山形県 民話「文福茶釜」ただしキツネ!?


「文福茶釜」(または分福茶釜)と言えば茶釜に化けたタヌキの綱渡り芸、・・そんなイメージが一般的ですが山形県米沢市にはキツネが主人公をつとめる「文福茶釜」の話しが存在するようです・・。

さても今は昔
米沢の山あいにある常慶院に本悦と称する和尚がおられたそうな。慈愛深くまた信義にも篤かったので地元の人々はもとより山の動物達からも慕われる徳の高い方だったそうで・・

ある日、和尚のもとを一人の若者が訪ねた。
「私はこの裏山に住む弥八郎という名のキツネでございます」

この辺りの山にはキツネも多く住んでおり、中でも特に化けるのが上手いことで有名なキツネが弥八郎だった。

「このたび稲荷キツネの階位を頂くため、京の都は稲荷明神まで参内することとなりました」
「只、しばらくの間この山を留守にするについて和尚さまに預かって頂きたい物があり、今日はこうしてお願いに上がりました次第でございます」


礼儀も正しくこう申すので見てみるとそれは数巻の巻き物であった。

「これらは私が永年の間、研鑽を重ねてあみ出した化術の極意を記した巻き物でとても大切なものなのです」
「それゆえに性の悪い他のキツネがこれを狙っているとのこと、さりとて京までの行き来 これらを持ち運ぶ訳にもまいりません」

「どうか和尚さま、私が帰るまでこの巻き物を預かりお守り頂けませんでしょうか?」

キツネの真摯な願いに感じ入った和尚はこれらの巻き物を預かることにし、弥八郎キツネは喜んで京に旅立って行った。

 

二日程経ったある日、一人の旅人が寺を訪ねて言うに

「私は弥八郎の使いでございます。お預けした巻き物ですが、やはり京に持参する事になりましたので急ぎ頂いて来るように言付かりました」

しかし、和尚はこれをきっぱり断った

「弥太郎は筋の通った若者とお見受けしました。昨日申した事を今日ひるがえすようなことはしないでしょう」

またある日、檀家の使いという人が訪れ

「こちらには非常に珍しいキツネの巻き物という物が有るそうで、当家の主人が是非にとも見たいと仰るのでどうか今日一日貸して頂きたい」

だが、これも和尚は一喝

「これは弥八郎との信義の元で預かり置いた物、当人が帰り承諾するまでお貸しする訳には参りません」

その後も、お侍やらお役人やら村の娘やら誰彼と寺を訪ねて来ては巻き物を持ち出そうとする。
そして、和尚はこれらをことごとく退けたそうな・・

 

季節の風もそろそろ変わろうかというある日、位階を授かった弥八郎キツネが帰ってきた。

巻き物が無事であった事、和尚が約束を守り悪手を退けてくれた事を知るとたいそう喜び、何度も感謝の言葉を述べながら風呂敷包みを拡げ

「こちらは和尚様への御礼の品でございます。変哲の無い茶釜に見えますが、お米をほんのひとつまみ入れておくと翌朝には釜一杯のお米となっておりますでしょう」 と言う。

試してみるとその通りだった。 おかげで寺はご飯に困らなくなり里村の病人や生活に困る者をも助けたそうな・・

 

しかしながら後日、再び寺を訪ねてきた弥八郎キツネが和尚にこう申した。

「先だっての もうひとつのお礼に今宵、寺の裏手から見える山へ素晴らしい景色をかけてご覧に入れましょう」 と
そして、「ただし、これはあくまで幻術ですので間違ってもこれを拝んではなりませんよ」 とも

その晩、和尚が裏木戸を開けて向こうの山を眺めていると夜の雲が月に掛かろうかというその時、彼方からほのかな明かりが灯ったかと思うと段々と裏山に向かって伸びてゆく。 やがてそれは眩いばかりにきらめく虹の橋となりついには裏山の頂きへと架かった。あまりにきらびやかな光景に和尚が心奪われていると、何とあろう事かその橋の上をお釈迦様や多くの尊い仏様が渡っておられるではないか・・・

「おぉ、何と有りがたい事か・・」 感極まった和尚、我を忘れて思わず手を合わせてしまった

「南無阿弥陀仏・・ 南無阿弥陀仏・・」

その刹那、転地を切り裂くかと思われるほどの雷鳴が轟き和尚は気を失ってしまわれた・・・・・・

 

翌朝、目を覚まされた和尚、そこに見たものは変哲の無いいつもの裏山の風景と傍らに転がったふたの割れてしまった茶釜だったそうな・・

いやはや、さすがにキツネはキツネ、義を通す中にもいかな茶目っ気は忘れぬものよ・・・ *****

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