報恩と相克 阿波狸伝承と金鳥神社 – 中編

四国において狸が愛され時に明神として崇められていることは皆様ご承知のとおり、著名な”犬神刑部” 香川編でご紹介した”屋島太三郎” 日本三名狸にも数えられる”淡路芝右衛門” 等など数え出せば枚挙に暇がありません。

そして、今話 主役を務める小松島金鳥を祀る神社は実は意外な所を発端として創建されています。

金鳥と六右衛門をめぐる伝承 ”阿波狸合戦” は江戸時代末期に成立、以後 波乱の時を越えて明治期に諸本そして講談として形を成し、人々の大きな支持を得ていきました。

それが、昭和14年(1939年)映画会社”新興キネマ” によって初めて映画化されたのです。

当時 ”新興キネマ” は経営状態が思わしくなく倒産の危機さえ ささやかれていたのですが、この「阿波狸合戦」の大ヒットで一気に黒字回復、その御礼として小松島市の日峰山、日峰神社の境内社として「金長神社本宮」が祀られました。

その後、戦時統合により”新興キネマ” から ”大日本映画製作株式会社 / 大映 ” と組織変更されながらも、会社は金鳥を礎とした”狸関連映画” を連作、好評を博し続けます。
そして、昭和31年(1956年)当時の社長であった永田雅一氏が先導となり、金長奉賛会を設立、現在の小松島市中田町脇谷の地に「金長神社 / 金長大明神」を建立されたそうです。

映画会社が創建に関わった経緯からご利益は”商売繁盛” そして ”芸能上達” らしいですが、平成6年に公開された 高畑勲 氏監督「平成狸合戦ぽんぽこ」のヒットにより、一般の参拝客も増えたようですね。

 

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津田の穴観音城に身を置き早一年、研鑽を重ねあらゆる術と知見 そしてたくましき身体を身に着けた金鳥は誰しも一目置く存在となっていました。

ある日 使いの者が金鳥のもとを訪れます。六右衛門よりお言葉があるので御前へ参られたいとのこと、早速に身だしなみととのえ御前へと進み出る金鳥。

「 金鳥殿 よう参られた、日々の修行とその成果、儂にも届いておる。そなたが正一位の位階を得るのも間近のことじゃろう 」

「 有難きお言葉 身に余る光栄に存じまする。これもみなお師匠様のお陰にござりまする 」

「 そこで金鳥殿、そなたが位階を受けた後のことじゃが・・、どうであろう 我が娘 “小芝” を貰うてはくれまいか 」
「 儂も早うに連れ添いを亡くしてからは片親にて子を育ててまいったが、金鳥殿のような見込みある若者に小芝を貰うてもらい、そして行く行くは 倅 “千住太郎” を支えて我が一党を治めて貰えれば 儂としても思い残すことはないのだが・・ 」

思いもかけない六右衛門の申し出にたじろぐ金鳥、何せ今まで位階を得て小松島に戻り、恩ある大和屋の繁栄に尽くすことしか考えてなかったのですから無理もありません。

「 それはまた身に余るお申し出、私の如き小者には大それたことにございます 」

「 何を申さる、そなたの力量は儂が一番認めておる。それとも小芝が妻では不服か? 」

「 とんでもございません、小芝殿など私にはもったいない嬢様にございます 」
「 されど 私には小松島に残した一家があり、また報恩を成さねばならぬ恩人がございます 」
「 どうか お師匠、有難きお申し出なれど、どうか今一度お考え直し下さい 」

平身低頭にして辞退を願う金鳥、むぅと唸り肩を落とす六右衛門

結局、その日その議はお流れとなってしまいます。

 

金鳥去りし広間にて独り考え込む六右衛門、まさかに断るべくもなき栄誉を、報恩の心情は汲めども にべもなく辞退した金鳥に対する思いは如何なものだったのでしょうか。

その時「御免」とばかり襖を開け六右衛門の前に進み出る者四人・・いや四匹

六右衛門の片腕ともされ仲間内で四天王とも呼ばれる臣下たちでした。

「 殿、金鳥の奴めは殿の申し出を断ったのですか? 」

黙って頷く六右衛門

「 殿の有難き申し出を蹴るとは何たる不届き者、 殿、金鳥めは成敗されるるべきでしょう」

「 金鳥には帰省して報いるべき恩家があるそうだ・・ 」

六右衛門、眉間のしわを深めながらつぶやきます。

しかし、臣下たちはなおも続けます。

「 殿、それは表向きの口上でござりましょう、殿の申し出は狸にとって最上の名誉、断る道理などございませぬ 」

「 あえて断るのは二心有る証拠、捨て置けば必ずやお家にとって障りとなりましょう 」

口々に金鳥成敗の意を唱える臣下たち、思えば頭角を現し六右衛門に目を掛けられてきた金鳥を 日頃より快く思っていなかったのかもしれません。

まあ待てと臣下を諌めていた六右衛門も次第に考えが傾いてゆきます。

– 確かに金鳥は既に自分と比肩する力を持っている、これが自らの土地に帰ってさらに力を蓄えたなら いずれ大きな驚異となろう・・ –

その夜、ついに金鳥討ち取りの命が下ってしまいます。

 

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昔話はひとつの話がバリエーションに富んで語られることが多く、この”阿波狸合戦” についても話によって子細の異なる説話が伝えられています。

「阿波狸合戦」においては敵役であり、ともすれば悪逆の狸のように描かれがちな”津田六右衛門” も当時、四国において最大勢力を誇った妖狸の頭領で根城 津田山には現在も彼を祀る寺院や祠があります。

講談などで悪辣のように書かれたのは、善悪を明確に書き分けてお話を盛り上げるための方便だったのかもしれません。

ともあれ、合戦のお話の頃 六右衛門狸は齢八百を数える老狸、愛娘に見込みある若者を婿に迎え余生の安心を得たいと願うのも無理からぬことであったのでしょう。

暗雲立ち込める金鳥と六右衛門はついに牙を交えることとなりますが、それは後編にて・・

 

尚、今回お届けしている”阿波狸合戦” の内容は明治時代に出版された読本「実説古狸合戦 四国奇談」ならびに徳島市の津田寺に残る説話を下敷きとして編集しております。

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