兵庫県 民話 – いそし社の藪の虎


さても今は昔

安土桃山の頃、豊臣が家臣、賤ヶ岳の七本槍ともうたわれた加藤清正公
朝鮮出兵の令に応じて渡海した折、彼の地でなみいる敵を蹴散らすかたわら恐ろしい虎を打ち破りその内の一匹を帰国の船で連れ帰り太閤殿下に献上、お褒めにあずかったそうな。

とは言え暴れ出すと人の手では中々手に負えない獰猛な獣の事、生きたまま飼うのは大阪の城内はおろか人多い地でも賄う事が出来ず、町から離れ広大な敷地を持つ摂津の国 伊孑志(いそし)村は伊和志津神社脇の藪へつなぐ事となった。

 

とは言え伊孑志の村人たちは困る事になった、ただ恐ろしいだけでなく虎は来る日も来る日も肉を食らう。
当時は食肉の文化なぞ今だ広まっておらぬ時代、村人たちは当初鳥や小さな獣を獲っては虎に与えたがこの程度では到底事足りぬ。さりとて清正公より預かった虎を死なせてしまってはお叱りを喰い村の存亡に関わってしまう。仕方なく村やその近在に住まう犬を捕まえてきては虎に与える事となった。しかし、とめどなく犬を与える内、彼の地では犬も底をついてしまった。

万策尽きてしまい途方に暮れる村人たち。特に肩を落としたのは虎の飼育係とされた村の猟師であった。
腹を空かした虎は少しづつやせ衰え気も荒立っている。今日明日の事、抜き差しならぬ様の中で猟師はついに苦渋の決断をする事となった。いつの日も傍らで備え猟を助けてくれた自らの友とも言える猟犬を虎に与える事としたのだ。
「すまぬ、もうどうする事も出来ぬ、おまえを食わせねば村人たちが死ぬ事となってしまうのだ」
涙を流しながら猟犬をつなぐ紐を解き、虎の前へ連れて行った。

ところが、そのせつな思わぬ事態となった。
紐を解かれていた猟犬は目にも止まらぬ速さで虎の首元に食らいついたのだ。予想だにせず機先を制された虎は急所を攻め立てられふり払う事も出来ぬ。 驚いた猟師や村人たちは何とか虎から犬を引き離そうと試みるものの命がけで噛み付いている猟犬は何としてもその牙を緩めない。そうこうしている内に力尽きたのか虎は膝を折りぐったりと横たわってしまった。

 

さて、あわてた猟師たち、このまま虎を死なせてしまったのでは、どのようなお咎めが有るか解らない。とりもなおさず事の次第を知らせねばと村長ともども役所へ駆け込んだ。

「何!? 犬が虎に噛み付いたと!?」  驚き声を荒げる代官に村人たちは首をすくめた。
「して虎の様子は?」  代官の問いに
「へぇ、それがもう息も絶え絶えでいつ死んでしまうかと・・・」

ここまできたら仕方がない、観念するしかないと落胆していた村人たちに代官の命が下った。

「猟犬とは言え犬如きにのど笛を食らいつかれるとは情けない、とうてい虎とは思えぬ様、猫にでも成り果てたのであろう。 そのようなもの捨ておくが良い!」

思いも寄らぬ代官のお裁きに喜びを通り越してすっかり気の抜けた様で帰郷した村人たち。
しばし経って後ようやく辛いお裁きを逃れられた事、そして長きに渡って虎を飼う苦労から解放された事を噛み締めお互いに喜び合ったと。しかして後、犬も鳥獣も住まう村に戻ったと・・

ともあれ、めでたしめでたし というところじゃ

 

このお話しは現在の兵庫県宝塚市伊孑志にある古社「伊和志津神社」の社伝として伝わっています。
現実問題として加藤清正公が生きたままの虎を連れ帰ったかはつまびらかではありませんが、清正公含む朝鮮出兵の将たちが現地で虎狩りをしたのは事実のようです、仮にこのお話しのように当時の日本で虎の飼育など任されたのでは堪ったものではないでしょう。お話しの中の代官もそんな村の日々の苦労を知っていたのかも知れませんね。

伊和志津神社 : 公式ホームページ

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