報恩と相克 阿波狸伝承と金鳥神社 – 後編

金鳥が修行のため津田山に渡った時、一匹のお供がおりました。同郷の狸で その名を ” 藤の樹寺の鷹 ”(とんでもなくカッコいい名前ですねw)、小松島に二人の倅とともに住まい 勇壮、人徳(狸徳)ともに優れ金鳥の右腕とも言われた男でした。 穴観音城のある津田の地勢にも明るいことから金鳥に付き従い 津田の地で身の回りの雑事などをこなしていたのでした。

ある日、六右衛門からの急な呼び出しで出掛けた金鳥が 鷹の待つ根城へ戻ったのは日も落ちた暮六つの頃だったでしょうか・・ 蒼白な面持ちで帰った金鳥に驚く鷹でした。

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「どうかなさいました? 殿 お顔の色が優れませんが・・」

「おぉ、鷹 聞いてくれ、実は困った事になったのじゃ・・」

金鳥は今日穴観音城であった六右衛門との話とそれを断った顛末を鷹に話して聞かせた。

「なるほど、それは面倒な事に相成りましたな・・確かに六右衛門殿の申し出を受ければ お国を見捨てたも同然、されど、お断りなされたのであれば このまま位階を授かるのは難しくなりましょうな・・」

はてさて、どうしたものかと考えあぐねる二人の元を密やかに訪ねるもう一人の影

「金鳥殿 居られるか・・」

「これは “ 鹿の子殿 ” ではありませぬか、このような所へおいで頂き、如何なされました」

”鹿の子(かのこ)” は六右衛門配下の旧臣にして六右衛門の娘 ”小芝” の守役をも努めた老狸、温和で思慮深く徳も高いところから金鳥も懇意にしていた。

「金鳥殿 すぐにここをお発ちなされ、我が主 六右衛門様はそなたに逆心有りとして、今宵 討ち取る議を発せられましたぞ」

「何たること! 私に逆心など有ろうはずも無いものを・・」

最悪の展開に、いや誠意をもって申し開きに望まんとする金鳥、六右衛門の気性を知るが故に即時の帰国を進める鹿の子、風雲急を告げる の言葉のごとく抜き差しならぬ状況の中、ふっと 部屋の灯りが消えると見るや にわかに数多の獣の唸り声・・

” しまった! 遅きに失したか! “ と思ったのも束の間、右から左から怒涛のごとく六右衛門の配下が打ち寄せます。

「何ぞ、貴様ら、己が思惑 通らぬからといって この仕打ち卑怯であろう!」

鷹とともに打ち寄せる敵を蹴散らしながら吠える金鳥

「黙れ!金鳥! 我が主君の命に背く不届きな奴め、死をもって詫びるがよいわ! 鹿の子、主君に背いて金鳥に内通したな、貴様も同罪じゃ!」

六右衛門も認めていた金鳥の力量、襲い来る狸どもを次から次から跳ね飛ばし、鷹もまた主の急難をはらおうと善戦を極めるも、不意を突かれた上に多勢に無勢とはこの事、逆巻く騒乱の中 金鳥を逃がそうとした 鹿の子が倒れ、二人は追い詰められてゆきます。

「殿!ここは私が食い止めます故、一旦 お退きを!」と吠える 鷹

「何を言うか! お前一人を置いて退けるものか!」 ここを死に場所と腹を括り遮二無二 敵を噛み散らす金鳥、さしもの六右衛門配下の者共もこれにはたじろぎ、次々と離散、ついには撃退するに至ったのです。

 

しかし、戦いの後に残ったのは金鳥を逃がそうとして討たれた 鹿の子、そして主を守らんとして戦い 今は冷たく横たわる 鷹 の無残な姿でした。
嵐のような夜が過ぎ、辺りも白み始めた津田の麓に金鳥はひとり取り残されたのです。

翌日、日も暮れかかる頃、自らも満身創痍、血にまみれながら金鳥は小松島の地へ帰り着きました。 懐かしき恩家を遠くから望み深々と礼を垂れた後は、茂右衛門に会うことなく我が一党の根城へ帰ると小松島一帯全ての狸を募り、今般の一件を話したのでした。

無念と慟哭の中 さても湧き上がる打倒六右衛門の呼び声、父(鷹)の敵を討たんと若年ながら立った小鷹、熊鷹 を筆頭にその数八百余匹に登ったと言われます。

片や 金鳥を取り逃がし あまつさえ大軍をもって打ち寄せ来るの報に、六右衛門以下 津田の狸もほぼ同数の狸をもってこれを迎え撃つ手筈を進め、ついには勝浦川を望む津田の浦に集った両軍千数百名、ここに 後に”阿波狸合戦” と語り継がれる一大事が起こったのでありました・・。

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合戦の詳細を記そうとすると さらに数回に渡る回数を必要としますので、恐縮ながらそれらは Wikipedia や 日本伝承図鑑 様 等をご参照頂くとしまして・・
三日三晩に渡り繰り広げられた戦は、結果的に大将同士の果し合いとなり 六右衛門がその場で討ち死に、金鳥も致命的な深手を負い、恩家 大和屋茂右衛門の元へと辿り着き 事の顛末と謝意を述べた後 亡くなるという壮絶なものとなっています。

金鳥の侠気に感銘した大和屋 茂右衛門は その亡骸を弔った後、自ら京へ上がり金鳥のために正一位の位階を受け帰り、以後、末永く金鳥を祀ったそうです。

 

さて、金鳥を祀る小松島の「金鳥神社 / 金鳥大明神」の設立の経緯については前回(中編)にて ご紹介済みですが、この「金鳥神社」が存亡の危機に立たされているとの報が立ったのが2018年3月のこと。

金長神社が建っている敷地が公園内であるため、これの整備計画の一環として取り壊しの可能性ありと発表されました。 単なる公園整備ならば神社はそのままでも良いのでは?と思う所 そう簡単な話でも無いようで・・

今回の整備は危惧されている東南海大地震などによる津波対策としての公園整備だそうで、一旦、敷地を更地にせねばならないため神社に立ち退いてもらわねばならないとの事。

その上、法整備が未熟だった時代に建てられた社地は、今まで市が神社奉賛会に貸与する形で黙認してきたものの、現在の法律では一旦更地になった公共の土地に神社を再建する許可が出せないそうで、六右衛門 vs 金鳥 の伝承 同様、抜き差しならない状況のようです。

当然に防災問題は優先して取り組まなければならない処置でありましょうし、しかし、長年に渡り小松島を代表する遺産であり、信奉者をはじめ多くの観光客を集める神社を無下に無くしてしまう訳にもいかないでしょう。

奉賛会をはじめとした有志が神社存続のための活動を主にインターネットを中心に展開していますが、[金長神社を守る会]

防災問題をクリアしながらも何とかより良い結論に向かってほしいところですね。

徳島県 金鳥神社

3回にわたってお送りしてきました「阿波の狸伝承 / 金長神社」ですが、これにて終演でございます。有難うございました m(_ _)m

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