祖霊と共に生きる国 三つの正月そしてシーミー – 沖縄県

沖縄には三つの正月があると言われます。
現在 一般的に馴染みの深い西暦 / 新暦による1月1日の正月、
今でも中国や東南アジア諸国などでは馴染み深い旧暦1月1日(2024年2月10日)、
そして「ジュウルクニチ」、旧暦1月16日(2019年2月25日)です。

沖縄の方がこれら三つの正月を全てこなすと言うわけではなく、近年では西暦での正月のみ祝う人も多いようですが、人または家庭、そして地域によっては今でも旧暦での正月に重きを置く人も少なくないといわれます。

そして「ジュウルクニチ」、16日からの方言読みですが、いわゆる “小正月” にあたるものでしょうか。
しかし、その内容、意味合いは本土のものとは多少異なるニュアンスを持っているようです。

一説に “死者の正月”  “冥土の正月” とも呼ばれる「ジュウルクニチ」
祝いの日にありながら “死者” とは何とも不穏な表現ですが、ここで言う “死者” は要するに “祖先” “ご先祖様” の事、「ジュウルクニチ / 小正月」とは家族が集まって “ヒジャイガミ”(墓の守神)に祈りを捧げる、墓周りの掃除をし供物を供え、ウチカビやウコーを焚き上げる。

日頃の守護に感謝し、冥界での至福を祈る、そして後 用意した料理を囲みながら和気あいあいと歓談の時を過ごす・・ 言わば “お墓参り・法事” 的な側面が強いことが特徴です。 因みにウチカビとは銭の形を刻印した紙(六文銭の概念に近い冥銭) ウコーとは沖縄のお香の事
れる所以でしょうか、言い換えれば “ご先祖さまのお正月” と言ったところですかね。

正月や祝いの席でも出される「ラフテー」

 

一方、「シーミー(清明祭)」は二十四節気の “清明” になぞらえて行われる行事で本年2024年の場合は4月4日となっています。
二十四節気の “清明” とは “春分” も過ぎた4月始め、その字面のとおり暖かな風の中 新たな芽吹きも始まる清涼明晰な頃をあらわす節気名。
内容的には「ジュウルクニチ」と似た お墓参りを主体としたもので、「ジュウルクニチ」とともに沖縄県民には馴染みの深い・・と言うよりも生活に根差した祭事となっているようですね。

沖縄における宗教観は独特なものがあります。
沖縄が琉球王国であった初期の頃、元々の宗教は多神教であり自然崇拝に根付くものです。
神々の住まう世界であり人々の魂を含めた万物の生まれ帰ってゆく聖地’ニライカナイ’ の名はよく知られていますね。宗教学的にはポリネシア等 南洋〜東南アジア系の宗教との相互影響が考えられています。

そして、上記の「ジュウルクニチ」や「シーミー」などの祭事などは後の時代、渡来僧によってもたらされた大陸系の仏教、また日本の支配下へと組み入れられた中で流入した日本仏教の影響が大きく関わっています。

黒島御嶽

そして、その根底に流れるものは祖先への畏敬と崇拝思想であり、尚かつ注目すべきはそれら一連の宗教観や祭事が特別な行為ではなく、ごく普通の生活に溶け込んだ 言わば生活、人生の基礎となっている点ではないでしょうか。

沖縄の方に言わせれば、これらの祭事を “しなければならない事” として意識することは あまりなく普通にある生活の一部だと・・
個人的な感想で恐縮ですが、ある意味これこそ宗教観や信仰といったものの理想的な姿のように思えます。

沖縄における宗教観は独特・・などと書きましたが、紆余曲折を辿りながらも多くの神々や思想を受け入れ、自らの文化の中で昇華してゆくその姿はヤオヨロズと言われる日本本土の宗教観とも一脈通づるものを感じますね。
最近では薄れつつありますが、かつては本土内でも普段の生活の底辺に神々(自然)への畏敬や風習は静かに根付いていたように思うのですが・・

 

 

かつて琉球という名の栄える王国であった沖縄、南国のリゾートとして揺るぎない地位をもつ沖縄、米軍基地移設問題で揺れる沖縄、沖縄は同じ日本の一地域でありながら独特かつ多彩な顔をもつ県でもあります。

時に過酷な歴史をくぐり抜けながらも、独自の そして自然に寄り添った文化を育んできた沖縄、かつての王国の名が過去のものとなったとしても、今もこれからも “ニライカナイにいちばん近い島” として悠久の時を刻み続けることでしょう。

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