごす ” という訳ではなく、形式的に髪の一部を落とし、足掛け三年(約2年)寺の務めに従事すれば 寺法というものによって離縁が成立し、晴れて還俗できたのだそうです。
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これらの取り決めは常に女性側に立った法として機能しており、その行使力・拘束力とも幕府によって担保されていました。
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時として夫に追いかけられてくる事態も想定される中で、女性の足で駆け込む大変さも考慮され、簪(かんざし)や履物など身につけているものを社地に投げ込めば境界越えを認める、境外の女性を寺僧が見留めたならば保護して境界越えを認める、など昔ならではの融通も効かせていたようです。
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一般に抱かれているイメージよりも結構 女性寄りな取り決めであり、また、思いの外システムとして構築されていたことに驚きですね。

 

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東慶寺、満徳寺 のニ寺だけで当時の悩める妻たち全てに対処出来たのか? というところが疑問かも知れませんが、これもさほど問題ではなかったようです。
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実のところ、東慶寺、満徳寺 のニ寺は徳川家康の孫、千姫の縁によって幕府公認の「縁切り寺」とされた経緯があり、言わば「縁切り寺」のステータスシンボルのような存在でした。
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つまり、当時の離縁問題の大半は夫側からにせよ妻側からにせよ、各人縁故の寺や仲人、社会的地位のある有志などを通して解決されており、協議が難航した場合でも町下の寺社が「縁切り寺」に準ずる場所としての役割を果たしていたのだそうです。

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「縁切り寺」での処置によって、また約2年間の務めによって晴れて新しい人生の船出となる女性たちですが、新しい人生が常に良いものになるとは限りません。
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離縁に至る理由は それこそ人それぞれ千差万別と思われますが、そもそも その状況に行き着くまで 100パーセント夫婦どちらかのみにある というケースは稀ではないでしょうか。
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夫の浮気癖に悩まされる、夫の暴力に晒されて保護を求めるなどの事例は今昔違わず存在し、個々人の権利が優先される現代でも尚のこと その処遇に難航していますが、見た目や 口をついて出る言葉など、表面的な事柄ばかりにとらわれていた結果と言えなくもないのです。(男性側の疵瑕が相殺されるものではありません)
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「縁切り寺」が果たした役割は システムとして機能する調停処置のみではなく、時において夫側そして妻側にもそれぞれに 己の今までのありかたを認識させ、人間的成長と融和を促すものではなかったかと思われるのです。
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高い ” 徳 ” と ” 慈悲 ” によって人に生きるべき道筋を悟らせることこそが「縁切り寺」の本懐であり、それは日常から一旦離れた ” 閉ざされた場所 ” において効果的であり、これらの事由をもって「どろぼう橋」のような伝承に結びついたのではないでしょうか。
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在来の日常でもう一度やり直すにせよ、全く新しい日々に歩み出すにせよ、人は幸福を求めて生きてゆくことに変わりはありません。
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しかし、それを実現するためには しっかりとした内面の成長が必要なのです。
往古から残る伝承は時を越えてそれを伝え続けているのでしょう。

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