いつしか色は潰え‥能に見る色即是空(前) – 京都府

 

色即是空空即是色 しきそくぜくう くうそくぜしき
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大仰な書き出しで恐縮です・・・
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大乗仏教の真髄を説いたと言われ、かの玄奘三蔵(西遊記のモデル)にも関わる般若心経の一節であり、ご存知の方も多いかと思います。
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無知な私の書き物で触れることはおこがましいですが、「色」この世に有る(ように目に見える)あらゆる存在、現象、 そして それに対して全てを無存在に通ずる「空」
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色すなわち これ空なり 同じく仏教用語で平家物語の冒頭「諸行無常」を思い起こすような、現世を生きる私達にはいささか侘びしく感じてしまう一文です。
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無論、お釈迦様の説く真意はもっと深く高いところにあるのでしょうが、様々な欲にまみれ目先のことに翻弄されてしまう民草としては虚しさの方が先に立ってしまいますね。

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この 色即是空 や 諸行無常 をそのまま述べているわけではありませんが、過日の栄華と今日の零落を描き人の世の無常と、人の歩むべき道筋を指し示した作品が”能” にあります。
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平安時代に”猿楽” として花開き 鎌倉時代に観阿弥・世阿弥 親子によってその基礎が確立された伝統芸能 ”能”、今日はその”能”の演目から一番(一作品)ご紹介させて頂きます。


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「色」 花の色  花の色は移りにけりな‥
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時は平安 日も暮れかかる頃
真言の聖地 高野山にて一通りの修行を積んだ二人の僧が揚々と歩を進める
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– 釈迦去りて弥勒待つ暗き世に 仏法に出会えた我らが目指すは悟りの極致のみ –
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仏道の海に肩まで浸かり
思い描く救世と涅槃の境地に胸踊らせながら歩む二人が 山城の地に脚を踏み入れた時
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ふと 路傍にかがむ一人の老婆を見留めた

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身にまとうもの貧相にして 老いさらばえたその姿は世の醜情をも漂わせ‥
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何より僧達の眉をひそませたのは老婆が座していたものが卒塔婆 * であったこと
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これはならぬ 如何に疲れた老婆と言えども 供養の心を形どった卒塔婆に尻下ろすなぞ 仏の御心に背く様 言い聞かせ導かねばなるまい
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– 婆様 そこをお退きなされ –
– 婆様が今腰掛けたるは人々の供養の思いが詰まった卒塔婆なるぞ –
– かような浄きもの穢すは人の理に反すること そもそも仏の教えは‥ –
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説教を始める二人の僧

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ところが老婆 この説教に慌ててその場を退くかと思いきや 僧達の言い分を言葉巧みに言いかわす

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– 人は生々 本来無一物 仏も衆生も隔てなき –

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思うにならぬ僧は習うてきた法論を並べて婆様を退かせようと まくし立てるも
老婆の弁舌いよいよ冴え渡り それは僧の及ばぬ含蓄をも含みついには論破に至る
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打ちひしがれる僧に念を押すが如く一遍の見事な歌を残し立ち去ろうとする老婆
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お待ちくだされ その意力 その教養 そなた只なる者ではありますまい
どうか その御名をお聞かせくだされ
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名を乞う僧達に立ち止まり 躊躇を見せる老婆であったが やがて静かに口を開いた

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– 我こそは 出羽の郡司 小野良真が娘 小野小町が なれる果てなり –
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( * 卒塔婆 供養の経文などを書いた お墓の周りに立てる塔の形をした縦長の木札)

 

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驚くべきことに やつれた老婆の正体は、平安の世に歌仙と称され また 絶世の美女と謳われた 小野小町 その人でした。
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気鋭の僧達を翻弄し得たのも天性の才気ゆえであったのでしょう。
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まばゆいばかりの才色で一世を風靡したと言っても過言ではなかった小野小町、加齢とともに訪れる人生の褪色は誰しもが知るところですが、世相の心央で栄華を誇った人ほど その落差は激しいのかも知れません。

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若い僧達を法論で打ち負かした末、その素性を明かした老婆 小野小町でしたが、この直後 ショッキングな出来事が起こります。

 

 

 

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