修験の山の杉並木 過去から未来へ紡ぐ人の道(後)- 長野県

戸隠神社の参道 杉並木が衰退の危機に晒されている という残念な内容で終わった前回の記事「修験の山の杉並木 過去から未来へ紡ぐ人の道 – 前編」、今回はカテゴリーをコラムに変えてお送りします。

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人間による環境破壊、それにともなう環境変化とその弊害、温暖化問題と相まってそれらへの取り組みが叫ばれて久しいですが、具体的な解決への糸口はいまだ不透明です。
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これら環境破壊の事象はややもすると科学が発達した近代、ここ100年ほどの話と思われがちですが、実のところ環境破壊が目に見えて人間社会に影響を及ぼし始めたのは思いの外古いのだとか。
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縄文時代、既に “焼き畑” や燃料素材として自然に手を付けていた人間は、生活技術の向上にともない生存力をも高めた結果、人口の増大とともに自然に対する影響度をも高めてゆきました。
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時代が下り 都が造られ、大型の寺社や宮殿の造営が立て込む いわゆる建築ラッシュとなると、建築材としての大規模な森林伐採が進められます。
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平城京、そして 平安京と推し進められた文化の勃興は同じくして近畿周辺山野の荒廃をももたらし、驚くべきことに日本初の山林伐採禁止令が発布されたのは、天武天皇5年(676年)のことだったと “日本書紀” に残されているそうです。
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戸隠創始を含む山岳信仰や修験道の隆盛期は、同時に森林荒廃の進んだ時期でもあったのですね。

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その後も 戦乱、復興、江戸時代の長期安定社会、そしてまた大戦とそこからの近代復興と歴史を重ねる度に山林資源は危機に晒されてきました。
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もちろん 失われてゆく自然の恵みにただ手をこまねいていたわけではありません。
植林は室町時代にその端緒が見られ、江戸時代から幕府主導による大規模な造林施策が始められました。
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明治〜昭和の戦時にかけては その時代背景もあり、日本の歴史上最も森林資源の危機に晒された時期でもありましたが、後の高度成長期にかけて全国的に行われた植林作業で “緑の数” だけはどうにか賄えている現在といったところでしょうか。


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そもそも社の起こりでもあった “九頭龍伝承” 九つの頭を持つ荒ぶる龍神とは、龍神・蛇神の多くがそうであるように沼や川に関わる “水” の神であり、自然崇拝(アニミズム)の代表的な神格のひとつでもあります。
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修験者 “学問” によって封じられた九頭龍は改心して善神となり この地の平穏と恵みを司ったと伝わります。 人を喰らい村々を飲み込んでゆく河川の氾濫を 治水して恵みを得ることを現す説話としては、畏怖と感謝がきれいに織り込まれた由緒として戸隠神社の起こりと歴史を雄弁に物語っていますね。
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九頭龍は荒ぶる河川としての姿を反映していますが、河川に流れ込む水は当然 山に降り落ち谷川に注ぐ雨水であり、健全な雨水の循環は山の植林状態に大きく左右されます。
つまり1000年も昔から人の手による環境破壊と その応酬は始まっていたのです。

 

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世界の森林が減少しているといわれ久しい状況です。
毎年、日本国土面積の数割分の森林が消滅しているなどといわれ、植林運動をはじめ代替資材の模索やペーパーレス社会の実現などが叫ばれ推し進められてきました。
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ところが、森林利用を減らせば森林の健全化が図れるといった単純なものではない、ということも最近では言われはじめており、それによると そもそも植林とその後の育成には遠大な期間と費用が必要であり、建材であれ紙パルプであれ 次の森林利用の目安が立たないと植林のための予算も人員もつかずサイクルしないのだとか・・
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グローバルな視点から見れば植林も経済活動の中のひとつということなのでしょう。
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また、驚くべきことに 2018年のNature誌には「森林は増えている」 という論文も寄稿されています。
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この中でも地球上の森林面積は増えているものの、その姿や分布は元々の状態とは異なるもので手放しで喜べる状況ではないようで(そもそも植林で植えられるのは使用用途のある針葉樹がほとんど)事態はますます混迷の度合いを深めているように思えますね。

 

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私達に出来ることは何なのでしょう・・ 話し合い、良いと思われる施策を推し進める以外ないように思えますが、77億にも達した世界の人口、それを取り巻き動く各国の思惑と経済の渦の中では 明白な施策を設定することさえ難しい状況です。
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私達に出来ること・・ 消極的と言われるかも知れませんが、ひとつ言えるのは “意識を持つこと” そして “希望を捨てないこと” ではないかと思えるのです。
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九頭龍の伝承に顕されているように 人はその始めから常に自然と不可分の世界に生きてきました。
時に慈しみ 時に荒ぶる自然の姿に人々は感謝と恐怖を同時に抱き続けてきたのです。
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感謝の気持ちが無い人生には不満や渇望の意識ばかりが宿りやすくなるでしょう。
恐怖を完全に失った生活は一見結構なように見えますが緊張感をも無くしてしまいます。
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自然、そして この世の流れの中で人の存在はあまりにも小さく力無いものであることを、今一度思い返し意識し直す時期に来ているのかも知れません。
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伝承は単なる昔の寓話ではなく、私達にとって大切なことを時を超えて伝えているのです。


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