石川県 民話 – 五十文の受取状


さても今は昔の不思議な話し

中能登の小竹という村に ごえ という名の婆さまが住んでおったと

婆さまは長く独り暮らしで又ほかに身寄りもなかったので畑仕事も一人で済まさねばならず、その暮らしはまんで貧乏なもんじゃった。しかし、婆さまは日頃より信心深く朝な夕なに阿弥陀さまに感謝しながら過ごしておるせいか、貧乏苦労な暮らしにも愚痴ひとつこぼさず毎日にこにことしておったと

そんな婆さまじゃったから日々の食い扶持に精一杯でこれといった楽しみが有るわけではなかったが、ただひとつ、ある頃から小さな小さな小金を貯めるのを生き甲斐のようにしておった。

 

別に美味いもんを食いたいわけではなし、さりとて、小綺麗な着物を着たいわけでもない、それは日々たいした病もせず、とりたてて困り事にも合わずお天道さまの下で暮らせる事を阿弥陀さまに感謝して、いつか寄進で恩返しをしたいと思っておったからじゃった。

一文貯めるのも日がかかる。一文、又、一文‥

季節が変わり手のしわがまた増える頃にようやく五十文の小金が集まった。

 

その頃じゃった、村の者が京に上り本願寺さんへお詣りに行くという話しが聴こえてきた。

(えぇ機会じゃ、お詣りする人にこのお金を持って行ってもらおう)
そう考えた婆さまは参詣の者を訪ね寄進の代理を頼んだそうな。 ただ、寄進と言うには五十文はあまりに小さなお金じゃったもんで寄進の受付には出さず、賽銭箱に入れてくれるだけでよいと頼んだそうな。

村人は婆さまの頼みを聞き入れ京へと旅立って行った。

そんな事があって後、その年もそろそろ秋の陽差しも訪れようかという頃、一人の老僧が婆さまの家を訪れやった。
「私はこの近くの瑶泉寺(ようせんじ)の住職なれば、京の本願寺よりご寄進の受取状が寄せられたのでお届けに参りましたぞ」とにこやかに申される

はて? 参詣の人には賽銭箱に入れるだけでよいと頼んだはずじゃが? と不思議に思うたが、何せ本山直々の受取状、これはおそれ多い事と平に押し頂いた。

 

わざわざ届けて頂いたお礼に何かと思うたが貧相な暮らし向き、気の利いたものなぞ有るわけもない。仕方なく蕎麦の粉を練ったものをおずおずと差し出すと、住職「ほぉ! これは美味い!」と笑顔のまま全て平らげ、そして礼を言って帰って行かれた。

次の日、昨日の事が忘れられない婆さまは重ねてお礼を述べようと村外れの瑶泉寺を訪ねて行った。
ところが出て来られた住職は昨日の住職とどうも趣きが違う‥

 

戸惑いながらも昨日のお礼を述べる婆さまじゃったが、これまた住職の方も妙な面持ち、

「婆さま、よく解らんが私は昨日お前さまの家には行っていないし、ここのところ京の本山からもそのような書状も届いておらぬよ」と首を捻っておられる。


これは一体どうした事かと考えあぐねる二人じゃったが、婆さまは肌身はなさず持っていた昨日の受取状を住職に見せたそうな。

 

受取状を眺めながら住職、
「誰かのいたずらにしても、このような事をして得になるような者も居らぬだろうし‥」
「しかし、それにしてもこの筆さばき、只者ではないような気がするのぉ・・・」

これは一度、本山に問い合わせてみようぞ という事となり、その日婆さまは受取状を預けて家路についた。

 

ひと月かふた月たとうかという頃、今度は瑶泉寺の住職が婆さまのところを訪ねられた。

「婆さま、本山からこのような書状が届いたよ」
爽やかな面持ちで婆さまに書状を手渡された。文字の読めない婆さまに住職が読んで聞かせた内容は次のようなものだったそうな

『本山に於いてかかるご寄進の記録は無し、されど受取状に見る筆跡は開祖 親鸞聖人の筆致に違う事これ無く本山一同感極まれリ、ご老の篤志 誠にめでたく、門徒の鑑なれば末永くこれを伝えられたし』

何と、婆さまの信心に感心された親鸞聖人がこの世に顕現されて会いに来られたのだと、そして婆さまと語らい、婆さまの出した練り物を食してまた浄土へ戻られたのだと‥

この事は、以後永きに渡って語り継がれ今日に至っても瑶泉寺の大切な説話として残っているそうな。

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