八乙女に導かれし皇子 そして修験の頂(後) – 山形県

先日の(民話)ポスト – 役行者と空飛ぶ鐘 – の偉人、役行者によって始められたとされる修験道ですが、東北の地 出羽三山における修験道開山はひとりの皇子によってなされたと伝えられています。

八乙女の舞う浦へ辿り着いた皇子、浮世の煩いを離れ日々の修行へと身を投じました。

 

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幾月いや幾年経ったでしょう、 その日はいつにも増して清々しい空気に満ちていました。
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皇子は洞穴を出て岩山の上へ登り 東に広がる出羽の山々を見渡しました。
遙かに望む出羽の山並みはおおらかに しかしあくまで気高くその威容を讃えています。
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その時、彼方の山の頂から一条の光が煌めいているのを目にしたのです。
その輝きは今まで見たことのない清らかな力が溢れています。
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今日こそ出立の時、直感でそう悟った皇子は旅支度を整えると身を正し 先ずは途中にある荒倉山へと登ると遥かに見ゆる出羽の山々の神に向かい、どうかその御元まで辿り着く許しをお与え下さいと祈りました。

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荒倉山を降りると当時そこには広大な湖が広がっており皇子の行く手を遮っています。
困り果てた皇子でしたが暫く辺りを探してみると岸に繋がれた小舟を見つけました。
傍にいた漁師に向こう岸まで渡してくれないかと頼むと
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「心根の悪しき者はお山の方へ近づける事は出来ぬ・・」 と言います
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そこで皇子は自らの生い立ちを明かし その後に訪れた醜い争い、そこを逃れ辿り着いた八乙女浦での出来事、そして人のあるべき道を求めて山の神のもとを目指していることを話しました。
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黙ったまま話しを聞いていた漁師はやがて
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「ならば良い、貴方なら渡しても良かろう、山添まで案内する・・」
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と、皇子を対岸の村まで送り届けてくれたのでした。

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着いた岸辺で漁師に礼を述べた皇子はまた東を目指して歩を進めます。
近づき仰ぎ見る山々はいやが上にも雄々しくそびえ立ち、早くここまで来るようにと皇子を誘っているようです。
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傍らに見つけた泉で禊を済ませると 生い茂る林をくぐり川を渡り山を目指しました。
日も少し傾きかけた頃、小高い丘の上に登りついた皇子は少々疲れを憶えたのでしょうか、一息ついたところでウトウトとうたた寝をしてしまいました。
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すると、夢の中に淡い光に包まれながら ひとりの老人が現れ
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「桔梗の花誘う道を辿るが良い」
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とだけ告げ、また光の中へと消えてゆきました・・・
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夢の神威を感じながら目をさました皇子は 気持ちも新たにどんどん先を進むと、はたして 是よりお山の領域に入ろうかという所で道が左右に分かれています。
見通せば片方の道の先行きに桔梗の花が涼やかに揺れているではありませんか・・
導きのおかげで道を誤らずにすんだ皇子は神に感謝しました、いよいよその膝下に辿り着いたのです。
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しかし、既に日は暮れこの先はいよいよ険しく進むこともままなりません。
目を凝らすと暗闇の先、大きな樹の陰に灯りが微かに灯っています。
その庵の戸を叩くと中から顔を覗かせたのはひとりの老婆でした。
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老婆の名は’玉’、皇子が神の教えを求めてこの山を目指してきたことを告げると まるでそれを知っていたかのように深くうなずき
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「夜にお山へ踏みこむはよろしくない・・」
「今夜はこの庵に泊まって明日の朝行かれるがよろしかろう」
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と快く皇子を迎え入れてくれました。

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翌朝、老婆に礼を告げ皇子は再び険しき道に挑み立ちます。
昨夜 老婆から教えられた道を頼りに進むことが出来ましたが、山道はどんどん険しさを増し厳しい風が吹き荒び 昼なお暗い森の中、皇子はついに道を見失ってしまいました。
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未だ修行が足りなかったか、己にその資質がなかったかと悩み 途方に暮れる皇子でしたが、その時 頭上を覆うように一陣の大きな影が舞ったかと思うと目の前に舞い降ります。


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その威容を見たとき皇子は我が目を疑ったかも知れません。
黒く輝く濡れ羽色、そして地を掴まえる三本の足、皇家の始祖 神武天皇を誘ったと伝えられる八咫烏ではありませんか・・
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八咫烏はしっかと皇子を見据えたかと思うと その大きな翼を広げ再び舞い上がります。
( ついてくるように ) そう呼びかけるように 輪を描き舞う八咫烏の後を追って皇子はまた立ち上がりました。
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ここが正念場と死にものぐるいで木々をかき分け足に血豆を拵えながら 黒い影の後を追う皇子、やがて八咫烏は一本の高い杉の上に止まります。
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皇子がそこに辿り着いた所 そこは滝の音が響く谷間の一角でした。
八咫烏の姿は既にありませんでしたが、杉の木の根本に光るものを感じそこを掘り分けると何と地中から一体の観音像が現れたのです。
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このとき皇子は確信しました。この地こそが厩戸皇子が言っていた神々の住まう山であり、聖地なのだと・・

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神の導きに感謝した皇子はそこに小さな祠を作り、掘り出した観音像を祀りました。
この地を阿久の谷と呼び新たな修業の地と定め、自然と人身の調和を求めたそうです。
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雪が融けると山の頂に昇り三山の神性を見極め多くの寺院を開くと、ここに修験道を開山しました。
厳しくそして気高い修業を極め、やがて多くの妙法を身につけた皇子はその法力によって多くの衆生を病や苦しみから救い いつしか能除仙(のうじょせん)と呼ばれるに至ります。
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蜂子皇子は出羽三山から修験道を広め七九歳の天寿を全うしたと伝えられますが、いつの日も自らの人生が己ひとりの産物ではないことを心に留められていたようで、その修験の道もあくまで多くの人々を救うための道程だったのかも知れません。

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現在、皇子を招いた八乙女は由良の浜に恵姫と美凰の像が立ち、往時の風情を讃えています。 また 山中で一夜の宿を貸し道を教えた老婆は羽黒山玉川寺に祀られている玉刀自観音がそれだと伝えられています。
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人はその業と目に見えるもの故に いつの世も往々にして争い、苦しみ、悩むもの
だからこそ人のあるべき姿を自然の中に求め、自らを見つめ直す、そういった作業が時折 必要なのでしょうね・・
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羽黒山、月山、そして湯殿山、出羽三山は今日も静かに人々の生き様を見つめ続けているのでしょうか。

 

 

 

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